鉄腕アチョ

先天性心疾患の長男(2003年4月7日生)の闘病と成長日記

事前検査。

2008年04月12日 10時10分09秒 | Weblog
2008年4月11日。

手術前の検査のため、10時に病院に来てくださいと言われたので、
自宅(埼玉県越谷市)を朝5時半に出発。

例によって、車の後部ハッチに酸素会社から借りた中型酸素ボンベ設置し、
弟のドゥはカミさんの実家に預かってもらってアチョ・パパ・カミさんの面子。

またもやあいにくの雨。

ここんとこ、静岡に行くときは天気に恵まれない・・・

アチョは今回も富士山が見えないことが多いに不満。

予想以上にスイスイ行って、9時10分には静岡こども病院に到着。


新しく出来た西館の新病棟へ。
すごくキレイ。

その後、いろいろな検査(心エコー・レントゲン・採血など)を実施。

終わったのは午後3時頃でした。

ああ疲れた・・・

手術は、16日水曜から、とのこと。

アチョ・ドゥのお気に入り④

2008年03月09日 18時15分33秒 | Weblog
最近アチョ&ドゥのハマっているもの。

それは・・・YOUTUBE!!!

リクエスト率の高いのは、
おしりかじり虫
だんご3兄弟(懐かしい!!)」
アンパンマン
「ピタゴラスイッチ(装置10本アニメなど)」
「電車の走ってる動画(特に東武特急スペーシアの動画)」
「ジェットコースターの動画(スチールドラゴンが特に)」

などなど。

いや、ホント便利な世の中になったもんです

今日は、Wiiスポーツの「ボウリングなぎ倒し動画」とか見てキャッキャ笑ってました

Wiiも私自身が欲しいのですが、こんなもん家にあったら子供たちがハマるのは目に見えてるので、ちょっと躊躇中

3月。それは需要期・・・

2008年03月08日 01時24分40秒 | Weblog
3月に入ってからというものの、わたくしアチョパパは帰宅時間が激しく遅くなった。

それというのも、3月は決算企業の多い需要期。

予算がものすごく高い。
それはもう往年のジャイアント馬場さんのように。

比例して、仕事も外回りのあとの事務処理量が飛躍的に増える。

見積・日報・提案書・・・やんなきゃならんことがてんこもり。

自然、帰りが遅くなり・・・

今日も、たったいま(AM1:00)に帰ってきたばかり。
武蔵野線がもうなかったから、大宮→南浦和まで京浜東北で移動してそこから南越谷の自宅までタクシー。

5,300円もかかってしまった。たけえ。

最近アチョとドゥの動いている姿は、朝の出掛けの30分くらいしかみてない。

しばらくみてない間に、ドゥがものすごくおしゃべり出来るようになってて驚いたり。

ヤバイ、家族の中で一人だけ子供の成長度合いについてけてない。

土日は気合入れて遊んでやらねば。

カニューレが・・・

2008年03月02日 21時36分57秒 | Weblog
先週のことですが・・・

翌日が朝から小児医療センターに行くことになってたので、カミさん&アチョ&ドゥの3人はカミさんの実家にお泊りすることになりました。

その夜にアチョ&ドゥが遊んでいるときに、はずみで、
ドゥがアチョの喉のカニューレを外してしまう事件が起こりました。

ちょっとケンカになって、思いっきり下に酸素吸引のチューブを引っ張ったらスポッと抜けてしまったようです。

そのとき、予備のカニューレは持っていっていなかったので大騒ぎに。

とりあえず抜けたカニューレを即座に喉の切開部分に差し戻し(細菌などが入るかもしれないので本当はよくないのでしょうが、そうしておくしかないような状況だったとのこと)、
カミさんが車飛ばして自宅マンションまでカニューレ取りに来て、そのまま大慌てで戻っていきました。

その間、アチョは大泣き
カニューレが外れたのがよほどショックだったのか、
差し戻したカニューレがもう外れないようにと、両手でずっと押さえてたそうです。

生後数ヵ月後からずっと装着してるだけに、相当不安だったのでしょう。

その後カニューレを入れなおし、翌日小児医療センターで顛末を説明。

消毒しなおして少し様子みましょう、となりました。

その後ちょっと熱が出て(38度台)、寝るときに寒い寒いと言う日が何日か続きました。

また、夜に何度かうなされて泣きながら目を覚ますことが何回か。

こわいこわいとベソかいてましたが、もしかしたらカニューレが外れたときのショックが尾を引いているのでしょうか・・・

最近になってようやく平常時の状態に戻ってきましたので、やれやれやっと一安心、といったところです。

しかし、ドゥには悪気はなかったにしろアチョの気管切開部分には触れてはならないことを再度徹底しないといけないな、と思いました・・・

遅ればせながら・・・・

2008年01月14日 12時18分35秒 | Weblog
あっという間に年越し。

遅ればせながらあけましておめでとうございます。

結局、静岡こども病院からの連絡は全くなし!!ハハハ・・・

まあこうなったらのんびり気長に待ってようと思ってます。

カミさんは例によってせっかちなので
「もう忘れられちゃったんじゃない?」

とか言い出してますが、先方に電話しても看護婦さんに
「連絡あるまで待っててください
といわれるばかりなのでどうしょうもない。

それに、実はワタシのほうが昨年10月に追突されたときの首の痛みがピークに達してます。

いま呼ばれても体調的にツライとこだったので、まあちょうど良かったとも言えます。

基本的に毎日電気針とマッサージのリハビリやってまして、
しかしそのマッサージがものすごく弱い感じの、どちらかというとただ患部をさするだけのような全然気持ちよくないマッサージでした。

「これ効果あんのかな?
とか思ってましたが、正月に行き着けの整形外科が休みでリハビリを一週間やらなかったら一気に症状が悪化しました。

ここで初めて、ああ、あのマッサージはちゃんと効いてたんだな、と実感。

疑ってすんませんでした・・・

今年のカゼ

2007年12月15日 13時30分17秒 | Weblog
現在、2007年12月15日13時13分。

いまだ、病院から連絡来ず(笑)

年内の手術はもうないのかな?などと思いつつ、もう腰すえて気長に待とうという心境に。

しかし、私(アチョパパ)のカゼが全然治らなくて困ってます。

地元・越谷の内科の先生に診てもらったところ、
「今年のカゼは熱が出なくて咳だけが3週間以上続くのが特徴。」
との事でした。

確かにいまだに咳が続いてて、マスクは外せない状態です。

こんな状態なので、かえって病院から呼び出しが掛からなくてよかったかな、とも思ってます。

あまり病院内でゴホゴホ咳してるのもナンですし・・・

アチョは現在絶好調ですが、もうこの時期には静岡行ってると思ってたので学校も休み取ってしまっていて、
「がっこういきたい」と
ブツブツ言ってます。かわいそうに・・・

いまだ連絡来ず

2007年12月09日 11時28分53秒 | Weblog
11月に手術の説明に行ったときには「11月末か、12月アタマに手術を」という説明を受けていたのですが、現時点で病院から連絡がありません。

会社には長期の休みを取らねばならないので事前に12月初旬には居なくなることを周囲に伝えて、引継ぎなどもしておりました。

しかしまだ連絡が来ないので、会社で顔会わすと「あれ?まだ居たの?」などと人に言われることも・・・

この分だと今月はないんじゃないか?などと、カミさんは早くもそんなことを言い出したりしてます。
それは判断が早すぎだろと思いますが・・・

しかし静岡で年を越すのはもうほぼ確実でしょうか。

アチョが無事治ってくれるならそんなのどうってことないですがね・・・


ふんだりけったり・・・

2007年11月13日 21時42分59秒 | Weblog
10月31日、わたくしアチョパパは追突されました。
仕事中で営業車に乗って渋滞待ちしてたら後ろからぶつけられ、ムチウチになってしまいました・・・

首はそれほど痛みませんが、むしろ頭痛のほうが困ってます。
仕事してて夕方近くになるともう首は凝るわアタマはズキズキするわ・・・

現在、毎日整形外科にリハビリ通院中です・・・

それに加えて、この土日に冷え込みが強かったせいか、思いっきり風邪引きました。

咳連発、痰もからみまくり、ハナミズ洪水。

医者に行ったら蓄膿症にもなりかけてるそうで、抗生物質を整腸剤とともにたらふく処方されました。

それを3食ごとに飲んでましたら下痢しっぱなし。
抗生物質飲んだらハラ下すのはしょうがないですが、
もはやビオフェルミンぐらいでは私の胃腸を落ち着かせることは出来ないようですね。

・・・と思ったら今日になってアチョまで咳が多くなって痰が黄色いのが大量に出て、ああ大変だウツシちまった

今日は定例の小児医療センターの気切交換の日だったので、ついでに風邪のほうも見てもらって薬飲ませたらアチョもハラ下してしまった・・・

親子して踏んだり蹴ったり。うつしてごめんなさい・・・

退院してから・・・

2007年05月03日 19時28分04秒 | Weblog

アチョが退院してから・・・ 前にも書きましたが、ひさかたぶりに家族4人での生活を再開・・・と思いきや、その後一ヶ月もたたずに私が急性大腸炎で入院!!!

カミさん&アチョ&ドゥの3人は、仕方ないからカミさんの実家でしばらく生活することになりました。

でも、じいじ&ばあばと二週間ほども一緒だったので子供たち2人はすこぶるご機嫌だったようです。

私の見舞いに3人で来たときだってアチョのヤツ「はやくばあばのうちかえる」とか言ってやがったし・・・

 

私が退院できたのは2006年12月半ば、もう世間の雰囲気はすっかり「年の瀬」一色になっていた頃でした。

退院しても体がまだ戻りきってないので自宅で一週間ほど療養することにしましたが、ガキんちょ二人組がいると心身ともに休まらないだろうというカミさんの配慮のもと、療養期間中も子供たちはカミさん実家に連泊別に私がいなくても特に影響はなく、非常に楽しそうだとのこと・・・

次週には3人も戻り、仕事にも復帰。あわただしく2006年が暮れていきました。

大晦日の日にはやっと腰を落ち着けて家族4人で年を越せてほっと一息ついた感じでした。

 


たいへんご無沙汰しておりました。

2007年03月11日 17時38分22秒 | Weblog
すみませんものすごく久々です。

実は、去年の11月末に私自身が「急性大腸炎」で入院してしまいました。
アチョの入院のあとに立て続けに今度は自分が入院することになるとは
まったく想定外のことで・・・

その日も普通に仕事で営業先に行ってたら、ものすごくハラの調子が悪くなって商談中にもかかわらず7回ほど中座してトイレ借りたりしまして、
お客さんも「あんた顔色ものすごく悪いから今すぐ病院行ってきなよ」
と言ってくれたのでそのまま越谷市内の胃腸系の病院に。

そしたら「即入院してください」と言われびっくり!!
流行してたノロウイルスではなかったようですが、何か悪いウイルスでも入ったようです。
採決の結果が白血球の数値がものすごく高いのでそう判断されました。

何でも、胃腸をカラッポにして、抗生物質で悪いウイルスをすべて殺しきらねばならないとのことで、3日ほどは食事なしで点滴のみ。

いや、私も入院というものが初めてだったんですが、日頃時間に追われる仕事をしているせいか、こんなにのんびりした日々を過ごしたのは本当に久しぶりでした。

カミさんに家から持ってきてもらった小説読んだりNintendoDSやったり、テレビカード買ってベッド脇のテレビ見たり。

会社の上司の方や同僚が見舞いきてくれたときに持ってきてくれた雑誌見たり。

浦和レッズの初優勝シーンもベッドから見てました。(埼玉県人なので・・・)

二週間入院のあと一週間自宅療養して12月下旬に仕事復帰。

そしたら、アチョの入院の付き添いプラス自分の入院で都合一ヶ月半ほど会社を休んだため、すさまじいほどの仕事量が待っていました。

いや、対お客さん相手の営業の仕事なので、不在の間の事務処理とかの仕事は上司の方や同僚が対応しててくれたんでそれほどでもないんですが、要するに「売り先」がまったくない状態になってしまっていたので、それをまた一から作り直す仕事にものすごい労力を必要とした、といったところです。

そんなこんなで忙しさにかまけて更新サボってましたすみません

ここ最近になってようやく体調ももとに戻ってきたので久々に更新してみました。

アチョのほうは前回書きかけで中途半端になっておりましたが、無事退院し今のところ経過も良好。とりあえず元気です。

詳細は次回に・・・



通勤場所

2006年07月17日 12時42分58秒 | Weblog
私の勤める会社はヘンな会社で、6月が営業決算で7月に人事異動があります。

決算の6月は予算もすさまじく高く、例年売り上げを上げるために営業はものすごい労力をつぎ込むことになります。それでヘトヘトになった6月の最終週くらいに人事異動の内示が始まるのですが、今回ショックなことがありました。

入社以来の親友である同期の営業O君が、今回いきなり東北の地方支店に転勤させられてしまいました。

O君は12年ほど前に同じ部隊に所属になり、勤務地は別々でしたが当時お互い独身でヒマだったので土日とか休みの日にはつるんで遊んでた仲なのですが、最近も別の部署ながら同じ埼玉の営業部同士なのでたまに顔をあわせ、飲みに行ったりもしていました。

一年前くらいに蓮田にマイホームを購入したばかりで、お子さんも3歳くらいの娘さんがいて奥さんも元同僚なのでよく知ってて・・・という感じでした。

それが、いきなり仙台支店へ転勤です。

ウチの会社は管理職でもないかぎり自宅通勤圏から通えない部署へは転勤させない、というのが不文律としてありました。営業のノルマ等には非常に厳しい会社ですが、そういう所だけはすごくいい会社だと思っていました。が、今回ばかりはそれが崩されたようです。

私も大変驚きましたが、本人のショックはその比ではないでしょう。
また、周囲の社員もみな一様に大変ショックを受けていました。

7月も半ばを過ぎ、O君は仙台支店に社命通り赴任していきました。最初は蓮田から新幹線で通勤する!と言っていたのですが、さすがに往復6時間は無理だということで最近は単身赴任するハラを決めた、と言っていました。

別の部署での決定なので詳しいことはわかりませんが、どうやら直接の原因は上司との人間関係のもつれ、と聞いています。

その上司の人は一回もしゃべったこともないので全然知らないのですが、もし本当に感情にまかせて恣意的な人事をしているのだとしたらとんでもない事です。

O君には気の毒としかいいようがありませんが、私もひとごとではありません。

今現在は上司ともうまくいってますし、私自身会社への待遇の不満などはないですけど、いつこのような事に陥るとも限らないのです。

アチョの病気のことがあるので家族と離れることは絶対に出来ませんし、よって単身赴任など思いもよりません。

暗澹たる気持ちに陥りましたが、先日O君が送別会の席でこんなことを言っていました。
「今回のこんなことがなければ家族とこれほど会話することはなかったと思う。家族のありがたさを感じた」と。

家族との対話は重要ですね・・・





カテーテル検査の続き

2006年03月16日 00時14分16秒 | Weblog
2005年10月28日。
カテーテル検査当日。
カミさんはドゥの世話をしなければならないので今日は家で待機。
朝から私と私の母の二人で病院に赴き、先生から説明を受けました。

麻酔で眠らせて、手術室に搬送するのを廊下で見送り。待合室のソファーで食事を取りながらひたすら待ち。
この待合室での待ち時間というヤツは本当に気が気でないというか、不安な感情が沸き起こってきてしまうのであえて小説とか読んで気を紛らわす。

「それにしてもけっこう長いな、もう3時間たったぜ」とか母と話してたらやっと終わって出てきました。
CCUで術後の処置をして、またしばらくしてからやっと一般病室に戻ってきました。

麻酔がまだ効いてるのか爆睡のアチョ。
談話室に呼び出され、先生から検査の説明を受けることに。

そこでちょっと驚く話を聞かされました。

アチョの心臓までカテが達し、検査し終わって引っ込めようとした矢先にカテーテルのバルーンが突然パンクして割れてしまったと。

こんなことはこの病院開設以来はじめての事故だというのです。

私も母も凍りつきましたが、実際それによってどういう事態が起こるのか聞くと
「もしバルーンの破片が体内に残っていると血管を閉塞させる原因となり、ただでさえ高血圧気味のアチョにはさらに負荷が増大してしまうことが予想される」
ということですが、破裂したバルーンの裂け目を調べてみたらどうも破片が飛び散った形跡はなさそうに見え、垂直に亀裂が入っているだけの可能性が高い。しかし破片が残っていないとは断言できず、残ってれば炎症反応とか出てすぐわかるハズなので明日まで血液検査などをこまめにチェックしてみます、とのこと。

また、バルーンの製造メーカーにも厳重な抗議をし、事故原因の調査と今後の対策を要求するともお話されました。

あとはとにかく平謝りするしか申し上げる言葉がありません、と言われ、さすがに冷静では居られませんでしたがもう起こってしまったことは仕方がないので気持ちを切り替え、血液検査に変な反応が出ないことを祈るばかりでした。

電話でそのあらましを聞いたカミさんとカミさんご両親も慌てて病院に駆けつけて来ましたが、その頃にはアチョが眠りから覚め、拍子抜けするほどいつもと変わりない普段どおりの元気なアチョだったので「これなら大丈夫かねえ?」と顔を見合わせる大人たち。

結果、次の日になっても反応は何も出ず、心の底から一安心。しかし冗談じゃないよまったく・・・と愚痴のひとつもこぼしたくなりました。

しかし、肝心のカテーテル検査自体の結果はあまり芳しいものではありませんでした。

肺動脈の右肺への血流が見えず、血管が閉塞してしまった疑いがあるとのこと。
要は、今のアチョはほとんど片肺だけで生活してるようなのです。

また、肺高血圧も進行してて左の肺に対する負荷も今後増していくだろうという見立てで、なんだか悲観的なお話ばっかりです。

私の母もその説明を聞いてて涙ぐんでいましたが、私も気持ちの整理がつかず困惑しました。

本人はいたって明るく元気なのでパッと見あまり気づきにくいのですが、最近チアノーゼが進行してたり痰の出る回数が増えたり、と兆候らしきものはあったので、何か状態が悪化してるのかなとは思いましたが、これは予想以上に厳しい状況です。

でも、アチョは病室で無邪気にはしゃいでいて、私の母に「こないだ行った観覧車にまた連れてってくれ」というアピールを腕をグルグル回すゼスチャー(観覧車を表現しているらしい。アチョは碌にしゃべれないのでゼスチャーでの表現力は発達している?)で訴えています。

それがまた余計に哀れに思える日でした・・・



おひっこし2

2005年12月25日 18時30分16秒 | Weblog
前回の続き。マンションの現場を数日かけて見学に回ることになりました。

まず一件目。平成10年築。ここはまだ入居者の人が住んでいて、家具などが配置してある状態で拝見させていただきました。
お子さんが二人いるご家庭なのに驚くほどキレイな部屋で、ご主人はタバコも吸わないということなので壁紙なども取り替える必要がないくらいでした。
駅から徒歩12分、とは謳ってありますが実質は15分くらいかかるでしょう。
部屋的にはなんら問題がないが、もうちょっと駅近の物件も見たいね、ということで他のも見てみることに。


二件目。今度は築5年くらいで、2F、徒歩5分。近い!!!
部屋も新しく、バルコニーがなんと30㎡もあるのにビックリ
モデルルームのようにサンプルの家具が置いてあります。
夏場には南越谷名物の阿波踊りがここからゆったり見物できるというのがウリだそうです。
すばらしい!しかししかし、唯一の、かつ致命的な欠点がありました。
居間が超狭い・・
テーブルとソファを置いたらもういっぱい、というぐらいの大きさしかなく、これだけ立地条件がいいのに売れ残ってる理由はどうもこれが原因とみました。


三件目。徒歩7分。10階建ての9階。眺めはすごく良好です。しかし、築昭和60年なのでやはり先ほどの二件を見たあとでは印象がすごく悪く感じてしまいます。
しかも、昔のマンションのせいか給水設備が前時代的で、風呂場の脱衣所のところに直径1mほどの貯水タンクが設置してあり、そこから水を供給しているようです。一言で言うとジャマ!

四件目。築3年。徒歩7分。かなり大きな(300世帯くらい?)マンション。入り口がホテルのロビーのようにソファーが置いてあって非常におしゃれな雰囲気。マンションの建物がカタカナの「コ」の字型に並んでいてその間が公園になっていてブランコや滑り台などの遊具も設置してあり、設備的にはかなり充実してます。
部屋も間取りも広々としていて、今まで見た中で最高の物件でした。
ただ・・・お値段が高い!!そりゃそうだ。
予算的に最初から無理っぽいところだったので、目の保養だけで終わりました。

・・と二週間ほどかけて見て行くうちに、なにげに一番最初にみたヤツが一番いいんじゃない?という話になってきました。
最初に見てしまったのでそのときはあまりわからなかったのですが、何件かみていくうちにやっとその良さに気づいてきました。

その物件他に決まってないか聞いてみると「まだ大丈夫」との返事。

もう一回だけ見学させてくれ、とお願いし、今度はカミさんの家族やアチョもみんな連れ立って見に行きました。

アチョは遠くに電車が走ってるのをベランダから見れるのがたいそうお気に召したようでした。というのもこの頃アチョは電車が大好きで、のりものの本とかサンリオの「しんかんせん」とかがお気に入りでしたから。

アチョが気にいったんならもう決まりだな、ということでここに決めちゃいました。

引渡しは2005年の1月となりました。これを書いてる今時点でも、耐震構造計算は問題ない(らしい)のでとりあえず良い買い物だと思ってます。










おひっこし

2005年12月11日 00時41分04秒 | Weblog
2004年初冬。

この頃から、浦和はカミさんや私の実家から両方とも遠く、何かと不便なので引越ししよう、という話が持ち上がりました。

そのときの家はJR埼京線の中浦和駅から徒歩15分くらいのところにある賃貸アパートです。


家の付近は静かな住宅街でお店も近くに色々あるし都内への交通も近いしけっこう気に入ってました。

が、カミさんのご家族や私の家族は最低片道一時間かけて毎日入れ替わりでアチョの手伝いをしに来てくれてます。

さすがに体力的にキツイ、という話になってきました。

それと、家賃が高いので、中古マンションとか買っても今より支払い月額が下げられるなら買っちゃったほうがいいよね、という論法です。


カミさんの実家のほうに近くなる場所がいいな、と考えましたが、それにあたってよい方角を占ってもらおう、ということになりました。

埼玉県の吉川市に東洋占星術の占いの先生があるそうで、カミさんと妹さんがそこに地図を持って見てもらいに行ったそうです。
(私は一度もいったことないのでどんなところか知りません

その結果、今の中浦和の家から東北の方向に30度の角度で扇形に開いた方面が非常に良い、ということでした。

アチョを面倒見てもらってる間にカミさんと二人で武蔵浦和あたりの不動産屋を見て回ってそこに該当する物件がないか探すところから取り掛かりました。

武蔵浦和や南浦和は京浜東北沿線で高いし、越谷市あたりいいんじゃないか?と目星をつけ、築10年以内の手ごろなヤツをネットや雑誌で物色

すると、カミさんのお母さんのお友達(カミさんも良く知ってる人)が越谷市で不動産業をやってるというのでいっそそこに相談したらどうかという事になり、知り合いなら安心だからと該当物件の検索をお願いしました

そのうち候補が絞れてきて、実際現場に行ってみてみることになりました。