2005年10月28日。
カテーテル検査当日。
カミさんはドゥの世話をしなければならないので今日は家で待機。
朝から私と私の母の二人で病院に赴き、先生から説明を受けました。
麻酔で眠らせて
、手術室に搬送するのを廊下で見送り。待合室のソファーで食事を取りながらひたすら待ち。
この待合室での待ち時間というヤツは本当に気が気でないというか、不安な感情が沸き起こってきてしまうのであえて小説とか読んで気を紛らわす。
「それにしてもけっこう長いな、もう3時間たったぜ」とか母と話してたらやっと終わって出てきました。
CCUで術後の処置をして、またしばらくしてからやっと一般病室に戻ってきました。
麻酔がまだ効いてるのか爆睡
のアチョ。
談話室に呼び出され、先生から検査の説明を受けることに。
そこでちょっと驚く話を聞かされました。
アチョの心臓までカテが達し、検査し終わって引っ込めようとした矢先にカテーテルのバルーンが突然パンクして割れてしまったと。
こんなことはこの病院開設以来はじめての事故だというのです。
私も母も凍りつきましたが、実際それによってどういう事態が起こるのか聞くと
「もしバルーンの破片が体内に残っていると血管を閉塞させる原因となり、ただでさえ高血圧気味のアチョにはさらに負荷が増大してしまうことが予想される」
ということですが、破裂したバルーンの裂け目を調べてみたらどうも破片が飛び散った形跡はなさそうに見え、垂直に亀裂が入っているだけの可能性が高い。しかし破片が残っていないとは断言できず、残ってれば炎症反応とか出てすぐわかるハズなので明日まで血液検査などをこまめにチェックしてみます、とのこと。
また、バルーンの製造メーカーにも厳重な抗議をし、事故原因の調査と今後の対策を要求するともお話されました。
あとはとにかく平謝りするしか申し上げる言葉がありません、と言われ、さすがに冷静では居られませんでしたが
もう起こってしまったことは仕方がないので気持ちを切り替え、血液検査に変な反応が出ないことを祈るばかりでした。
電話でそのあらましを聞いたカミさんとカミさんご両親も慌てて病院に駆けつけて来ましたが、その頃にはアチョが眠りから覚め、拍子抜けするほどいつもと変わりない普段どおりの元気なアチョだったので「これなら大丈夫かねえ?」と顔を見合わせる大人たち。
結果、次の日になっても反応は何も出ず、心の底から一安心。しかし冗談じゃないよまったく
・・・と愚痴のひとつもこぼしたくなりました。
しかし、肝心のカテーテル検査自体の結果はあまり芳しいものではありませんでした。
肺動脈の右肺への血流が見えず、血管が閉塞してしまった疑いがあるとのこと。
要は、今のアチョはほとんど片肺だけで生活してるようなのです。
また、肺高血圧も進行してて左の肺に対する負荷も今後増していくだろうという見立てで、なんだか悲観的なお話ばっかりです。
私の母もその説明を聞いてて涙ぐんでいましたが、私も気持ちの整理がつかず困惑しました。
本人はいたって明るく元気なのでパッと見あまり気づきにくいのですが、最近チアノーゼが進行してたり痰の出る回数が増えたり、と兆候らしきものはあったので、何か状態が悪化してるのかなとは思いましたが、これは予想以上に厳しい状況です。
でも、アチョは病室で無邪気にはしゃいでいて、私の母に「こないだ行った観覧車にまた連れてってくれ」というアピールを腕をグルグル回すゼスチャー(観覧車を表現しているらしい。アチョは碌にしゃべれないのでゼスチャーでの表現力は発達している?)で訴えています。
それがまた余計に哀れに思える日でした・・・