ようこそ里山へ 茨城笠間・青葉って永遠

茨城県笠間市。観光と陶芸の町の知られざる宝。穏やかな里山と田園は心の原風景。庭と山川草木、体感する旬の言の葉たち。

刻まれた痕跡も照らされます

2013-01-05 07:18:17 | ほんとの話はマサカサマ
 巨大な歯型が、刻まれております。



ゴジラさんの歯型。
ではなく、仕事の跡です。



石工さんの仕事の跡です。
昨日の記事、佐白(さしろ)山頂、城址の南側の岩場です。



このあたり一帯は、石倉と呼ばれております。
このあたり、標高が高いところから切り出せは、低い場所の現場には、搬出し易く、有利だったはず。
石は重いですし、昔は皆、人力でしたから。



昔も昔、慶長年間、今から415年ほど昔と、記録にはあります。
関が原の合戦前夜です。
石垣工事の先進地、近江の技術者の影響もあるようです。



岩盤を構成する鉱物の「目」に合わせて、一列に、ノミで穴をうがちました。
そこに鉄のクサビを打ち込んで、時間をかけて徐々に、石を切り出します。
業界では、クサビを矢とも呼び、この穴を、矢穴と呼んだりします。



全てが人力、時間のかかる作業です。
ダテに、刻んだものでなし。
何らかの事情で、計画が変更になり、作業が中断した。
その後の、長年の風雪が、大石を割ったという物語でしょう。



その時の、石工さんの心情は。
普請奉行のお武家さんの心情は。
矢穴の蜂の巣さんは、何も語らず。
見学者の史眼に、ゆだねられております。



石倉への道すがら、天然の岩の摂理を観察できます。
昔の人は、どう見たか。
きっと、命がけで見たと思います。



ただ今、城址は、森に包まれております。
あの頃、世は既に、鉄砲の時代でした。
思えば、あの頃から、アジアや新大陸の大困難が始まっておりました。

あの時代から、いろいろな荒波が、押し寄せてきました。
押し寄せ続けております。



荒波越えた痕跡も、痕跡洗う荒波も。
あまねく照らすお天道様に、まずは感謝を致しまして。
本年の、土曜記事に臨む所存でございます。
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