東京さまよい記

東京をあちこち彷徨う日々を、読書によるこころの彷徨いとともにつづります

汐見坂(潮見坂)

2010年08月19日 | 坂道

霊南坂から坂下を左折していくと、榎坂に至るが、右折し汐見坂(潮見坂)を下る。

右の写真は、坂上から撮ったものである。真っ直ぐに緩やかに下っている。

『江戸名所図会』の霊南坂の項に次の説明がある。「潮見坂は、同所松平大和侯の表門前に傍うて、溜池の上より東に下る坂をいふ。」

江戸切絵図を見ると、潮見坂と江戸見坂と霊南坂とで囲まれた所に松平大和守の屋敷がある。表門がこの坂に面しているので、大和坂の別名があった。

これらの坂の位置はむかしとさして変わりがないと想像されるので、現在のホテルオークラなどのある一帯が松平大和守の屋敷であったと思われる。

左の写真は坂下から撮ったものである。坂下と坂上に標柱が立っている。

『江戸紀聞』には次のようにあるという。「潮見坂 霊南坂の下を又東へ下る坂なり、西の窪の方へ出るなり。西へ下れば溜池の榎坂へ出るなり。往古は此辺まで入海なりしゆへかくいへりとぞ」。

『江戸砂子』には「此坂むかしは海見えたるゆへかくいふとぞ、今は大家続きて坂よりはみえず」とあるという。

標柱には、江戸時代中期以前には海が眺望できた坂である、と説明がある。

横関は、この坂について「よほど古い潮見坂と見えて、古くから海の見えない潮見坂であった」としている。

『御府内備考』は、上記の『江戸紀聞』の「往古は此辺まで入海なりしゆへかくいへり」という説を否定しているようである。

徳川家康入国(1590)前後の江戸湾は、いまの新橋から日比谷・丸の内にかけて日比谷入江が入りこんでおり、溜池もかなり大きく残っていた。いずれにしても、この坂から江戸湾が見えた時代があったのであろう。
(続く)

参考文献
鈴木棠三・朝倉治彦校注「江戸名所図会(三)」(角川文庫)
石川悌二「江戸東京坂道辞典」(新人物往来社)
横関英一「江戸の坂 東京の坂」(中公文庫)
岡崎清記「今昔 東京の坂」(日本交通公社)
貝塚爽平「東京の自然史」(紀伊國屋書店)

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