阿南神召キリスト教会 礼拝メッセージ

徳島県の阿南神召キリスト教会の礼拝メッセージです

私たちのベストフレンドであり、パートナーであるイエス様。

2016-12-29 16:48:31 | Weblog

2016.12.25.私たちのベストフレンドであり、パートナーであるイエス様。

聖書 ルカ2:8~14、黙示録1:6

題  私たちのベストフレンドであり、パートナーであるイエス様。

説教者 チュア・トニー先生(新居浜福音キリスト教会)

 

暗唱聖句 ルカ12:31~32

「何はともあれ、あなたがたは、神の国を求めなさい。そうすれば、これらの物は、それに加えて与えられます。

  小さな群れよ。恐れることはない。あなたがたの父は、喜んであなたがたに御国をお与えになるからです。」

 

はじめに

クリスマス、おめでとうございます。

クリスマスは幸せな日ですね。礼拝の後で、パーティはあるからでしょうか。また、クリスマスケーキのためですか。クリスマスケーキを食べるのは日本だけです。他の国々にはクリスマスケーキという物はありません。

しかし、この最初のクリスマスは何か、劇的な変化をもたらしました。かって無かった良い知らせを御使いが羊飼いたちに告げた夜でした。羊飼いは良い知らせを受けました。それはほぼ信じることのできないほどのものでした。み使いは「恐れることはない。素晴らしい喜びの訪れを知らせに来たのです。・・・ダビデの町にあなたがたのために救い主がお生まれになりました。このかたこそ、主キリストです。あなたがたは布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごをみつけます。これがあなたがたのためのしるしです。」(ルカ2:10~12)と言いました。

この良い知らせはクリスチャンだけのものではありません。すべての人たちのためです。救われている人たちだけのためではないのです。他の宗教を信じている人たちのためにも、この素晴らしい知らせがあります。彼らもこの素晴らしい知らせを受けとるべきなのです。御使いも信じることのできないほどのものです。人間は神に対して、敵対していました。ですから、神は長い間、沈黙しておられました。突然、御使いが良い知らせを伝えたのです。それは突然のことでした。

 

1.突然の良い知らせ

(ルカ2:13)「 すると、たちまち、その御使いといっしょに、多くの天の軍勢が現れて、神を賛美して言った。」

  たちまち、国中のみ使いたちが集まってきました。そこで賛美が爆発しました。心の内に湧き上がったものが瞬間的に唇からほとばしり出るような賛美でした。

その素晴らしい喜びの知らせを聞いた時、他の天使たちも驚いて、たちまち、一緒に賛美し始めました。

(ルカ2:14)「『いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。』」

神の平和が地の上に与えられた夜でした。それは、「神があなたと平和条約を結びます。もう怒っていません。」というしるしでした。

イエス様が来られる前の400年間は、神は誰とも語られませんでした。400年の沈黙の後に、その沈黙を破って、突然語られたのです。「神があなたと同じようにあなたがたの世界の中に住みます。平和の関わりをもちます。今から、地の上に平和が来ます。」という宣言でした。

それはクリスチャンだけではない、すべての人の上に来たのです。すべての人々に平和がやってきました。子羊の血潮がすべての人の罪を取り除くのです。イエス様は他の宗教の人々も愛しておられ、友達になりたいと思っておられます。平和が地にあるように、良い知らせを心に受け入れてください。

 

2.劇的な変化

何が変わったのでしょうか。旧約聖書の時代には人間の罪のために、誰でも神の声を自由に聞くことはできませんでした。祭司と預言者と特別に油注がれた王だけが神に近づくことができました。祭司は役割として、神に近づくことができました。その時はまず、動物のいけにえを捧げて、自分を清めてから、神に近づきました。

預言者だけが神の声を聞くことができました。サウル王は王でした。神の御心を知りたいと思いましたが、預言者サムエルを通してだけ、神の声を聞くことができました。普通の王は自分の軍隊をもって国を治めます。しかし、神によって選ばれ、油注がれた王は神の力、神の知恵、神の奇跡によって国を治めました。旧約聖書の時代は祭司、預言者、王が用いられたのです。

 

しかし、この夜、すなわちイエス様がお生まれになった夜、すべてが変わりました。イエス様によって、新約の時代になりました。イエス様によって「祭司」としてやっていくことができるようになりました。この夜以来、新約の時代になったのです。神のベストフレンドとして、神の所に来ることができるようになりました。祈りをもって、神に近づくことができるのです。神はすべての人の祈りを聞いてくださいます。すべての人に語られます。

アメリカの選挙のために1年前から祈り始めました。なぜなら、「トランプ氏が大統領になる。」と預言されていたからです。この人が大統領になる、困ったなあと思っていました。たくさんのクリスチャンが彼に不満を持っていたからです。しかし、預言のとおりにトランプ氏が大統領に選ばれました。

 私たちは神の大使として選ばれています。神はすべての国々の祈りを聞いてくださいます。祭司だけでなく、預言者としても歩むことも神の御心です。「わたしの羊はわたしの声を聞く。」と言われます。世の終わりが近づく時、娘、息子は預言をします。私(トニー先生)が会社で働いていた時のことです。神が私の友人に伝えるように預言をくださいました。「株を止めるように」と言われているような気がして、それを伝えました。しかし、私の友人はそれを信じませんでした。やがて、株は暴落し、彼は破産しました。

パウロは「預言の賜物を求めなさい」と勧めています。間違いを恐れてはなりません。

(黙示1:6)「また、私たちを王国とし、ご自分の父である神のために祭司としてくださった方である。キリストに栄光と力とが、とこしえにあるように。アーメン。」

王国というのは建物や財産ではありません。人です。キリストは私たちを王にしてくださいました。原語では将来王になるとは書いてありません。「王としてくださる」と書いてあります。

皇太子はやがて天皇になる事を知っています。だから、かわそうな姿で道を歩くことはしません。

あなたはやがて王になるのではありません。今、既に王なのです。ですから、「できない、足りない・・・」などというのはありません。酒も王にはふさわしくないので止めるべきです。

あなたが持っている賜物を使うべきです。神に従う人は頭となり、しんがりにはなりません。王のように考え、王のようにするなら、最善をなすなら、何でも祝福されます。

最高の説教家、最高のビジネスマン、最高の音楽家、会社のトップになります。自分のやっていることに秀でる人は王様の前に出ます。

祈祷会でよく祈ります。台風のためによく祈ります。そうすると祈った通りに台風が動くのを経験しました。マニラで台風か来た時、たくさんの人々が死にました。次の年、もっとひどいことになるという台風予報が出ました。3000人位死ぬかもしれないというニュースでした。祈りました。あの道ではなく、この道を行けと命じました。終わった後、台風の進路を見ると命じた通りの道を進んでいました。被害も少なくてすみました。

米国の台風にも命令しました。すると、被害が本当に少なくてすみました。神はすべての祈りを聞いておられるのです。

3.御国を下さる。

(ルカ12:31~32)

「「何はともあれ、あなたがたは、神の国を求めなさい。そうすれば、これらの物は、それに加えて与えられます。 小さな群れよ。恐れることはない。あなたがたの父は、喜んであなたがたに御国をお与えになるからです。」

 御国というのは「建物や財産」ではありません。それは「人々」です。「神の国を求める」というのは「探し求める」というのではなく、「神の国を建て上げる。」ことです。そうする時、それに必要な事は全部与えられる、必ず、必要を満たしてくださいます。そして、もっと大きな神の国の人々を与えてくださいます。「日本の教会は、小さい教会、少数の教会、力が無い、」など、そういう考えになってしまって、大きなことを祈ろうとしない状況に陥っています。しかし、神は私たちを王としてくださっています。大胆な祈りをしましょう。み言葉を行いましょう。み言葉を聞くだけでなく、行うようにしてください。神のみ言葉を行おう。

 

み使いは羊飼いに言いました。

「恐れないで。・・・・・飼葉おけに寝ておられる赤ちゃんを探しに行きなさい。」羊飼いは「そうかな。疲れた。」とは言いませんでした。「行こう」と言って、立ちあがったのです。すると、王の王であるお方が飼葉おけに寝ておられたのです。羊飼いたちは救い主に触ることができました。救い主を抱きしめることができました。神様を抱きしめることができるのです。

 

神の御言葉を実行してください。片方の耳をふさいで、聞いたみ言葉が出て行かないようにしてください。40年間、み言葉を聞いてもやらなかったら何もならないのです。

世界で最初のクリスマスは霊的な自由を与えました。神の声を聞き、自由に語り合うことができるようにしてくださいました。霊的成長ができようにしてくださいました。み言葉を実行してください。

結論

イエス様の愛を受け入れてください。イエス様はあなたのために来ました。

ヨハネ3:16「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」

イエス様は私たちのパートナーです。私たちの近くにいて助けてくださいます。

 

 


すべての人を照らす光、イエス様

2016-12-23 21:10:36 | Weblog

2016.12.18.すべての人を照らす光、イエス様

聖書 ルカ2:1~20

題  すべての人を照らす光、イエス様

暗唱聖句 ヨハネ1:9

「すべての人を照らすそのまことの光が世に来ようとしていた。」(新改訳)

別訳「まことの光があった。それは世に来て、すべての人を照らすものである。」

はじめに

昨日、40年ぐらい前から知っている北九州の友人から手紙を受けとりました。昔の写真を送ってくださったのですが、中身を読んで、嬉しい事が書いてありました。ご主人が今日、洗礼を受けることになっているそうです。ハレルヤ!ですから、今日は特別な日なのです。このように書いてありました。

さて、今年の夏に主人の弟が亡くなりました。4月に骨転移して発覚し、原発はわからないまま、痛みと闘っていました。彼が「クリスチャンにあこがれている」といったことと、私がクリスチャンであることで、牧師の力丸先生に訪問を依頼しました。そのような状態の中で、痛みでほとんど寝ていたのに、先生が来られると、はっきりと、しっかりと「アーメン」というのです。その姿に主人は「何かある」と思っていたようです。弟は病床洗礼を受け、7月に天国へ、旅立ちました。

 それから、主人は礼拝に出席するようになり、12月18日に洗礼を受けることになりました。神様の御計画は、私には全く考えもつかない方法で、救いへと導かれました。

 

この手紙を読んで、神様って本当に素晴らしいな、と思いました。人の考えを超えて、全く違う方法で、事を成し遂げられる主の計画、計り知ることのできない不思議を悟らされました。

私たちの神はすべての人を愛しておられ、すべての人に目的を持っておられ、その人たちを主の栄光で輝く者にしてくださいます。私たちはその方の命の光をいただいているのです。

さて、私たちの主であるイエス様がお生まれになったのは2000年前のことですが、どこでお生まれになったのでしょう。又どんなことが起きたのでしょうか。

1.羊飼いたちは町はずれで羊を飼っていた。

イエス様はユダヤのベツレヘムという町でお生まれになりました。ベツレヘムというのは「パンの家」という意味です。これは神の御計画の中ですでに預言されていたこことでした。イエス様は「わたしは命のパンです。」と言われていました。ですから、命のパンであるイエス様が、「パンの家」という町でお生まれになるのは当然だったのです。このベツレヘムは現在パレスチナの自治区になっています。ですから、イエス様がお生まれになったと言われている聖誕教会を訪問するためにはバスを降りて、パスポートを出して、パレスチナ自治区に入らなければなりません。しかし、訪問できます。聖誕教会の中に入って行きますと、岩をくりぬいた大きなほら穴があります。そんなところでお生まれになりました。なぜかと言いますと、その頃、全世界の住民登録が行われました。イエス様のお父さんのヨセフさんは、ダビデ王の子孫でしたから、ダビデの故郷であるベツレヘムに行って、登録しなければなりませんでした。ナザレの町から何日もかかって、ベツレヘムにやってきたのでした。ところが町は人々であふれ、宿屋は満員、ヨセフさんとマリヤさんを迎え入れてくれる宿屋はありませんでした。やっとの思いで見つかったのが、家畜小屋、ほら穴だったのです。そこで、マリヤさんは出産することになりました。

 同じ日の夜、人の多いにぎやかな町から離れた所に、寂しく過ごしている人たちがいました。それは羊飼いです。羊飼いたちは、野宿で夜番をしながら羊の群れを見守っていました。羊飼いたちは町はずれに住んでおり、町の人々とあまり会うことはありませんでした。耳新しいニュースを聞くこともありませんでした。町の人々は汚い羊飼いたちをさげすんでいました。

2.羊飼いたちは救い主の誕生を知った。

 そんな羊飼いたちの所に大ニュースを知らせに来た人がいました。それはなんと神様から遣わされてきた天使でした。天使が羊飼いたちのいた野原にやってきたのです。あたり一面が光に包まれたのでした。その様子を見た羊飼いたちは、とても怖くなりました。

 御使いは彼らに言った。「恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。2:11 きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。2:12 あなたがたは、布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これが、あなたがたのためのしるしです。」

救い主イエス様が生れた夜、ベツレヘムの町には多くの人々がいました。しかし、神様が最初にイエスさまの誕生を知らせようとして選ばれたのは町の人々ではありませんでした。町はずれに住んでいたこの貧しい羊飼いだったのです。

(イザヤ9:2)「やみの中を歩んでいた民は、大きな光を見た。死の陰の地に住んでいた者たちの上に光が照った。」

神様は貧しく、苦しんでいる人たちの叫びを聞いておられ、忘れておられませんでした。また、イエスさまも貧しい境遇の中に身を置いてくださいました。神は全知全能の神です。イエス様を王宮の王子として送りだそうと思えばそれができました。しかし、そうではなかったのです。「イエス様は、神である栄光ある地位を捨てて、人間となってくださったのです。しかも、貧しい家庭にお生まれになりました。」

3.羊飼いたちは救い主に出会った。

 天使は羊飼いたちにイエス様の誕生を知らせた後、天に帰って行きました。それから、お互いに言いました。「さあ、ベツレヘムに行って、神様が私たちに知らせてくださったこの出来事を見て来よう。そして、羊飼いたちは救い主に出会うため、町へ急いでいきました。羊飼いたちは町にたどり着いて、とうとう、救い主であるイエス様を探しあてました。イエス様はお父さんのヨセフさんとお母さんのマリヤさんと一緒にいて、飼い葉おけの中ですやすやと眠っておられました。

羊飼いたちは天使がイエス様の誕生を知らせてくれたことや、イエス様が救い主であると言われたことなどを周りの人々に知らせました。町の人々は目の前でかわいらしく寝ている赤ちゃんが救い主であることを知って、とてもびっくりしました。旧約聖書の中で約束されていた救い主が、自分の目の前に現われるとは思っていなかったからです。

 羊飼いたちは天使が言ったことが本当であったこと、そして、救い主にお会いすることができたことを喜んで、神様を賛美しながら帰って行きました。

4.羊飼いたちは救いの喜びに満たされた。

  神は貧しい羊たちに救い主の誕生をお知らせになりました。それは神様の愛によるものです。弱い者、貧しい者、病の中にある者、苦しみの中にある者、孤独の中にあるものは、神を仰ぎ見るほかに救いを得る道はありません。その心を知って、まず、最初に貧しい羊飼い、その当時の社会の底辺にいた人々に神は救いの喜びを与えられたのでした。

 (ヨハネ1:9)

「すべての人を照らすそのまことの光が世に来ようとしていた。」(新改訳)

別訳「まことの光があった。それは世に来て、すべての人を照らすものである。」

(ヨハネ1:14)

「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。」

神のめぐみとまことが満ちていたのです。そこには神の命が輝いていました。この事を信じる人々に、神の子となる特権をお与えになったのです。クリスチャンはこの神の命によって生かされており、神の子とされています。そこには喜びが満ちています。真の命があるからです。

しかし、苦難の中を耐え抜いている人々がいます。今、最も貧しく、最も悲惨な地域はシリヤのアレッポです。東アレッポはシリヤ軍が奪回したそうです。戦争の悲惨さを思う時、この地域の戦争が早く終結するように祈らずにはいられません。

(ルカ2:2)「これは、クレニオがシリヤの総督であったときの最初の住民登録であった。」イエス・キリストの誕生は、シリヤという地域に住んでいた総督、名前はクレニオ、その時の出来事であったと記録されています。シリヤの名前が浮かぶ時、この所に、平和の神、和解の神が来てくださり、戦争が終結しますようにとお祈りして欲しいと思っています。

 

このような戦争の事を思っていると「クリスマスの休戦」を思い出しました。

今からの話しは1914年12月にヨーロッパの戦場で起こった奇跡的なことです。

1914年・第一次世界大戦。冬の12月。
 ドイツ軍とフランス軍・英軍が、100メートルぐらいで隔てあう塹壕(ざんごう)戦を行っていました。その様は激しく、砲撃の応酬で悲惨なものでした。
 その最前線のドイツ軍の塹壕に、クリスマスの日、一人の男が慰問に訪れました。彼の名は、ヴァルダー・キルヒホフ。当時、世界で最もチケットをとる事が困難といわれるバイロイト音楽祭に、1911~14年にかけて4年連続出演するほどの高名なドイツのテノール歌手です。
 ドイツ軍の塹壕から、キルヒホフの美しい歌声が、凄惨な戦場に響きわたりました。それは、100メートル先の敵国フランス軍の塹壕にまでとどいたのでした。すると、フランス軍の中から「この歌声は、パリのオペラ座で聞いた、ヴァルダー・キルヒホフのものだ」と叫ぶものがいた。その歌声に聞き覚えがあることに気付いたフランス将校は、ドイツ軍の塹壕に向かって大きな拍手をおくりました。すると、その拍手を聞いた、キルヒホフは、殺しあって憎むべき敵でありながら、自分の歌声に拍手を送ってくれた人がいることに感動しました。彼は、相手の気持ちに応えるために、思わずドイツ軍の塹壕から飛び出して、笑顔でゆっくりと敵に向かって歩き出しました。そして両軍の中間地帯(ノーマンズ・ランド)を横断し、拍手を送ってくれた、敵の将校に、深々と優雅に挨拶をしたのでした。その瞬間、戦場は、戦場でなくなってしまいました。
 この様子を見ていた両軍の兵士たちが、塹壕から出て来て敵兵と交流してしまったからでした。語りあい、家族の写真を見せ合ったり、チョコレートをあげたり、お酒をくみかわしたり、サッカーまでやったそうです。休戦というのは交戦国の上層部が取り決めるのが普通ですが、現場の兵士から生じるのは稀なことでした。人々は、後にこの日の出来事を、「クリスマス休戦」と呼びました。クリスマスの賛美によって、憎しみをこえた瞬間の出来事でした。孤独で激戦地帯にいる兵士たちに神が送ってくださったしばしの休息の時でした。

 (ルカ2:13~14)

すると、たちまち、その御使いといっしょに、多くの天の軍勢が現れて、神を賛美して言った。

 2:14 「いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。」

「まことの光があった。それは世に来て、すべての人を照らすものである。」(ヨハネ1:9)

あなたの心に真の平和、平安がありますか。イエス様はあなたのためにお生まれになりました。


罪からの救い主、イエス

2016-12-13 21:44:16 | Weblog

2016.12.11.罪からの救い主、イエス

聖書 マタイ1:18~25

題  罪からの救い主、イエス

暗唱聖句 (マタイ1:21)

「マリヤは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる方です。」

はじめに

 昨日、子供クリスマス会を開きました。この頃の子どもたちは、いろんなイベントがあって、とても忙しく、なかなか、教会のイベントに来ることができません。いつも来ている子供たちはそれぞれに用事があると連絡してきました。そんなわけで、半分、全滅かなと思っていました。でも、みんなに祈ってもらったので、子供たちを送ってくださると半分信じて、クリスマス会を迎えました。すると、英会話教室の子供たちが2人、来てくれました。「友達と遊ぶ約束をしていたけど、こっちの方が楽しそうだと思って来ました。」と話してくれました。おうちのおばあさんが車で送ってくださったそうです。日頃、英会話を教えて、がんばっている先生たちへのクリスマスプレゼントですね。静かですが、楽しいクリスマス会を開くことができました。主は素晴らしいお方です。私たちが失望しないように励ましてくださいます。

今日はクリスマスメッセージの2回目です。

今日は夫ヨセフの決断です。

1.イエス様は私たちの救い主

マリヤはヨセフと結婚する約束をしていました。しかし、2人が一緒に生活を始める前に、マリヤのお腹に赤ちゃんが宿りました。マリヤは聖霊によって赤ちゃんが宿ったことがわかっていましたが、ヨセフにはわからなかったので、ヨセフはとても悩みました。ヨセフはマリヤを疑いました。しかし、彼女を愛していました。当時のイスラエルの法律にはこのように書いてありました。

(申命記22:23,24)

「ある人と婚約中の処女の女がおり、他の男が町で彼女を見かけて、これといっしょに寝た場合は、 あなたがたは、そのふたりをその町の門のところに連れ出し、石で彼らを打たなければならない。彼らは死ななければならない。これはその女が町の中におりながら叫ばなかったからであり、その男は隣人の妻をはずかしめたからである。あなたがたのうちから悪を除き去りなさい。」

当時のイスラエルでは婚約は結婚と同じようにみなされていました。ですから、ヨセフは本当に悩みました。そして、最終的には密かに離縁しようと考えたのです。マリヤを愛していたヨセフはマリヤが石で殺されるようなことにはなってほしくなかったのです。彼はマリヤの命を救おうと思い、密かに別れようと考えました。

このように思い悩んでいる時、ヨセフは夢を見ました。ヨセフの夢の中に天使が現われました。天使は、ヨセフに神からの特別な言葉を伝えるために、夢の中に現われたのでした。

(マタイ1:20,21)「彼がこのことを思い巡らしていたとき、主の使いが夢に現れて言った。『ダビデの子ヨセフ。恐れないであなたの妻マリヤを迎えなさい。その胎に宿っているものは聖霊によるのです。

 1:21 マリヤは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる方です。』」

天使はヨセフに、マリヤの赤ちゃんが救い主であることを知らせました。「イエス」という名前は「主は救いである。」という意味です。そして、イエス様は、私たち人間を「罪から救ってくださる方」であると言いました。

2.私たちは罪を解決することはできない。

天使はイエス様の事を「罪から救ってくださる方」と言いました。「罪」とはいったい何でしょうか。「罪」というのは神に喜ばれないことです。犯罪は目に見える形の罪です。犯罪を犯せば、法律で裁かれます。犯罪のように法律で罰を受けなくても、私たちの心の中に住む自分ではしたくないこと、自分では考えたくない事を思うこと、それが罪です。聖書は教えています。

ローマ7:15「 私には、自分のしていることがわかりません。私は自分がしたいと思うことをしているのではなく、自分が憎むことを行っているからです。」

(ローマ7:17~20)

「ですから、それを行っているのは、もはや私ではなく、私のうちに住みついている罪なのです。

 7:18 私は、私のうち、すなわち、私の肉のうちに善が住んでいないのを知っています。私には善をしたいという願いがいつもあるのに、それを実行することがないからです。

 7:19 私は、自分でしたいと思う善を行わないで、かえって、したくない悪を行っています。

 7:20 もし私が自分でしたくないことをしているのであれば、それを行っているのは、もはや私ではなくて、私のうちに住む罪です。

 7:21 そういうわけで、私は、善をしたいと願っているのですが、その私に悪が宿っているという原理を見いだすのです。」

(ローマ7:24)「 私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか。」

ギャンブル依存症の方がこんなことを言っていました。「私はパチンコが楽しくてやっていたのではありません。泣きながらやっていたのです。ただ、私の身体がパチンコ屋に向かって走り出すのです。自分は止めたいのに、止められなかったのです。」この状態を罪に縛られている状態と言ってよいでしょう。

私たちがやりたくない悪いことを考えたり、やったりするのは、罪に縛られているからです。その罪のために、思った通りの良いことをすることができません。私たちは、自分の力では、罪から自由になることはできません。私たちには「罪から救う」救い主が必要です。

 

3.イエス様は私たちを罪から救うことができる。(ローマ8:1~6)

神は私たち人間が罪に縛られていて、救い主が必要であることを知っておられます。そのため、神は私たちを救うためにイエス様を遣わしてくださいました。イエス様は私たちの内から罪を取り除いてくださいます。また、イエス様は私たちを罪の力から自由にしてくださって、悪いことをしなくてもよいようにしてくださいます。それだけではなく、私たちはイエス様の力で良いことをすることができるようになります。それはイエス様の内にある聖霊の力が私たちにも与えられるからです。

4.結論:イエス様を信じて、罪から救っていただきましょう。

 イエス様は救い主です。 イエス様の名前の意味は「救い」です。そして、もう一つの名前は「インマヌエル」で、イザヤ7:14の預言の成就です。イエス様は十字架にかかって死なれただけでなく、3日目によみがえって、今も生きておられ、私たちと共にいてくださいます。インマヌエルの神は昔いまし、今いまし、またもう一度来られるお方です。

 この罪からの救いをとても簡単にわかりやすく、教えている絵本に出会いました。クリスマス・ストーリです。それは三浦綾子さんの「したきりすずめのクリスマス(ISBN978-4-907233-05-1C0793)」です。舌切雀は日本の昔話の中に入っていますね。有名な話です。その舌切雀に三浦綾子さんが考えたストーリをつけ加えて、楽しいクリスマス・ストーリになっています。英語の訳が一緒に書いてあり、みなみななみさんの絵も優しさに溢れ、心がいやされます。少し、紹介します。

 1羽の雀がおばあさんののりを食べてしまって、舌を切られてしまいます。雀は雀のお宿に帰ったきり、帰ってきませんでした。心配したおじいさんはその雀を探しに行きました。おじいさんは雀のお宿に迎えられ、市民クリスマスを一緒に楽しくお祝いしました。帰りにお土産をいただきました。「重いつづらと軽いつづらはどちらがいいですか」と聞かれ、おじいさんは軽いつづらを選びました。そして、おうちに帰ったのです。家に帰って、おばあさんに雀のお宿であったことを話し、お土産の話をしました。「重いつづらと軽いつづらがあったけど、軽いつづらを選んだよ」と話しました。すると、おばあさんは怒ってしまいました。おじいさんは知らん顔して、つづらを開きました。すると一冊の本が出てきました。「聖書」と書いてありました。おじいさんは「聖書?聞いたことのない本じゃ。珍しいのう。」と言いました。おばあさんは「本、本なんて、トイレットペーパーにもならない。」と言い、「私が行って重いつづらをもらってきます。」と言いました、お爺さんは「そんな恥ずかしいことをしないでおくれ。」と言いましたが、おばあさんはさっさと出かけてしまいました。

 そして、雀のお宿についたのです。雀たちはおばあさんを歓迎しました。しかし、おばあさんは「つづらをください。それだけで良いから。」と言って、挨拶もそこそこに欲しいものだけを要求しました。雀たちは「重いつづらと軽いつづらはどちらがいいですか。」と聞きました。おばあさんは「舌切雀のおばあさんは重いつづらに決まっています。重いつづらをください。」と言いました。おばあさんはその重いつづらを背負って山の中を歩いて帰りました。大変重くて時々休まなければなりませんでした。でも、金銀がザクザク、5億円ぐらいあるかもしれないと思ったら、気持ちがワクワクしてきました。途中で、とうとう、待ちきれなくなり、中身を開けてみようと思いました。

さあ、何が出てきたでしょう?

 

お化けです。おばあさんは「たすけて~」と叫びました。

「おばあさん、どうしましたか。」「助けてください。お化けが・・・」

「おばあさん、よく見てください。あれはお化けではありません。あれは、あなたの心の姿です。」

「何だって、あれが私の心?私の心があんなに恐ろしい姿をしている、じょうだんじゃない。」

「そうです。じょうだんではありません。」

「この3つ目小僧をごらんなさい。これは欲張りの心です。目は二つで十分なのに、3つもあるでしょう。あなたは欲深くありませんか。」「よくは深くない。でも重いつづらをもらってきたので、よく深いかもしれない。」

「つぎの口裂け女は、いじわるの姿です。いじわるした覚えはありませんか。」

「はいあります。雀の舌を切りました。」

「次の焼きもちのおばけは、やきもちの心の姿です。」

「わかりました。申し訳ありません。私は本当に悪い女です。やきもちやきでおこりん坊です。だから雀の舌を切りました。ああ、やっと気が付きました。私がどんなに悪い恐ろしい心の人間か、今やっと気が付きました。私は何と罪深い恥ずかしい人間でしょう。」「どうぞ、お許しください。今から心を変えます。」

「いいえ、あなただけが罪深いのではありません。大人も子供もみな同じです。自分だけ良ければよい。自分の家族さえ幸せなら良い。人より少しでも良い学校に入りたい。出世したい。お金がほしい。自分より優秀な人間が憎い。重いつづらと軽いつづらを出されたら、誰もかれもが重いつづらをもらいたいと、思う人ばかりです。皆さん、そうではありませんか。」

「ところで、あなたはどなたですか。」

「わたしはイエス・キリストです。」「聞いたことのない名前ですが、ご商売は何ですか。」

「人をつみの重荷から救うのが仕事なのです。人の罪を代わって背負って、救ってあげるのが仕事なのです。」

「私の重い罪のつづらも背負ってくださいますか。」

「もちろんあなたの代わりに背負ってあげますとも。すべて重荷を負っている者は、わたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。罪を悔い改めた人は、みんな救われるのです。」「わたしは人の罪を背負うためにこの世に生れました。」

おばあさんが悔い改めると、イエス様はおばあさんの罪を赦して下さいました。他に人殺しや子供たちが出てきて悔い改めました。悔い改めた人はすべてイエス様の友達になりました。

そこへ、お爺さんがやってきました。「イエス様、今日はあなたのお誕生日のお祝いをしましたよ。私はおばあさんのように悪いことをしたことはありません。欲深くも無く、意地悪でもありません。私は何一つ、罪を犯したことも無く、正しく生きてきました。」

それを聞いたイエス様は悲しそうに言いました。「世界中探しても、誰ひとり正しい人はいません。」

おじいさんは言いました。「しかし、わしがおります。昔から舌切雀のおじいさんは良い人じゃとみんなが言います。まるで神様みたいだと。・・・」

イエス様は「後ろを見てごらんなさい。」と言いました。

おじいさんがふりかえってみると、なんと大きな天狗のお化けが立っているではありませんか。

「これがあなたの本当の姿です。ごうまんの姿です。この罪はおばあさんの罪よりも大きいものです。」

・・・「罪が大きい?・・・無茶な。」「・・・・・・わかりました。私は長い間一緒に生きてきたおばあさんをバカにしていました。おゆるし下さい。」

すると、天狗のお化けもイエス様が背負った大きなつづらの中に吸い込まれて行きました。

イエス様はみんなの罪の入ったつづらを背負って、雪の坂道を上って行かれました。すると不思議な光景が見えてきました。十字架です。イエス様がつけられた十字架が見えました。いったいどうしたことか?

「それは、私たちの罪のためです。本当は世界の人々が自分の罪のために十字架にかかるはずでした。けれども、イエス様が代わって十字架にかかってくださったのです。この事は聖書の中に詳しく書かれています。おじいさんがもらった聖書こそ、私たちに本当の幸せをもたらす、この世で一番の宝物だったのです。」

「本当にありがたいことです。今日は、そのイエス様がお生れになったクリスマスなのです。イエス様は、私たちを救うためにこの世に来られたのです。自分たちの罪を思い出して心から悔い改めてお祈りしましょう。」

「クリスマスおめでとうございます。みんなで、キリストのお誕生をお祝いして歌いましょう。」

「歌いましょう。」「歌いましょう。」「歌いましょう。」              

 

 

 

 


喜びと祝福の御子、イエス

2016-12-08 21:44:18 | Weblog

2016.12.4.喜びと祝福の御子、イエス

聖書 ルカ1:26~38

題  喜びと祝福の御子、イエス

 

暗唱聖句

(ルカ1:46,47)

「マリヤは言った。『わがたましいは主をあがめ、

 1:47 わが霊は、わが救い主なる神を喜びたたえます。』」

 

はじめに

 今年も12月になり、クリスマスの季節がやってきました。このクリスマスの季節は一年の中で最も喜びに溢れた季節です。町に出ても、お店ではクリスマスソングが鳴り響き、活気にあふれています。皆さんはクリスマスの本当の意味を知っていますか。クリスマスはイエス・キリストの誕生をお祝いする日です。誕生日は何回お祝いしても喜ばしいものですね。特に、このイエス・キリストの誕生日に、イエスさまに出会う人たちは、人生が変えられます。素晴らしく変えられ、落ち着いて生活をすることができるようになります。平安が心に満ちるようになるからです。

1.クリスマスはイエスさまの誕生祝いの日

ガリラヤのナザレという町に、マリヤという女の人が住んでいました。マリヤはおそらく14~15才だったろうと思います。将来結婚する約束をした婚約者がいました。お互いに愛し合っており、結婚する日を楽しみに待っていました。

そんなある日のことです。マリヤの所に天使がやってきました。天使はマリヤに神様からの特別な言葉を伝えるためにやってきました。天使はマリヤの家に入って来て、こう言いました。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられます。」マリヤは天使がやって来て、不思議なことを言ったので、ひどく驚いてしまいました。そして何のことかわからず、考え込んでしまいました。すると天使はマリヤに言いました。「こわがることはない。マリヤ。あなたは神様から恵みを受けたのです。あなたのお腹には赤ちゃんが宿って、男の子を産みます。その子の名前をイエスとつけなさい。」(「イエス」は救いという意味)

マリヤは天使に言いました。「どうしてそのようなことになりえましょう。私はまだ男の人を知りませんのに。」すると天使は答えて言いました。「聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたを覆います。それゆえ、生れる者は、聖なる者、神の子と呼ばれます。

ご覧なさい。あなたの親類のエリサベツも、あの年になって男の子を宿しています。不妊の女といわれていた人なのに、今はもう六か月です。

  神にとって不可能なことは一つもありません。」

  マリヤは言った。「ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように。」こうして御使いは彼女から去って行きました。

このようにして、マリヤはイエスさまのお母さんとして選ばれました。マリヤはここで、み使いの言うことを信じて受けとりました。その時から、マリヤの体内に神の御子が宿ったのです。神にとって、不可能なことは一つもありません。このようにして、イエスさまの誕生が始まりました。

 マリヤは名も無い小さな村、ナザレの町の一人の少女でした。その彼女が救い主の母親として選ばれました。神は名も無いような、小さな一人の人を選んで、神の働きを進められます。マリヤは「お言葉通りになりますように。」と応答します。それによって、救い主の母マリヤとしての大きなドラマが始まったのです。マリヤはダビデの家系でした、また夫ヨセフもダビデの家系でした。この家系は先祖のアブラハムの家系につながるものでした。神はアブラハムへの約束を忘れておられませんでした。アブラハムの子孫であり、ダビデの家系であるマリヤから、救い主がお生まれになり、全人類の祝福となられたのです。こうしてアブラハムへの「あなたの名は祝福となる。地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。(創12:2~3)」と言われた事が成就しました。

私たちの人生にもイエスさまを信じて、心にお迎えすることによって、その祝福をいただくことができます。それはただの恵みによってです。マリヤは信仰と、謙遜、従順をもっていました。

信仰と謙遜、従順をもって、主にお仕えするなら、主は聖霊に満たして、喜びを与えてくださいます。クリスマスの主役はイエス様です。そしてこのイエス様の誕生をお祝いするのがクリスマスです。

2.クリスマスの主役はイエス様。

天使からお告げを受け、「あなたのお言葉通り、この身になりますように。」と言って神の言葉を受け入れた時から、マリヤは男の子をみごもりました。神であられたお方が、人間の子供として、身を低くして、マリヤの身体に宿られたのです。「ことばは人となって私たちの間に住まわれた。(ヨハネ1:14)」ということが、実際に起こった瞬間でした。マリヤには少しずつ体の変化が起きてきました。

婚約者のヨセフさんにこの天使が告げた話をしましたが、信じてくれませんでした。最後まで、信じてもらえない場合、マリヤは石打ちの刑にかかって殺されることになります。マリヤはいったいどうしたものかと考えました。そして、エリサベツおばさんの所へ行くことにしました。エリサベツおばさんは不妊の人でした。しかも、もう年を取って、子供の生まれない身体になっていましたが、天使のお告げで、奇跡的に妊娠していると聞いたからです。マリヤと同じような体験をしている、エリサベツおばさんだったら、自分の立場を理解してくれると考えました。ナザレからエルサレムまでの道のりは3~4日はかかります。遠くても、これはマリヤにとってとても大切なことでした。そして急いで旅に出たのでした。

マリヤはエリサベツおばさんに会って、自分の身の上に起こったこと、そしてこれからどうしたら良いのか、などを聞きたいと思ったのです。そして、お腹の赤ちゃんはどんな赤ちゃんなのか、はたして神の御子なのか、救い主なのか、知りたいと思いました。エリサベツの家は祭司の家です。神の家族ですから、きっと正しい知識と知恵を与えられると信じていました。

 マリヤはエリサベツの家について、エリサベツおばさんに挨拶をしました。「こんにちは。シャローム」すると、エリサベツおばさんのお腹の赤ちゃんが踊りだし、エリサベツは聖霊に満たされました。そして大きな声で預言をしました。神様がこの言葉を授けてくださったのです。

「あなたは女の中の祝福された方。あなたの胎の実も祝福されています。

 1:43 私の主の母が私のところに来られるとは、何ということでしょう。

 1:44 ほんとうに、あなたのあいさつの声が私の耳に入ったとき、私の胎内で子どもが喜んでおどりました。」

エリサベツは聖霊に満たされ、神の言葉を預言しました。そして、エリサベツはマリヤのお腹の赤ちゃんが救い主であることを告げ、マリヤとイエス様を大歓迎しました。エリサベツのお腹にいる赤ちゃんは、後でバプテスマのヨハネと言われる人です。ヨハネはイエス様を紹介するために生れてきました。ここでもまだお腹の中ですが、イエスさまが救い主であることをエリサベツに知らせているのです。クリスマスはイエス様が主役です。エリサベツがマリヤとイエス様を歓迎したように、私たちもイエス様を歓迎します。また、ヨハネがしたように、イエス様を紹介する時です。クリスマスは誰でも気軽にイエスさまの話ができます。「クリスマスって、何をするの?」と聞かれたら、どう答えますか。教会でやっていることをそのまま話してください。イエス様を紹介するチャンスです。

3.イエスさまは私たちに喜びを与えてくださる

マリヤはエリサベツのことばを聞いて喜びました。イエスさまのお母さんとして選ばれたこと、やがて、イエスさまが救い主としてお生まれになることを喜びました。そして、マリヤは神様を賛美しました。「わが魂は、主をあがめ、わが霊は、わが救い主なる神を喜びたたえます。」(ルカ1:46,47)

マリヤもエリサベツも、そして、エリサベツのお腹にいた赤ちゃんも、イエスさまがお生まれになることを知って、喜びに満たされました。同じように、クリスマスにイエス様を心の中にお迎えする人は、喜びに満たされます。イエスさまは、神さまからの最高のプレゼントです。

4.結論:クリスマスにはイエス様をお迎えしよう。

 クリスマスの主役はイエス様です。主役のいない、誕生パーティは寂しいですね。ところが日本のクリスチャン人口はほんの少しです。多くの人が主役なし、イエス様なしのクリスマスを過ごしています。イエスさまに出会って、人生が有意義なものに変えられるように祈りましょう。

【口語訳】(ネヘ 8:10 )そして彼らに言った、「あなたがたは去って、肥えたものを食べ、甘いものを飲みなさい。その備えのないものには分けてやりなさい。この日はわれわれの主の聖なる日です。憂えてはならない。主を喜ぶことはあなたがたの力です。」

主イエスを喜びましょう。イエスさまは私たちを祝福するためにお生まれになりました。主を心の王座にお迎えしましょう。喜びがあふれてきます。それは聖霊に満たされるからです。

まだ、イエス様を信じておられない方へ申し上げます。このクリスマスにイエス様を信じて、心にお迎えしましょう。「イエス様、私の心に来てください。」とお祈りしましょう。主は喜んで来てくださいます。あなたの人生は変わります。むなしい人生ではなく、神と共に歩む、有意義な人生に変わります。もう孤独ではありません。神様があなたを背負って導いてくださいます。あなたの涙を拭いてくださいます。