阿南神召キリスト教会 礼拝メッセージ

徳島県の阿南神召キリスト教会の礼拝メッセージです

ピリポとナタナエルの召し

2013-06-26 22:35:16 | Weblog

2013.6.23.ピリポとナタナエル

聖書 ヨハネ1:43~51

題  ピリポとナタナエルの召し

暗唱聖句

ヨハネ14:9「イエスは彼に言われた。『ピリポ。わたしを見た者は、父(神)を見たのです。』」

はじめに

1.ピリポ

2.ナタナエル

3.イスラエル人の救い(完成されたユダヤ人)

 

はじめに

先週はペテロとアンデレ、ヤコブとヨハネの召しについて、学びました。今日はピリポとナタナエルの召しについて学びます。

1.ピリポ

ピリポはベッサイダ出身の人です。ベッサイダは「漁の家」という意味があります。ガリラヤの北の方の町で、現在、発掘が進んでおり、整備されてきています。2000年前はもっとガリラヤ湖の水位は高かったと思われます。ですから、ベッサイダの近くまでガリラヤ湖畔が迫っていたのではないかと言われています。ペテロもアンデレもベッサイダ出身でした。彼らはカペナウムに移動しています。やはり、カペナウムの方が湖に近く、漁には便利だったのですね。

おそらく、ピリポもバプテスマのヨハネの弟子だったのでしょう。イエス様は直接自分からピリポに声をかけておられます。

ヨハネ1:43 

「その翌日、イエスはガリラヤに行こうとされた。そして、ピリポを見つけて「わたしに従って来なさい」と言われた。

主イエスの時代の習慣では、ユダヤ教の有名なラビ(師)の弟子になりたい人は自分からラビに申しでて、受け入れてもらっていました。しかし、ここではイエス様がピリポに声をかけておられます。「わたしに従って来なさい。」と。これは当時の習慣としては例外的な出来事です。ピリポはイエス様の招きにすぐに応答しました。そして、ピリポはナタナエルにイエス様を紹介しました。

ペテロやアンデレは直感的で行動的な人でした。しかし、ピリポは理性的で知的な人でしたから、聖書に精通していたと思われます。イエス様をナタナエルに紹介する時にこう言っています。「私たちは、モーセが律法の中に書き、預言者たちも書いている方に会いました。ナザレの人で、ヨセフの子イエスです。(ヨハネ1:45)」「モーセが律法の中に書き、預言者たちも書いている方。」と言っているのです。知的な人にとっては説得力があります。人々にイエス様のことを紹介する場合、ある人にとっては体験談が良く、ある人にとっては聖書の知識が必要な場合もあります。伝道する相手によって異なりますので、良く相手の方と知り合いになって、その人が知りたいと思う方法でイエス様を紹介してあげてください。自分が説明しなくてもよいのです。誰かを紹介して、お友達になっていただいたらよいのです。

ピリポとナタナエルは良く一緒に出てくることが多い人たちです。きっと同じような性格で、親しい友達だったのでしょう。

 

 ピリポは5つのパンと2匹の魚で5000人を養われたパンの奇跡の場面に出てきます。

 

ヨハネ6:5~9「イエスは目を上げて、大ぜいの人の群れがご自分のほうに来るのを見て、ピリポに言われた。「どこからパンを買って来て、この人々に食べさせようか。」

 6:6 もっとも、イエスは、ピリポをためしてこう言われたのであった。イエスは、ご自分では、しようとしていることを知っておられたからである。

 6:7 ピリポはイエスに答えた。「めいめいが少しずつ取るにしても、二百デナリのパンでは足りません。」

 

 イエス様はピリポに質問されています。この質問はピリポを試すためのものでした。どうして、試されたのでしょうか。それは弟子訓練の為でした。ピリポは知的で理性的でした。理屈に合うことが彼にとって重要なことでした。ですから、この理性中心の信仰から抜け出ることが必要だったのです。どうしてそのようなピリポの性格がわかるでしょうか。

イエス様が「どこからパンを買ってきて、この人々に食べさせようか。」と言われた時、「こんな大勢では200デナリあっても足りません、どうするのですか、イエス様。私たちにはそんなお金ありませんが・・・」と答えているからです。200デナリというのは200日分働いて得る賃金のことです。人間的に考えれば、ピリポの言っていることは正しいのです。しかし、信仰ではそれ以上の超自然的なことが起こるのです。イエス様はピリポにそのことを知ってほしい、そして、成長してほしいと願われたのでした。その後、イエス様は、5つのパンと2匹の魚を手にとって、祝福されました。すると、パンも魚も増えて行ったのです。ピリポはイエス様がなさった方法を見て、さぞ、びっくりしたことでしょう。パンが増え続けたのですから。そればかりではなく、パン切れの残りが12のかごいっぱいになったのです。

 ピリポは哲学者のようなタイプの人です。彼の長所は知的で理性的なところです。ナタナエルのような知的で理性的な人には説得力があったことでしょう。しかし、信仰者として成長するためには、もっと信仰の飛躍、ジャンプが必要でした。神の言葉、キリストの言葉にたいする絶対的な信頼です。キリストへの信頼は神の言葉を通して深くなっていきます。私たちの信仰はどうでしょうか。イエス様に喜ばれる水準まで達しているでしょうか。

 

 ピリポは哲学者タイプの人で、ギリシャ人にも説得力がありました。ギリシャ人はどんなタイプであったかと言うと、パウロはこう言っています。「ユダヤ人はしるしを要求し、ギリシャ人は知恵を追求します。しかし、私たちは十字架につけられたキリストをのべ伝えるのです。」(Ⅰコリント1:22,23)

ギリシャ人への対応

 

ヨハネ12:20~22

「さて、祭りのとき礼拝のために上って来た人々の中に、ギリシヤ人が幾人かいた。

 12:21 この人たちがガリラヤのベツサイダの人であるピリポのところに来て、「先生。イエスにお目にかかりたいのですが」と言って頼んだ。12:22 ピリポは行ってアンデレに話し、アンデレとピリポとは行って、イエスに話した。」

 

ピリポという名前は新約聖書の中には4人でてきます。一人目は使徒ピリポ、今話している人物です。それからヘロデ大王の息子たちが2人(ヘロデ・ピリポ、国主ピリポ)、そして使徒の働きに出てくる伝道者のピリポ(使徒6:5、8:5、36、21:8~9)です。このピリポという名前はギリシャ風の名前です。ですから、ギリシャ人が最初に声をかけたのがピリポだったようです。どこか自分たちと似ているところがあったのかもしれません。ピリポは哲学的に物事を考えるので、ギリシャ人の考え方が理解できました。永遠の求道者だったのです。しかし、思慮深い彼は決断力がなく、直感型で行動派のアンデレに相談し、一緒にイエスの所にギリシャ人のことを話に行きました。

 

最後の晩餐の時

 (ヨハネ14:8~9)

「14:8 ピリポはイエスに言った。「主よ。私たちに父を見せてください。そうすれば満足します。」 14:9 イエスは彼に言われた。「ピリポ。こんなに長い間あなたがたといっしょにいるのに、あなたはわたしを知らなかったのですか。わたしを見た者は、父を見たのです。どうしてあなたは、『私たちに父を見せてください』と言うのですか。」

 ピリポは神が現われてくださるのをみたり、栄光の輝き(シャカイナグローリー)を見たりしたかったのだと思います。「神を見たいという願い」はいつの時代の人間でも持っています。しかし、この神を見たいという願いは、最後には偶像礼拝に行きつきます。ですから、注意が必要です。

ここでピリポは「父を見せてください」と言っています。これは「父なる神を見せてください」という意味です。これに対して、イエス様は驚くべき答えを出しておられます。「わたしを見た者は父を見たのです。」イエス様はここで「わたしは神である」と宣言されています。普通の人がこんなことを言ったら、本当に傲慢な言葉で大変です。しかし、これは真理です。イエス様は十字架にかかる前も、かかられた後も同じ神であることは変わりありません。罪をゆるす権威をもっておられる方です。

ピリポは信じる前にいろいろと勉強したり、検査したりして吟味する性格の人でした。しかし、これが信仰の成長を妨害していたのです。このような性質は良い面でもありますが、信仰的には疑うという裏面が出てきて、成長が遅れる原因になります。私たちの中にもこんな一面がないでしょうか。しかし、ピリポは目に見えない神を見せてください、会いたいと言うようになったので、弟子になった時より、成長したと思います。

 

2.ナタナエル

 今度はナタナエルという弟子の召命です。彼はガリラヤのカナの出身です。職業は漁師です。なぜなら、ペテロたちと一緒に漁に出ているからです。(ヨハネ21:2~3)

ナタナエルという名前は「神は与えた」という意味です。共観福音書(マタイ、マルコ、ルカ)では、バルトロマイ(トロマイの息子)という名前で出てきます(マタイ10:3、マルコ3:18、ルカ6:14、使徒1:13)。ナタナエルという名前で彼が出てくるのは福音書では2回だけです。(ヨハネ1:45~49、21:2)

 

(ヨハネ1:46~51)「ナタナエルは彼に言った。「ナザレから何の良いものが出るだろう。」ピリポは言った。「来て、そして、見なさい。」

 1:47 イエスはナタナエルが自分のほうに来るのを見て、彼について言われた。「これこそ、ほんとうのイスラエル人だ。彼のうちには偽りがない。」1:48 ナタナエルはイエスに言った。「どうして私をご存じなのですか。」イエスは言われた。「わたしは、ピリポがあなたを呼ぶ前に、あなたがいちじくの木の下にいるのを見たのです。」1:49 ナタナエルは答えた。「先生。あなたは神の子です。あなたはイスラエルの王です。」 1:50 イエスは答えて言われた。「あなたがいちじくの木の下にいるのを見た、とわたしが言ったので、あなたは信じるのですか。あなたは、それよりもさらに大きなことを見ることになります。」

 1:51 そして言われた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。天が開けて、神の御使いたちが人の子の上を上り下りするのを、あなたがたはいまに見ます。」

 

ナタナエルはピリポから主イエスを紹介された時、「ナザレからは良い者は出ないのに。」と反応しました。カナはナザレの近くです。ナザレは当時誰にも知られていない名前でした。だから小さな村だったのです。

イエス様はナタナエルをほめておられます。「これこそ、ほんとうのイスラエル人だ。彼のうちには偽りがない。」そして、彼がどこで何をしていたかを言い当てておられます。それを聞いたナタナエルは「先生、あなたは神の御子です。あなたはイスラエルの王です。」と告白しました。彼はイエス様のことをあまりよくわかりませんでしたが、イスラエルのメシアであることを認め、受け入れました。

 

 ナタナエルは復活のイエス様と出会います。

(ヨハネ21:1~2) 「この後、イエスはテベリヤの湖畔で、もう一度ご自分を弟子たちに現された。その現された次第はこうであった。 21:2 シモン・ペテロ、デドモと呼ばれるトマス、ガリラヤのカナのナタナエル、ゼベダイの子たち、ほかにふたりの弟子がいっしょにいた。」

ペテロ、アンデレ、ヤコブ、ヨハネが体験したことをナタナエルも体験しました。復活の主イエスに出会ったのです。そして、イエス様が最初に語られたことを体験するようになりました。復活の主と出会う時、天が開けてくるのです。ナタナエルの上に起こったことが将来のイスラエル人に起こります。ナタナエルはイスラエル人の型なのです。イスラエル人は後の時代、イエスをメシアとして受け入れる民族です。その日が早く来るように祈りましょう。

 

3.イスラエル人の救い(完成されたユダヤ人)

イスラエルの民は神が特別に選ばれた民です。それはイスラエル人を通して神がおられることを全世界に知らせ、救うためでした。イスラエル人を通して律法が与えられ、神の御一人子も、民族としては彼らからお生まれになったのです。イエス・キリストはユダヤ人です。残念ながら、イエス・キリストが来られた時、イスラエル人は盲目でした。それゆえにイエス様をメシアとして認めることができず、今日なお暗闇の中にいます。しかし、20世紀になり、イスラエル国が先祖たちと同じ土地に回復し、その中にイエスをメシアと信じるイスラエル人が多くなってきました。

彼らは復活の主に出会って、「我らは完成したユダヤ人です。」と証しています。メシア(救い主)であるイエス・キリストに出会った人々は神の国の民ですから完成したイスラエル人になります。20年ぐらい前までは「イエスを救い主」と告白すると、イスラエル人はユダヤ人ではなくなると考えられていたのです。日本人はどんな宗教を信じても日本人なので、この感覚は理解できません。

 しかし、こういうふ風に考えてみてください。私たちは日本人ですから、日本流で言うならば完成した日本人になるという表現ができるでしょうか。これは偉くなるという意味ではありません。イエス様が十字架の上で罪をゆるしてくださったので、神の国に入ることのできる特権をキリストにあって、いただいたのです。つまり、神の子供にされ、神のアイデンティティを与えられた人という意味です。私たちは日本人であると同時に天に国籍を持ったものです。このことがいかに祝福されたことであるか、もっと深くかんがえてみましょう。そして感謝しましょう。

この素晴らしい福音を一人占めにしないで、他の人に伝えましょう。特別集会まで後一週間です。祈って備えましょう。重本先生の為にも祈りましょう。


網を捨てて従った漁師たち

2013-06-16 20:39:42 | Weblog

2013.6.16.網を捨てて従った漁師たち

聖書 マタイ4:17~25

題  網を捨てて従った漁師たち

 

暗唱聖句 マタイ4:19

「イエスは彼らに言われた。『わたしについて来なさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう。』」

 

はじめに

1.ペテロ

2.アンデレ

3.ヤコブとヨハネ

 

はじめに

今月の30日にはろう者の特別集会があります。私たちは祈って、誰かを誘いたいですね。最初、誰かが誘わないと教会のことはわかりません。教会は普通の人たちとは関係がないと思っているかもしれません。「結婚式は教会で、お葬式はお寺で」と思っている人も多いかと思います。現代は宣伝の時代です。ぜひ、宣伝してください。「教会は素晴らしいところ、イエス様は素晴らしいお方です。」と。

ローマ10:13~15「『10:13 「主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる』のです。10:14 しかし、信じたことのない方を、どうして呼び求めることができるでしょう。聞いたことのない方を、どうして信じることができるでしょう。宣べ伝える人がなくて、どうして聞くことができるでしょう。 10:15 遣わされなくては、どうして宣べ伝えることができるでしょう。次のように書かれているとおりです。『良いことの知らせを伝える人々の足は、なんとりっぱでしょう。』」

 

のべ伝える人が必要なのです。「素晴らしい集会があります。ぜひ来てください。」と言って、チラシを渡してください。そして、祈ってください。祈りは魂を神さまに向ける鍵です。魂をイエス様のもとに獲得したいと思ったら、祈ることです。祈りなしには何もおきません。ですから、みんなで祈りましょう。

 

今日はイエス様の最初の弟子たちについて、話したいと思います。この弟子たちは後で使徒になって行きます。

「弟子」というのは「師から教えを受け、学ぶ者」のことです。ですから、神学生のような修業中の人たちです。権威はついていません。それにたいして、「使徒」というのは「遣わされた者」という意味で、遣わす者からの権威が伴ってきます。「使徒」になるとイエス様の権威をもって、イエス様と同じ働きができる「小さなイエス様」が誕生したことになります。イエス様は弟子の中から徹夜の祈りの後で「12使徒」を選ばれました。しかし、この使徒たちはもともとガリラヤの漁師たちでした。そして、主イエスを「師」と仰ぎ、「学ぶ者」だったのです。最初の出発は小さな出発から始まります。その小さな出発を侮ってはなりません。小さなことに忠実な人に大きなことを任せてくださるのです。

そして、人は出会いによって運命が大きく変わります。この弟子たちは、メシアであるイエス様との出会いによって大きく人生が変わりました。彼らの人生が奇跡と冒険に満ちた充実した人生に変わっていったのです。

もし、自分の人生が素晴らしい人生に変えられるとするならば、その人の弟子になりたいと思うでしょう。そうしたら、その素晴らしさを知っている人が誘ってあげることです。みんな誰かに誘われて教会にきましたね。あなたも誰かを誘いましょう。

 

1.ペテロ

マタイ4:18~20

「イエスがガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、ふたりの兄弟、ペテロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレをご覧になった。彼らは湖で網を打っていた。漁師だったからである。 4:19 イエスは彼らに言われた。「わたしについて来なさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう。」4:20 彼らはすぐに網を捨てて従った。」

①    ペテロの名前は元の名前は「シモン」です。「ヨナの子シモン」(バルヨナ・シモン)と呼ばれていました。その彼に、イエス様によってペテロ(岩)という名前が与えられました。アンデレは、ペテロの弟です。

②    ペテロの職業は、漁師です。彼はガリラヤ湖の北の方にある町、ベッサイダ出身です。しかし、ペテロの一家はカペナウムに移り住んでいました。カペナウムはガリラヤ湖のすぐそばにあります。彼は結婚していました。なぜなら姑さんがいたので、結婚しているとわかります。

③    ペテロとアンデレはメシア、救い主がやってくるのを待ちのぞんでいた人でした。

④    ①~③のようなペテロに弟のアンデレがイエス様を紹介しました。この時、ケパ(訳すとペテロ)という名前が与えられました。この時からペテロはイエス様のパートタイムの弟子になりました。

⑤    それから、イエス様の活動を直接見ることになりました。たとえば、カナの婚礼の奇跡、過ぎ越しでの宮清め、ニコデモとの対話を聞いた、サマリヤの女との対話、カペナウムの役人の息子のいやし、・・・まだありますね。大漁の奇跡などの経験を通して、フルタイムの弟子として、イエス様に召されて行きました。

⑥    フルタイムの弟子になったペテロはもっとたくさんの霊的な経験をしました。たとえば、悪霊の追い出し、姑の熱病の癒し、中風の人の癒し、ライ病人の癒し、マタイの召命など・・・・。

このような体験をした後で、ペテロは使徒に選ばれます。

ペテロは、ある日突然使徒になったわけではありません。ペテロはまず、イエス様と出会いました。そしてパートタイムの弟子、フルタイムの弟子という段階を通って、使徒としての召命を受けました。私たちの信仰の歩みも、これに似ています。小さなことに忠実であれば、次の段階に導かれます。イエス様と共に、献身の階段を上っている人はとても幸いです。

 

2.アンデレ

アンデレはペテロの弟です。2人の性格はとても違います。ペテロは目立ちますが、アンデレは目立たない性格です。職業は漁師、ベッサイダ出身の人でした。カペナウムに移住し、ペテロと一緒に住んでいました。

(マルコ1:29)「 イエスは会堂を出るとすぐに、ヤコブとヨハネを連れて、シモンとアンデレの家に入られた。」

 

アンデレはバプテスマのヨハネの弟子でした。

(ヨハネ1:35~36)「その翌日、またヨハネは、ふたりの弟子とともに立っていたが、1:36 イエスが歩いて行かれるのを見て、『見よ、神の小羊』と言った。」一人はアンデレです。もう一人の人の名前はありませんが、これはヨハネです。

「見よ。神の子羊。」という言葉を聞いたことが、アンデレの生涯を変えました。

 

アンデレの生涯の中で重要なことはアンデレが最初の弟子であったことです。そして、弟のアンデレが兄のペテロをキリストに導いたことです。

(ヨハネ1:40~42)「ヨハネから聞いて、イエスについて行ったふたりのうちのひとりは、シモン・ペテロの兄弟アンデレであった。1:41 彼はまず自分の兄弟シモンを見つけて、「私たちはメシヤ(訳して言えば、キリスト)に会った」と言った。 1:42 彼はシモンをイエスのもとに連れて来た。」

このアンデレの最高の奉仕は兄のペテロをイエス・キリストに導いたことです。活躍する兄を見て、アンデレも嬉しかったに違いありませんし、そんな兄を見て誇りに思っていたことでしょう。アンデレは最初からイエス様をメシヤであると信じて弟子になりました。その判断と行動がキリスト教の歴史を作ったのです。アンデレの特徴は、人々をイエスに紹介する、イエスに導くという賜物を持っていました。兄のペテロと競争するのではなく、兄を立てて、自分は目立たないところで自分らしい生き方をしたのです。このような生き方はとても大切です。自分らしく生きることです。

私たちが導く人も、将来、活躍する人になると期待できます。そう思うと伝道に胸がわくわくしませんか。ある日曜学校の教師をしている人が言いました。「この生徒の中に将来日本の大臣になって、日本の国を治める人がいるかもしれない、また宣教師になる人がいるかもしれない。そう思ったら楽しい!」

 

3.ヤコブとヨハネ

 (マタイ4:21,22)

「そこからなお行かれると、イエスは、別のふたりの兄弟、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネが、父ゼベダイといっしょに舟の中で網を繕っているのをご覧になり、ふたりをお呼びになった。4:22 彼らはすぐに舟も父も残してイエスに従った。」

(マルコ1:19~20)「また少し行かれると、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネをご覧になった。彼らも舟の中で網を繕っていた。

 1:20 すぐに、イエスがお呼びになった。すると彼らは父ゼベダイを雇い人たちといっしょに舟に残して、イエスについて行った。」

ヤコブは「ゼベダイの子ヤコブ」と呼ばれています。アルパヨの子ヤコブや主の兄弟ヤコブと混同しないようにしましょう。彼らは別人です。

父ゼベダイは漁師で裕福な人でした。なぜなら、舟も持っていたし、雇い人もいました。

ヤコブとヨハネはカペナウムに住んでいました。彼らはぺテロやアンデレの次にイエス様の弟子になりました。ゼベダイの家の人たちはペテロやアンデレの家の人たちと一緒に働いていました。協力し合って漁をしていました。

 

それから、2人の母親はサロメという人です。このサロメは主イエスの母マリヤの姉妹です。(ヨハネ19:25、マタイ27:56、マルコ15:40)ですから、ヤコブとヨハネは主イエスのいとこにあたります。このサロメはイエス様を愛して、熱心に仕えました。十字架の刑場にも一緒にいたのです。サロメは子供を愛する教育熱心な母親でした。そして子供たちが出世して成功することを願いました。イエス様の所に行って、息子たちを一人は右大臣に、一人は左大臣にしてくださいと頼んだ人です。

兄弟関係ではヤコブの名前が先に出てくるので、兄だと思います。この兄弟は弟のヨハネの方が有名です。ヤコブとヨハネは裕福な家の息子たちであり、主イエスの親戚でした。ですから少しわがままだったのでしょう。

ヤコブとヨハネには性格上の問題がありました。2人とも、短気で、排他的で、この世で成功したいという考えを持っていました。

たとえば「ゼベダイの子ヤコブとヤコブの兄弟ヨハネ、このふたりにはボアネルゲ、すなわち、雷の子という名をつけられた。(マル 3:17)」

2人のニックネームはアラム語で「ボアネルゲ」といい、「雷の子」という意味でした。つまり、2人は何かあると雷のように怒っていたと思われます。

イエス様は彼らを弟子として召されましたが、この性質を喜んではおられませんでした。しかし、ヨハネは、「自分は愛されている」と感じていました。その愛が彼らを次第に愛の人に変えて行きました。イエス様はどんな人でも、その壊れた人格を立て直して、完成した人格へと導くことができるお方です。私たちの救いもイエス様によって完成へ導かれて行きます。まずは従っていくことです。

 

4.適応

イエス様は最初にこの4人を「人間をとる漁師」として召してくださいました。

「イエスは彼らに言われた『わたしについて来なさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう。』4:20 彼らはすぐに網を捨てて従った。」

イエス様も最初からたくさんの弟子を持っておられたわけではありません。一人ひとりと出会って、声をかけ、弟子に召して行かれました。私たちも一人一人に声をかけましょう。

また、弟子たちもイエス様に出会うきっかけがありました。ペテロはアンデレによって導かれました。アンデレが兄を導きました。これは偉大な奉仕でした。私たちも友人知人をキリストに導きましょう。祈って、イエス様から勇気と知恵をいただいて誘いましょう。

どんな人も、イエス様に出会うなら変えられます。ヤコブとヨハネは「雷の子」と呼ばれた人です。しかし、晩年のヨハネは「愛の人」と呼ばれるようになりました。

主イエスに出会うことこそ、豊かな人生を歩む秘訣です。イエス様の救いは永遠の世界まで有効です。地獄の門も打ち砕くのです。この偉大な救いを人々に伝えましょう。一人が一人を導きましょう。人間をとる漁師になるのです。そして霊の親になりましょう。

この週末の時代、主イエスは信徒たち一人一人を聖霊で満たし、霊の賜物を与え、イエスの御名の権威を与え、この世に派遣しておられるのではないでしょうか。わたしたちは使徒たちと同じように、いえ、それ以上にしるしと奇跡と神の栄光とを見せていただく時代に生きているのです。ハレルヤ!


多く赦された者は多く愛する

2013-06-10 20:48:20 | Weblog

2013.6.9.多く赦された者は多く愛する

聖書 ルカ7:36~50

題 「多く赦された者は多く愛する」

 

暗唱聖句 ルカ7:50

「しかし、イエスは女に言われた。『あなたの信仰が、あなたを救ったのです。安心して行きなさい。』」

 

1.パリサイ人シモンの家に招かれたイエス様

2.金貸しの話:どちらが多く愛するか、感謝するか

3.おもてなしの比較

4.罪深い女への赦しと祝福

5.私たちの生活の中で

 

 

1.パリサイ人シモンの家に招かれたイエス様

 あるパリサイ人がイエス様と一緒に食事をしたいと思って家に招きました。そこでイエス様はそのパリサイ人の家に入って、食卓に着かれました。その町に一人の罪深い女がいました。その女はイエス様がパリサイ人の家で食卓に着いておられると知り、香油のつぼを持って来て、泣きながら、イエス様の後ろで、足のそばに立ち、そしてひざまずきました。涙で御足をぬらし始め、髪の毛でぬぐい、足に口づけをして、香油を塗りました。

 この女の人は何者で、何をしたのでしょうか。そして、この家は誰の家だったのでしょうか。

この家はパリサイ人の家でした。パリサイ人たちはどんな人ですか。聖書の勉強をし、律法に詳しく、また口伝律法を重視して、守っていました。モーセの十戒が613の戒律になっていた時代のことです。こんな家に招かれたイエス様、そして、こんな家に走りこんできたこの女の人、そして、敬虔なパリサイ人であるシモンの思いはそれぞれ違っていました。この女は町で有名な美人の売春婦でした。ですから自分でも罪人だと思っていたし、町の人も罪深い女だと思っていました。シモンはこの女を見て心の中で「罪深い女がイエス様に触った。それくらいのことはイエス様が預言者だったらわかるだろう。さあ、どう反応するだろうか。」と思いました。このシモンの反応は良い反応でしたか。悪い反応でしたか。そうですね。否定的な反応でした。

この女はきっとイエス様のうわさを聞いていたのでしょう。イエス様がパリサイ人の家に来られていると知って、場所をわきまえることなく、イエス様の所に飛び込んできました。

そして、イエス様の後ろに立ったのです。当時の食卓は低く、イエス様たちは足を投げ出して座っておられました。女がひざまずいたところがイエス様の足だったのです。イエス様のそばに来たら、なぜか、涙が滝のようにあふれ出てきました。イエス様の愛と赦しが伝わってきました。そうしたら、この女もイエス様への信頼と愛が洪水のようにあふれてきたのです。この女の人はイエス様にたいして必死で愛を表現しました。涙で足をぬらし、髪の毛でぬぐい、足に口づけして、香油を塗りました。どこかでイエス様に出会って、知っていたような感じさえもします。高価な香油を石膏のつぼごと持ってきました。気前よく持って来ているのです。

 

2.金貸しの話

シモンは心の中で「この女は罪深い女だから、イエスはどうするだろうか。預言者だったら、どうするかわかるだろう。」と否定的な反応を示していました。声にだしていったわけではありません。しかし、イエス様はそのシモンが心の中で思ったことがわかって、反応されました。

そして、イエス様は簡単な誰にでもよくわかる話をされました。どんな話でしょうか。

金貸しの話です。

 

ある金貸しがいました。この金貸しから2人の物がお金を借りていました。1デナリという単位は一日働いてもらう賃金のことです。一日1万円の賃金だと仮定しましょう。一人は500万円、もう一人は50万円借りていました。2人とも商売がうまくいかなくて、お金を返すことできませんでした。そこで、この金貸しは2人とも赦してあげました。ここからイエス様の質問です。

「では、2人のうち、どちらがよけいに金貸しを愛するようになるでしょうか。」シモンは何と答えたでしょうか。シモンは答えました。「よけいに赦してもらった方だと思います。」するとイエス様は「あなたの判断は当たっています。あなたの答は正しい」と言われました。

 

イエス様は「シモンの答えは正しい」と言われました。ですから、シモンは、一般常識のわかる人だったのです。このことを確かめてから、イエス様はシモンに言われたことがあります。その時のイエス様の態度が面白いのです。

 

3.おもてなしの比較

イエス様は、顔は女の方を向いて、そして、話はシモンに向かってなさったのです。どうしてでしょうか。

 

ある人はこういう経験があると言いました。「わたしは夫に言いたいことがあると、夫に横に座ってもらって、息子に向かって話す。」つまり、夫に言いたいのだけれど、言いにくいので、息子に話しているふりをして、夫に聞こえるように言っている。」というのです。皆さんもこういうことがありますか。

 

つまり、イエス様は言いにくいことをシモンに言おうとしておられるのです。

イエス様はシモンのおもてなしとこの罪深い女の人のおもてなしを比較しておられるのです。

当時のおもてなしはまずお客が家に着いたら、足を洗う水を差しだし、僕が足を洗います。そして、主人は口づけをして歓迎するのです。またオリーブ油を塗ってきれいに見えるようにして歓迎します。オリーブ油は汚れを落とし、さっぱりさせてくれます。香油はオリーブの油に香料を混ぜたものです。良い香りがし、疲れを癒してくれます。アロマセラピィのようなものです。シモンは自分がイエス様を招いたにもかかわらず、このような常識的なおもてなしをしなかったようです。それでイエス様はお客様の立場だったのですが、言いにくいことをはっきり言っておられます。すごいことを言っておられるのです。

「この女を見ましたか。わたしがこの家に入って来たとき、あなたは足を洗う水をくれなかったが、この女は、涙でわたしの足をぬらし、髪の毛でぬぐってくれました。

 7:45 あなたは、口づけしてくれなかったが、この女は、わたしが入って来たときから足に口づけしてやめませんでした。

 7:46 あなたは、わたしの頭に油を塗ってくれなかったが、この女は、わたしの足に香油を塗ってくれました。」

この罪深い女は人々が見ていようといまいとお構いなく、イエス様に愛を表現し、シモンがしなかったおもてなしをシモンにかわって、自然な形ですることができたのです。この家に来ることさえ、大変な勇気を必要としたことでしょう。

彼女は涙を流しながら、悔い改め、イエス様の赦しの愛を受け止めていたのでしょう。イエス様の愛を受け、自分の中からも愛がほとばしり出て行くのを感じました。その愛が、涙で足を洗い、口づけとなり、香油を塗るしぐさとなったのです。

 

4.罪深い女への赦しと祝福

 

「7:47 だから、わたしは『この女の多くの罪は赦されている』と言います。それは彼女がよけい愛したからです。しかし少ししか赦されない者は、少ししか愛しません。」

 7:48 そして女に、「あなたの罪は赦されています」と言われた。」

 

イエス様はこの愛をうけて、あなたの罪はとっくに赦されていると宣言されました。

それは、愛の行動を起こしたからゆるされたのではなく、赦された喜びの結果、この愛をイエス様に捧げた女の心が先に有ったからです。その心をイエス様が受け入れられたのです。

「それは彼女がよけい愛したからです。しかし少ししか赦されない者は、少ししか愛しません。」というのはシモンが罪を赦される喜びを経験していなかったので、彼は愛する喜びも知らないと言われているのです。

「よけいに愛した」というのは、罪の意識を深く持っていた罪深い女の当然の反応でした。「私のような罪深い者をこのように赦して下さって、・・・」と感動していたのです。そして泣いていたのです。

 

しかし、シモンはどうでしょうか。彼はパリサイ人でした。ですから、自ら義人だと思っていたのです。「私はあの罪深い女とは違う」という意識があったので、赦してもらわなければならない身であることさえ、わかりませんでした。当然、感謝などありません。しかし、罪深い女は罪をゆるしてもらった喜びにあふれ、その喜びを愛情で表現したのです。その中には高価な香油さえ、捧げたいという気持ちがありました。イエス様はこの罪深い女の為にも十字架の上で死んでくださいました。この女は「イエス様を信じます」という信仰告白はしていませんが、救われています。イエス様に近づく時、人々は救われるのです。ここではこの女の人の告白は一切ありません。しかし、イエス様は一方的に「あなたの罪は赦されています。」と宣言されました。

 

(エレミヤ29:12~14)

「29:12 あなたがたがわたしを呼び求めて歩き、わたしに祈るなら、わたしはあなたがたに聞こう。29:13 もし、あなたがたが心を尽くしてわたしを捜し求めるなら、わたしを見つけるだろう。29:14 わたしはあなたがたに見つけられる。」

肉体の癒しは一時的ですが、罪の赦しは永遠の世界に通じることです。この女の罪の赦しの後ろにはイエス様の十字架の贖いがあります。

一緒にいた人たちはイエス様のことを「この人は誰だろう。罪をゆるす権威を持っているこの人は誰だろう?」言い始めました。

イエス様は言われました。「あなたの信仰があなたを救ったのです。安心して行きなさい。」

 

この女の人を救ったのは涙やキスや香油のおかげではありません。救いは行いによるのではなく信仰によるからです。イエス様を救い主としてすべてを捧げ信頼した信仰のゆえでした。この信仰から罪が許されたとの確信が湧きでたのです。その確信から、赦された喜びがあふれ、それがイエス様を愛する大きな愛に変わり、イエス様に流れて行きました。また、罪が赦された結果、神に受け入れられたので、天からの平安が心の中に与えられたのです。

罪が赦されると大きな平安と喜びがやってきます。その喜びは静かな喜びもあれば、他の人に分かち合わずにはいられない衝動にかられるものもあります。こんな時はぜひ他の人に恵みを分かち合ってください。それが伝道になるのです。

 

5.      私たちの生活の中で

 私たちの生活の中でこの中を流れている真理にはどんなものがあるでしょうか。

 

1.パリサイ人のように「自分が赦された」という経験がなければ、イエス様を愛する喜びはないかもしれません。罪の悔い改めをして、はっきりとした信仰をもちましょう。イエス様への愛は罪の赦しの大きさの自覚に比例します。また、律法主義者になると、信仰の自由な喜びが失われ、裁く心が台頭してきます。多くのクリスチャンが律法主義に陥って、真理に生きる喜びを失っています。神様との個人的な関係、個人的な会話を大切にしましょう。

 

2.イエス様は心の中で考えていることを見とおされる方です。正直に話し、祈り、ありのままの姿で神の前に出ましょう。主は憐れみ深い方です。

 

3.イエス様おそばに近づけば救われます。神様が救ってくださるのであって、私たちの行いではありません。イエス様におすがりしましょう。

 

4.多く赦されたという自覚がある人は多くイエス様を愛します。献身的に仕えるのです。イエス様もまた、その愛に答えて、多く愛を注いでくださいます。