2014.2.23.召しにふさわしく歩みなさい。
聖書 エペソ4:11~16
題 召しにふさわしく歩みなさい。
暗唱聖句 エペソ4:11
「こうして、キリストご自身が、ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を伝道者、ある人を牧師また教師として、お立てになったのです。」
はじめに
1.召しについて
①一般の召し
②特定の召し
2.特定の召しの召された人々の任務は何か
3.キリストのからだの一部として。
はじめに
「私たちはキリストの大使です。」というメッセージを頂きました。その前には「私たちは祭司です。」と教えていただきました。これらの働きの共通点は、神と人との間に立って、和解の働きをしていることです。天地を造り、人間を作ってくださった神と人間が仲良くなることができるようにする働きです。神と人間を結び付ける働き、わたしたちはこの働きに召されているのです。
1.召しについて
私たちの召しには、一般の召しとある特定の召しがあります。「召し」というのは、神から与えられた使命です。
① 般の召し
一般の召しはすべてのクリスチャンの人々に対して与えられている召し、使命です。
Ⅱコリント5:19~20
「すなわち、神は、キリストにあって、この世をご自分と和解させ、違反行為の責めを人々に負わせないで、和解のことばを私たちにゆだねられたのです。
5:20 こういうわけで、私たちはキリストの使節なのです。ちょうど神が私たちを通して懇願しておられるようです。私たちは、キリストに代わって、あなたがたに願います。神の和解を受け入れなさい。」
和解のことばというのは十字架のことばです。十字架のメッセージと奉仕はすべての人々に任されています。イエス様の救いの証をすることはクリスチャンすべての人々の奉仕です。この証の働き、十字架のメッセージ、罪の赦しのメッセージをこの世の人々に伝えることは救われている私たちだけができる働きです。そういうわけで、私たちはみな、キリストの大使なのです。私たちはこの世に対して、神の国の代表者です。どこにいてもどんな時でも神の国を代表している者です。この自覚はとても大切です。ですから、私たちの行動はすべてこの和解の働きにつながってくるのです。すべての場所で私たちのうちにおられる神の存在が正しく見られるように、理解されるように存在することです。このように考えてきますと、私たちの毎日の歩みに責任があるということがわかります。神の栄光が現わされるような生活態度が必要ですね。目標はキリストの愛と正義と清さに生きることです。
ローマ14:7~8
「私たちの中でだれひとりとして、自分のために生きている者はなく、また自分のために死ぬ者もありません。14:8 もし生きるなら、主のために生き、もし死ぬなら、主のために死ぬのです。ですから、生きるにしても、死ぬにしても、私たちは主のものです。」
私たちは救われた時、主イエスと共に十字架の上で死んだものです。生きているのは復活の命ゆえです。主イエスの復活の命が注がれて生かされています。生きるにしても、死ぬにしても、主のために生きているのです。私たちは主のために生きています。なぜなら、私たちは主のものだからです。主の栄光をこの世に示すために生きているのです。
②特定の召し・・・五役者に対して
エペソ4:11~12「こうして、キリストご自身が、ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を伝道者、ある人を牧師また教師として、お立てになったのです。4:12 それは、聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるためであり、」
一般の召しはすべてのクリスチャンに対するものです。その中から、主は特定の人を選ばれました。使徒、預言者、伝道者、牧師、教師です。この五つの働きは専門的な働きですが、多くの場合、牧師がすべてをやっているかもしれません。しかし、それは神の御心ではありません。牧師がすべてをやっていると、その教会は枯れて行きます。生き生きしなくなるのです。生き生きと奉仕ができる教会、それが楽しい教会なのです。
この働きに召された人々は、信徒たちを整えて奉仕の働きをさせることなのです。信徒たちがキリストの弟子になることができるように整えることです。
それから、ローマ人への手紙には賜物による召しが書いてあります。
(ローマ12:6~8)
「私たちは、与えられた恵みに従って、異なった賜物を持っているので、もしそれが預言であれば、その信仰に応じて預言しなさい。
12:7 奉仕であれば奉仕し、教える人であれば教えなさい。
12:8 勧めをする人であれば勧め、分け与える人は惜しまずに分け与え、指導する人は熱心に指導し、慈善を行う人は喜んでそれをしなさい。」
クリスチャンにはそれぞれ異なった賜物が与えられています。与えられている賜物は使う時に、その賜物はますます輝いて来ます。これらはキリストのからだである教会に与えられているのです。からだの器官はみんな違います。それと同じように、みんな異なった良い賜物を出し合って、キリストのからだである教会を建て上げるのです。
2.特定の召しに召された人々の任務は何か
「使徒、預言者、伝道者、牧師、教師」という働きに召された人々は何をするか、それは信徒たちを整えて、奉仕の働きをさせることです。奉仕の働きというのは何か、それは人々を救いに導き、成長させることです。
(エペソ4:13)
「ついに、私たちがみな、信仰の一致と神の御子に関する知識の一致とに達し、完全におとなになって、キリストの満ち満ちた身たけにまで達するためです。」
成長することはすばらしいことです。わたしたちは、教えられ、訓練されなければ、成長することができません。
今、ソチでオリンピックが行われています。彼らは国の代表として戦っています。金メダルを取った選手が言っていました。「私の今までのすべての苦労が報いられた。ことばには言い表すことのできない喜びでいっぱいだ。嬉しい!」と。彼らは、金メダルを目標に、毎日、自己訓練し、また、コーチがついて訓練され、整えられ、あの晴れ舞台にあがって、競技をしています。
パウロはこう言っています。
(Ⅰコリント9:24,25)
「9:24 競技場で走る人たちは、みな走っても、賞を受けるのはただひとりだ、ということを知っているでしょう。ですから、あなたがたも、賞を受けられるように走りなさい。
9:25 また闘技をする者は、あらゆることについて自制します。彼らは朽ちる冠を受けるためにそうするのですが、私たちは朽ちない冠を受けるためにそうするのです。」
私たちのゴールはすべてのクリスチャンが救いの福音を伝える奉仕ができるようになることです。
3.キリストのからだの一部として。
使徒パウロは牢獄にいる身でこのエペソ人への手紙を書いています。すごい情熱が伝わってきます。
エペソ4:1~3「さて、主の囚人である私はあなたがたに勧めます。召されたあなたがたは、その召しにふさわしく歩みなさい。4:2 謙遜と柔和の限りを尽くし、寛容を示し、愛をもって互いに忍び合い、4:3 平和のきずなで結ばれて御霊の一致を熱心に保ちなさい。
パウロは強調しています。「教会は一致していることが大切である」と。「愛し合うこと、平和の絆に結ばれて御霊の一致を熱心に求めなさい」と言っています。
(エペソ4:15~16)「むしろ、愛をもって真理を語り、あらゆる点において成長し、かしらなるキリストに達することができるためなのです。
4:16 キリストによって、からだ全体は、一つ一つの部分がその力量にふさわしく働く力により、また、備えられたあらゆる結び目によって、しっかりと組み合わされ、結び合わされ、成長して、愛のうちに建てられるのです。」
これはキリストの体である私たちが、キリストの手足のようにしっかりとキリストに結び付いて行くこと、また他の兄弟姉妹たちと心を一つにしていっしょに一致してやっていく、そして、お互いに成長することなのです。
それから、救いの福音を伝えることは口先だけではできません。あなたの家族も、あなたの友達もあなたの生活態度を見ています。ですから、四章の後半は具体的に何に気をつけて生活するかを教えています。読んでみましょう。
(エペソ4:22~32)
「その教えとは、あなたがたの以前の生活について言うならば、人を欺く情欲によって滅びて行く古い人を脱ぎ捨てるべきこと、
4:23 またあなたがたが心の霊において新しくされ、
4:24 真理に基づく義と聖をもって神にかたどり造り出された、新しい人を身に着るべきことでした。
4:25 ですから、あなたがたは偽りを捨て、おのおの隣人に対して真実を語りなさい。私たちはからだの一部分として互いにそれぞれのものだからです。
4:26 怒っても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで憤ったままでいてはいけません。
4:27 悪魔に機会を与えないようにしなさい。
4:28 盗みをしている者は、もう盗んではいけません。かえって、困っている人に施しをするため、自分の手をもって正しい仕事をし、ほねおって働きなさい。
4:29 悪いことばを、いっさい口から出してはいけません。ただ、必要なとき、人の徳を養うのに役立つことばを話し、聞く人に恵みを与えなさい。
4:30 神の聖霊を悲しませてはいけません。あなたがたは、贖いの日のために、聖霊によって証印を押されているのです。
4:31 無慈悲、憤り、怒り、叫び、そしりなどを、いっさいの悪意とともに、みな捨て去りなさい。
4:32 お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。」
私たちは毎日の生活の中で神に喜ばれる生活をすることができるように、変えられていくことです。ゴールは聖霊の助けによって、イエス様のようになることです。祈りましょう。