2012.5.27.聖霊のバプテスマ
聖書 使徒2:1~8、ヨエル2:28~32
題 聖霊のバプテスマ
暗唱聖句 使徒1:8
はじめに
今日はペンテコステの日です。ペンテコステとはユダヤの収穫をお祝いするお祭りの一つです。過ぎ越しの祭りから50日目にあたり、大麦の収穫をお祝いする祭りです。イスラエルの国ではこの日に大麦の収穫祭が行われます。ペンテコステと言うのは「50日目」と言う意味で、新改訳の聖書では「五旬節」と言われています。イスラエルの国ではこの「ペンテコステの日」に神がモーセに十戒を授けたという言い伝えがあります。今年、イスラエルのナタニヤフー首相は首相官邸でこれから「定期的に聖書学習会をする」と公に発表したそうです。首相は、「聖書こそイスラエルの財産。この研究会を通して、国民の聖書への愛を永続させたい」と述べているそうです。そして、ルツ記を学んだそうです。ルツ記はこのペンテコステの日に読まれる聖書の箇所です。穀物の収穫を記念する祭りだからです。(ルツとボアズの家系からダビデが生れ、そののち、イエス・キリストがおう生れになります。)
神様はこの楽しいお祝いの日に聖霊を弟子たちにお与えになりました。聖霊に満たされたペテロたちはイエス様を力強く証しし、3000人が救われて最初の教会が誕生したのです。
ペンテコステの日に何が起こったのか見てみましょう。
1. 聖霊のバプテスマの約束
イエス様は天に戻られる前に弟子たちを集めて聖霊のバプテスマの約束をしてくださいました。(使徒1:4~5)「あなたがたはエルサレムを離れないで天におられる神様の約束を待ちなさい。あなたがたはもう間もなく聖霊によってバプテスマを受けます。」
バプテスマとは「浸される」という意味です。ですから「聖霊のバプテスマを受ける」というのは「聖霊によって浸される、つまり聖霊によっていっぱいになる、満たされる」ということなのです。
例えば:これは聖霊に満たされると言うことを視覚的に表現したものです。コップに水を入れます。そのコップにはいつも水が入っています。コップは心です。水は聖霊です。イエス様を信じた時から聖霊はいつも心の中に住んでくださいます。だから、いつも一緒です。でもその量については見えないのでわかりません。空の部分もあります。空の部分が多いと清くないことを考えるでしょう。しかし、祈るたびに聖霊が注がれたら、そのコップは聖霊の水でいっぱいになります。そしてあふれます。このあふれる時に異言が出てくるのです。溢れた水は、最初はちょろちょろでも、やがて小川になり、そのうちに大きな川になって行きます。そして、福音に触れる人たちの祝福の源になってゆくのです。
さらにイエス様は言われました「聖霊に満たされるとき、あなたがたは大きな神様の力を受けます。それによって、エルサレムからユダヤ、サマリヤの全地方、そして地の果てまで私のことを証しする証人になります。」(使徒1:8)
聖霊に満たされると、その人には世界中にイエス様のことを証ししていく力が与えられます。「イエス様のことを伝えたい」という熱い思い、伝道に熱心な心が与えられるのです。この心にある聖霊の泉は人々の慰めになり、力になり、大きな影響力となります。素晴らしい聖霊の恵みですね。
実は、弟子たちはイエス様がいなくなることをとても悲しみ、不安でいっぱいでした。イエス様が十字架にかかられた時もみんな逃げてしまいました。イエス様がお墓に葬られたあとはみんなで家に閉じこもってかぎを掛けて小さくなっていたのです。「これからどうしたらいいんだろう。」全く、どうしてよいかわからない弟子たちでした。そんな弟子たちに復活の主は「聖霊に満たされるとき、あなたがたは大きな神様の力を受けます。」と励ましてくださいました。イエス様は素晴らしい聖霊の希望の約束を与えてくださったのです。
2. 約束を信じて心を合わせ、熱心に祈り求めた。
イエス様がオリーブ山から天に昇られると、弟子たちはさっそくイエス様に命じられたとおりエルサレムに帰りました。エルサレムは弟子たちにとっては、恐ろしい所でした。イエス様を迫害して十字架に付けた人々が沢山いる所でした。ですから、エルサレムに留まるには勇気が必要でした。しかし、弟子たちはイエス様が命じられたことに従ってエルサレムにとどまったのです。そして泊まっていた家の屋上に上がってみんなで心を合わせてお祈りを始めました。そこにはイエス様の弟子たちをはじめ、イエス様に従ってきた女の人たちやイエス様のお母さんのマリヤ、またイエス様の兄弟たちもいました。みんなイエス様を信じて従ってきた人たちです。集まった人たちはただひたすらイエス様の約束を信じて心を合わせて祈り続けました。聖霊の約束を求め続けたのです。だれも、聖霊がどのようなものかわかりません。聖霊に満たされるということがどのようなことなのかもわかりません。また、それがいつどのような形で与えられるかもわかりませんでした。でも彼らはただ約束を握って、信じて、心を合わせて祈り求め続けたのです。心を合わせて祈ることがとても大切なことでした。
❑3.ペンテコステの日に約束通り弟子たちは聖霊に満たされ変えられました
祈り始めてから10日が過ぎました。五旬節(ごじゅんせつ・ペンテコステ)というユダヤ人の祭りの日になりました。穀物の収穫祭の日です。弟子たちは皆同じ所に集まっていました。すると、突然天から激しい風が吹いてくるような響きが起こりました。そしてそれは彼らがいる家全体に響き渡りました。そして、天から炎のような分かれた舌のようなものが現われて、そこにいたすべての人の上にとどまったのです。するとどうでしょう、そこにいた人たちがみんな聖霊に満たされたのです。そして、聖霊の導かれるままに自分の知らない外国の言葉(異言)で突然話し出したのです。
驚いたのは物音を聞いて集まってきた人たちです。そこには外国から集まって来た人々がたくさんいました。「これはいったいどうしたことか!?」自分の国の言葉で神様のことを話しているのです。その彼らの姿にびっくりしてしまいました。ある人はお酒に酔っているのではないかといってあざける人もいました。
そこで、ペテロがほかの11人の弟子たちと一緒に立ちあがって言いました。「みなさん、聞いてください。今は朝の9時ですから私たちはお酒に酔っているのではありません。これは預言者ヨエルがかつて預言したことが実際に起こったのです。終わりの日に、神様はイエス様を信じるすべての人にご自身の霊である聖霊を与えてくださるのです。あなた方が十字架にかけたイエス様こそ私たちを罪から救う救い主です!」ペテロは集まって来た人々にイエス様を大胆に証ししました。
ペテロは、イエス様が十字架にかかる時に怖くなって三回もイエス様を否定してしまいました。しかし、今はその時のペテロとは完全に違います。人が変ってしまったようです。大胆になりました。聖霊に満たされた時、ペテロには力が与えられ、イエス様を大胆に証しする証人に造りかえられました。そしてその日、ペテロのメッセージを聞いてイエス様を信じた人が3000人も起こされたのです。こうして最初の教会が誕生しました。教会は聖霊によって生み出されたのです。そして、最初の教会はペンテコステの教会だったのです。この日から、聖霊が働いて、世界的な規模で魂の収穫が始まりました。エルサレムから、ユダヤの国へ、そして、サマリヤ地方へ、その後、全世界へ、すなわち地の果てまで福音が伝えられて行きました。
聖霊によって語ることのできた言葉は「異言」と呼ばれる言葉でした。この言葉は話している人は、何を話しているのかわからない言葉です。でも、聞いている人にはわかる場合もあります。ペンテコステの日には遠い外国からのお客がたくさん来ていましたし、その土地に住んでいる外国からの移住者もいました。その外国人の人たちが、「私たちの国の言葉で神様のことを語っている」と言っています。ですから、懐かしい自分の国の言葉を聞いたのだと思います。中には語っても理解できない言葉を語ることが多くあります。また、異言を解き明かす人もいます。
異言には2種類の異言があります。一つ目は「聖霊に満たされたしるしとしての異言」です。もう一つは、「異言の賜物」です。異言の賜物は「その人の徳を高める」と聖書は教えています。人に話すのではなく、神に向かって話し、神と自分との交わりを深めるものです。パウロは「わたしは誰よりも多くの異言を語ります」と言っています。しかし、同じところで、パウロは、他の人に対しては、理解できる言葉を話すようにと勧めています。また、理解できる言葉で祈ったり、賛美したりすることも知性の実を結ぶためには必要ですと言っています。霊的にも知的にも成長していくには、両方が必要です。
このペンテコステの日に注がれた聖霊の満たしは特別でした。人々を造り変えました。人々を救いに導く大胆な力が与えられたのです。私たちは聖書時代に起こったことは現在でも起こると信じています。
ヨエル書にも「終わりの日には全ての人々に聖霊を注ぐ」と約束されています。その約束は果たされました。そして今も続いています。
「その後、わたしは、わたしの霊をすべての人に注ぐ。あなたがたの息子や娘は預言し、年寄りは夢を見、若い男は幻を見る。
2:29 その日、わたしは、しもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ。」(ヨエル2:28~29)
このようなすばらしい恵みの時代に私たちは生きているのです。
聖霊は人の考えや限界を超える力を持っておられるお方です。
この聖霊のバプテスマを受けて、人生が変わった人たちがたくさんいます。アルコール依存、麻薬依存、また自分ではどうすることもできない罪の性質から解放してくださったのです。
私の友人の一人は、聖霊のバプテスマの事は何も知らなかったそうです。ある日、突然、知らない言葉が飛び出してきました。悩んだそうです。自分はおかしいのではないかと。しかし、主に委ねて祈っているうちに、心が軽くなって、喜びが湧いてきたそうです。それは、それは不思議な喜びだったそうです。そして、牧師に相談したら、それが聖霊のバプテスマだと教えられ、とても安心したと話してくれました。
まとめ
イエス様は求める者を聖霊で満たしてくださると約束して下さっています。聖霊に満たされる時、神様に従いたい、神様を証ししたいという情熱、熱心さが、私たちの心の内側に与えられるのです。弟子たちは神様から与えられるそのエネルギーによって大胆にキリストに従いました。キリストを証しする人へと変えられたのです。祈りと賛美とみことばの約束を握って神様に近づきましょう。心を神様の前に開きましょう。あなたの心を聖霊に委ねましょう。大切なことは、神様に向かってあなたの心が解放され、自由にされていくことです。罪が示されるなら悔い改めましょう。また誰かにお祈りしてもらうことも良いことです。しかし、何よりもあなた自身の唇を開いて神様に求めましょう。唇を神様に委ねきる時、神様があなたの舌をコントロールしてくださり、神様が与えて下さる言葉(異言)で自由に祈らせてくださいます。
「ハレルヤ」と言う祈りの言葉は聖霊のバプテスマを受ける時、心を解放するのに役立つそうです。理由は単純で、誰でも「ハレルヤ」と言えます。知性を使う必要もありません。また、これは主をほめたたえる言葉です。唇や舌を動かして主をほめたたえ、心を開け渡すことです。そうこうしているうちに、神様が舌を支配してくださり、異言を語らせてくださいます。
自分一人で、聖霊のバプテスマを求めて、祈る時は、最初に「十字架の血潮で私を覆ってください。」と祈ってから、求めて行きましょう。
ご一緒にお祈りしましょう。