古文書を読んで感じたこと

遠い時代の肉声

トビ・カラス群がり ウレイ声聞え申し候

2010-09-25 20:45:22 | 講座(古文書)
天狗党の大集団が
中山道を西に向かっていることは
お多賀参詣から帰る途中の
平七も兼吉も知っていた
そして新加納(各務原市)辺りで遭遇する

大通行を心ときめかせながら
眺めている平七等は
強引に人夫にかり出されてしまった
根尾筋村々の最奥大河原
ここら辺りから深い雪に遮られながらの行軍となる
道なき道を峠越え(蠅干峠)
漸く辿り着いた
越前最初の秋生は焼き払われていた

天狗党の面々は精神力だけで
凍えにも耐え進んだ
新保宿に着いた時降伏する

平七は見た
対立し敗北したものの過酷な運命を

召し連れられて来た平七などは釈放された

お仕置き場の方角には
トンビ カラスが千羽も群がり
ウレイ声が聞こえてくる
今も耳に残る





元治元甲子年冬浪士千人斗筑波山より出
道筋所々合戦
信州和田峠ニて松本勢諏訪勢と大ニ戦ひ
それより飯田へ来り妻籠へ出
十一月廿七日大井宿泊り
鵜沼加納邊り越前ぇ趣
敦賀ニて事終る
右ニ付上古井村百姓口上書写

      上古井村 平七・兼吉

 私共義 去子十一月廿二日志願ニ付
 江州多賀大社ぇ参詣仕
 此節帰村仕候手續 左ニ申上候
一多賀参詣の上十一月廿九日加納泊り
 晦日朝出立
 新加納迄相越候処
 上りの方へ多人数武士抜身の槍
 或(あるいは)鉄炮所持押参り候ニ付
 恐敷(おそろしく)存候
 十一月廿九日 水戸浪士鵜沼宿出立追々通り
 両人共往還北の方へ引込候林山の邊へ通り
 見物いたし罷在候所
 廿軒と申所ハ此邊ニ候哉と
 鉄炮所持の人々近寄参り相尋申候
 暫く東の方ニ候旨申候
 同し風俗の人三人相越
 此辺ニて人足相雇申度候へ共
 人歩無之甚迷惑いたし候ニ付ては
 今晩泊りまて相雇度旨申聞候ニ付
 私共ハ多賀ぇ参詣仕
 帰路の者ニ御座候間
 何卒御断申上度と相答候
 尚又拾人斗(十人ばかり)相越
 中ニは騎馬武者壱人大将分と相見へ
 此馬壱人引くれ候よふ申聞候
 壱人ハ荷物を持くれ候様段々相頼候ニ付
 押て相断候処更ニ不聞入(聞き入れず)
 手を引立 是非是非持参り可申旨
 やにハに引立候間
 何方の御家中ニ候哉相弁ず候へとも
 身柄の人ニ被願
 此上断(ことわり)申上候ては
 如何様の義出来も難斗(はかりがたく)と
 奉存(ぞんじたてまつり)候間
 不得止(やむをえざる)事
 平七ハ別當ニ相成
 兼吉ハ荷物を少々持 付添相越
 途中休足の所ニて承り候へハ
 水戸浪士の由 承知仕
 恐敷候へとも断も不相立 段々付添参り
 芥見村ぇ出 長良川渡り越
 天王村并ニ鳥羽村粟野村等へ止宿
 又々相断(あいことわり)
 帰村為致呉(いたさせくれ)候様申聞候処
 先方の申条ニハ
 只今引取候ては 其方共身の上無覚束
 大垣彦根を始 所々堅メも有之
 被召捕候も難斗(はかりがたく)
 今晩ハ一宿可致と丁寧ニ取廻し呉
 必逃帰る事無用と申聞候間
 甚心配の余り
 右天王と申村境口の所
 所々出入の口々道筋を
 浪士多人数ニて相堅メ
 出入さらニ不相成様相見へ候間
 翌朝ニ至り 中仙道ぇ出之
 其節ハ如何様ニいたして成とも
 逃帰り可申と心組ニ罷在候処
 翌十二月朔日早朝より
 一同出立ニ付
 又々引つれられ候て
 長屋村昼支度
 同日揖斐村止宿仕候
一私共被召連候大将名前承り候所
 水戸ニおゐて三百石
 国分新太郎と申人の由ニ御座候
一揖斐村泊り
 夜彦根大垣等夜討可参由ニて
 浪士ニおゐてハ
 口々ニ堅人数(かためにんずう)を以厳重ニ
 相守候義ニ御座候
一村内出入口并作場道共
 浪士七八人ツヽ夜中篝火ニて相守申候
一十二月二日金原村泊り
 同三日長峯村并天神堂村長嶋村等ニ止宿
 私共ハ金原村ニ止宿仕候
 大将分其外ニて評義仕候義ニ付
 模様ハ不相訳候へとも
 何分此辺迄召連れられ候上は
 逃帰り候義も迚も不行届
 外々より逃帰り候人歩ハ
 御堅メの手ニ召捕
 又々即座ニて切捨られ
 或村々百姓の手ニ入
 一命を失ひ候者も有之候旨承り候ニ付
 不得止事付添罷在候所
 先方大将始至て私共を大切ニ取廻し呉
 軍ニ相成候とも一命ハ請合(うけあい)候間
 最早帰村いたし候事思ひ切候様段々申諭有之
 十二月四日五日六日の間甚難渋
 其辺雪深く 追々降積り蝿干峠と申
 越前越の節ハ橋を切落し
 或ハ松杉等切たをし往来留
 通路更ニ不相成場所ニ差掛り候て
 大将分の者のこぎり斧等荷物より取出し
 往来妨有之木々切除
 又ハ仮橋等芝松杉を以て取拵へ相越
 私共ハ引馬荷物を持運ひ候次第ニ御座候
一此辺ぇ罷成候ては
 浪士鎧を捨 又ハ駕籠小筒其外不用の荷物ハ谷へ捨
 又ハ焼失 身軽ニいたし峠を越申候
一小荷駄馬の内 細道難場ニて
 谷へ荷物馬共ニ欠落(かけおち)候場所も有之候
一病人等も此辺ニてハ駕籠を捨
 或ハおひ 又ハ手を引合せ
 大病の者ハ弐人三人して難所を取越申候
一此辺ニ至り候ては
 壱日ニ壱里弐里位の所ニて
 一宿いたし候ニ付
 四日より六日迄ハ甚難所ニ御座候
一此邊村々人家立去り
 壱人も村内ニ居候者無之村多相見へ
 其内居合の者有之場所も御座候へとも
 人の色土の如くニして
 一言も申もの無御座候
一夜ニ入候節ハ明家へ入
 篝火多分ニたき
 その辺の薪等勝手次第所々ニて取集
 篝火昼の如くニ御座候
一金子等ハ所々ニて貰ひ候へとも
 更ニ遣ひ候義不叶
 たべもの等も多分私共ニ得宛行(あてがい)候ニ付
 入用無御座 先方へ預ケ置申候
一右峠越前所々差掛り候節人馬渡し方
 大将ニてそれそれ工夫いたし
 人家ぇ行 ふとんを取出し
 川中へ敷 人馬を渡
 芝を切流し橋といたし 人歩を渡し申候
一此邊の谷々へ結構の武器鑓大筒の外
 武器多分押流し候
 尤も此場所より所持の武器鑓大筒の外
 持参不致 身軽ニ相成 峠を越
 越前大野御城下村々の内へ入込候所
 大野御領分七ヶ村
 領主より焼拂ニ相成
 陣場の手當と相見へ
 橋々切落し有之候所へ
 六日朝五ツ半頃着いたし候処
 其夜ハ至て寒風強く 雪ミそれ降り
 身こゞへ 甚難渋仕候
 乍去七ヶ村焼捨候場所ニ壱人も堅メ人数無之
 大将始焼残居候土蔵の内より
 夜具ふとん取出し壱夜を明し申候
 尤も夜中軍卒へ申付有之候ニハ
 明日必軍ニ可相成候間
 大筒をさらへ可申と申付られ
 大筒方ニてハ夜中筒さらへいたし
 大砲の音山間ニ響き
 今ニも軍ニなり候心持ニ御座候
一兵粮ニ迷惑仕候ハ此場所ニ御座候
 尤も此所ニて野陣ニ相成候と
 相心得居申候
一十二月七日木之本より
 北国海道池田へ出止宿仕候
 八日松ヶ鼻村泊り
一翌九日今庄宿へ着の所
 同所ハ彦根御堅メの由
 然ルニ本陣始明渡し
 彦根方右宿出立いたし逃去跡と相見へ
 宿々席札門ニ打有之候所ニて
 浪士一同止宿仕候
一此邊村人数更ニ無之処逃去
 雪降候事五六尺
 滞留二三日ニして十二日新保宿へ止宿
 是も彦根固メ場の跡ニ御座候
一同日ニ候哉日並聢と(しかと)覚無御座候処
 浪士より加州御固メ御人数へ被願出候由
 下々の私共承り居候ニハ
 去ル戌年以来天朝より異国討拂の義
 御公義様始諸大名様へ被仰出候所
 討拂無之ニ付
 此度水戸御隠居様の思召を
 臣下武田初メ天朝ぇ願被出申候ニ付
 加州様ぇ降参の上理非分明の事
 御分被下度(おわかりくだされたき)願の由
 右願御聞入相成候ヘハ 武田初メ浪士本望の由
 一命ハ勿論差出し願出候趣の由
 浪士衆より承り申候
一右願書十二日より廿四日迄
 段々御引合の様子ニ見請申候
 同日承り候ニハ
 加州様ぇ願意御引請ニ相成候由
 同日より敦賀へ御引入相成申候
 右途中 加州勢案内ニて
 先立浪士五拾人斗の中へ加州勢厳重ニ締りいたし
 段々右の通〆り(締り)いたし敦賀表寺へ引入
 右寺ニハ幕打廻し
 加州勢斗りニて外を固メ 門外へ出候事不叶
 尤も至て丁寧ニ馳走
 一日替リニ焼物付ニして被下候
一十二月十九日加州より御使者来り
 其節の様子承り候ニハ
 浪士降参いたし候由
 然ル上ハ異国打拂の味方ハ
 加州必引受可申旨
 鑓長刀両刀大筒其外武器類
 馬迄不残相渡べくとの使者の由
 夫ニ付日本三軍師とやら申候武田も安心して
 武器不残(のこらず)大守の命ニ随ひ相渡し
 既ニ同日長持入ニして
 不残武器相渡申候
一廿四日より加州勢ニて
 昼夜替り替り武田初大将分
 其外下々ニ至るまて一間の外不出
 取次の役人用弁いたし
 外の事聊も不相分
 馳走ハ日々出申候付
 大将分より残り肴を貰ひ
 又ハ私共迄焼物付ニして馳走有之
 安心ニ暮居候処
 正月廿八日ニ相成
 夫々の役人より至ての馳走の趣ニて
 私共ヘハ硯蓋迄出候馳走有之
 翌日廿九日ニハ御尋の旨有之との風聞御座候
一廿九日ニ相成候所 締り人足役人参り
 武田を初 組々ニて拾人ツヽ可罷出旨申入候ニ付
 夫々用意の上入口を出候て玄関へ向順々ニ出行申候
 私共如何の事と心配いたし居候中
 名前呼候間 入口へ出候処
 駕籠ニふとん敷 乗候様申聞候間
 則乗(すなわち、のり)門外へ出 
 両方を見請(みうけ)候処
 御公役并ニ諸大名衆と相見へ
 鑓鉄炮ニて透間もなく御固メ相成候
 一目見るより身体震ひ縮ミ罷在候処
 敦賀町引廻し参り
 町端より行當りの所ニ幕打
 竹矢来の場所有之内へ釣込
 無二無三ニ大勢押掛り
 高手小手ニ〆上(しめあげ)られ
 足ニハ材木を以拵へ足狭六寸釘ニて打〆
 其上牢の中へ押込申候
 右の通大将分初壱人毎ニ同様の次第ニ御座候
 私共両人 壱人ハ四番の牢へ入
 壱人ハ十一番の牢へ入申候
 右牢と申ハ土蔵の大き成十七戸前牢ニ仕立
 横ニ丸穴を明 食事通ひ場ニいたし
 其余ハ更ニ明間無御座候
 入来り候人々誠ニ心外の体ニ相見へ
 早く首打可申
 如斯の仕向ケ加州大守ニ有へき事なし
 犬大名と怒り
 斯有と知るならハ
 先般諸大名の固メ切抜上京可致義ハ安き事
 一万弐万の勢ハ皆殺しニ可致を
 今更心外千万と実ニ立腹の聲承り申候
一牢ニ拵へ候土蔵 長廿五六間内八間より
 少キハ長拾壱間内四間位ニて十七戸前
 人数八百余人右の通ニ相成申候
一二月朔日士分斗壱人毎ニ呼出し
 相尋候由ニ御座候
 右の人々牢へ帰りの上風聞を聞候処
 筑波山初湊川合戦 夫より高崎和田峠
 人数を討候分相尋候由ニ御座候
 私共義ハ牢の丸穴の口へ役人参り始末相尋申候
一平七義ハ四番の牢
 大将分国分新太郎 小栗弥平 山形半六初
 一同の中へ入申候
 牢中の様子同様ニ御座候
 一日ニにぎり飯三ツツヽ貰ひ申候
一入牢の時衣類をぬがせ 
 はだかにして吟味いたし候間
 金子其外着替等迄不残相渡申候
一二月四日四番牢より大将分国分新太郎壱人呼出し
 夕方迄も帰り無之如何と存候
 其日ハ雨風強く天地鳴か如く
 定て変と人々思ひ合せ申候
 牢毎ニ大将分斗右の通ニ呼出し
 駕籠ニ乗せ連行 帰る人壱人も無之
 同日大将分廿八人呼出の由
一同七日私共初助命可相成分
 敦賀御役所ぇ壱人毎ニ呼出し
 御尋有之候ニハ
 牢中の者牢破りして逃去候と申者も相聞
 且又加州始公役を種々恨ミ候風聞有之候付
 有体可申上旨御尋有之候へとも
 左様の義一向不存と相答へ申候
一十五日百三拾四人 
 十六日九拾九人呼出しの由承り申候
 武田初呼出しの侭帰る人更ニ無之候ニ付
 定て目駕籠等ニて江戸表ぇ御差送りニても
 相成候半と奉存候処
 出牢の上夫々承り候所
 何れも打首ニ相成候由ニ承り申候
一二月十七日私共生所等御取調ニ付申上
 并ニ押て被召連候始末有体申上候
 外々いつ方の者ニ候哉不存者七八拾人も助命被仰付
 銘々ぇ金壱分ツヽ被下
 下役体の者柳ヶ瀬御番所迄送り呉
 夫より道を急き一昨廿一日帰村仕候
 右送り参り呉候下役体の者噂ニハ
 御仕置場所ハ大き成穴掘有之
 右穴三ツ今日迄ニ埋候由承り申候
 右御仕置場方角遠見いたし候所
 天ニハ鳶烏千羽も群りウレ井聲相聞へ
 只今ニも耳ニ残り
 永々世話ニ逢候人々死罪ニ相成候と承り候ヘハ
 不思(おもわず)愁傷落涙仕候
 元来事の善悪ハ相弁不申候へとも
 段々慈愛ニ預り候義ニ付
 責てハ一遍の回向香花も手向度と奉存候
一右の外 長々浪士ニ附添候へとも
 別段承り候義も無御座候
 其余御吟味ニ預り候義は無御座候
 付ては右の通一旦浪士の者ニ被召連候義ニ付
 如何様ニ御咎被仰付候とも
 今更可申上様無御座候
 乍併求て被召連候義ニ無御座候間
 幾重ニも御憐愍の程偏ニ奉願上候
  丑二月廿三日   
         平七印・兼吉印

右の通相違不申候間御憐愍を以
御咎の義御宥免被成下置候様
只管奉願上候 以上
       上古井村庄屋………印
            組頭………印
 丑二月
 
  高田意六様
 
 
 


温知政要その7

2010-09-11 10:16:13 | 講座(古文書)
温知政要第十九項目

一凡(およそ)人間貴賤に限らす
 命長からすしてハ
 何事も成就する事なし
 聖賢の教戒千万年の後迄も
 尊ひ用ひられ
 文武の明君國天下を持ち
 長久の基を開き給ふも
 是寿命の長きより
 成しおかせらるゝ事也
 士農工商の相應に本意を達し
 諸藝 ものゝ上手 名人なるも
 年月久しく積り怠らぬ故也
 國を治る者
 人の為 國の為
 利益ある事にても
 急に拵たる儀は
 衆人の心騒き服せすして
 存するやうにならぬもの也
 そろそろと年数懸りて
 とくと成し熟すれハ
 隅々迄も滞なく
 自然と風俗迄も宜しく
 いつ迄も持堪へ
 後は法度の世話もなくても
 済やうに成へきこと也
 人の痛 難義なる筋は
 速に改め直し
 公事沙汰願訴訟并
 日用取扱にと存候ハすは
 さしつかへのみニて
 人の迷惑甚しく
 無益費も出来る事也
 前々井の内へ踏はつし
 はまりし者有之時
 近所の者共井の際へ立集り
 色々と相談し
 古例なと考へて居る内に
 彼者腫ふくれて
 死し後迄も笑ひの種と成し
 と聞及ひたり
 理にくらく片意地に覚へたり
 下々にハ是等のたくひ
 いか程もあるへき事也

人間貴賤に拘わらず
長生きしなければ
何事も成就できない
家康が天下を取り
幕府長期政権の基を築けたのも
長命であったからこそである

一般人でも
諸芸 物の上手 名人は
たえず努力を惜しまず
長い年月を怠りなく積み重ねている

何事もせいては事をし損ずる

国を治める者は
拵え(公共工事など)が
人の為国の為になろうとも
急こしらえはいけない(出来上りが粗雑になる)
ゆっくりだがしかし怠りなく
すみずみまでも(領民が納得するよう)
気を遣い 念を入れ
丈夫に仕立てるべきだ
それが長期の使用にも堪え
結果的に費えも少なくて済む

だが早く(大規模普請)手を打つべき時
領民の利害がからむ
(計画段階での議論)
下々の意地の張り合い(住民のエゴ)は
度々起こる

昔話に
井戸へ落っこちた人があった
近所の人たちが井戸際に集まり
あれこれ救助策を相談するのだが
口角泡を飛ばすばかり
一刻も早くという救出作業を怠って
死亡させてしまった
と云う笑い話がある





一改(あらため)直す事 
 能と斗(よきとばかり)心得ては
 大なるたかい(違い)も必有事也
 差たる事なき迄もおもく生し
 国法も軽々しくなり
 手厚き事なき様ニなり行へし
 兎角我一人思慮分別斗ニて
 危き事なれは
 諸人の智執用(とりもちい)
 理非問答の能(よき)佐輔          佐輔=補佐
 なくてハならぬ事也
 百姓町人風情さへ
 善子共(よきこども)あるか
 善手代(よき手代)持たる者の
 萬の事にはか(捗)の
 行にて知るへし


文字は不可思議なものだ
「良い」と書いて「いい」と読んでも構わない
しかし発音でも文字でもかなりニュアンス的には違う
どうでもいいことだがここでは「いい」と書く
いい行い、いい主張と云う意味の
「いい」と考えていただきたい

いいことはいいことだ
至極当然のことなんだが
「いい」ことはあくまでも「いい」と
云い張るのもどうかと思う
「いい」ことを「悪い」と云う積りはないが
石部金吉を思い浮かべていただきたい

「悪い」ことは「悪い」
犯すべからざる条理だ
その「悪」とは何ぞや
簡単に云えばルールを守らない事だろう
法律という規制を皆が守ることで
社会が成り立っている
個人尊重の世の中でも自由は束縛される

あんたは今日まで
一度も悪いことをしたことがないかネー
グーの音も出んだろう
心配はいらない あんただけではない
人間なんてものはいいこと正しいことだけして
押し通せる人なんて一人もいないから

法律はキラ星の如く
数え切れないほどの禁止を決めているからネー

法律も一旦決めると定規で測ったように一律に
適用せざるをえない(適用範囲に情が入り込む余地がない)
あなたがやったであろう悪いこと(法律違反)を
一々処罰していたら
警察裁判所刑務所はどれだけあっても足らん

法律の穴をくぐれば(法律に触れなければ)
善(民主主義教育ではそう教えた)
と云わないまでも悪にはならない
裁判でも証拠がなければ罰せられないからねー

ホリエモンがかって云った名言がある
金儲けが悪いか

金にまつわる話は数多ある
金額が大きくなると人の妬みもある
大店(おおたな)の息子の
相続或は贈与での鳩山君
政治資金での小沢君

勿論罪に軽重はある
しかしあなたのやった悪いことも
軽いとは云え罪は罪だ

人にはやっていけないモラルがある
人の心の奥底にあるモラルの善悪と
法律上の善悪とは基本的に違う
となるとあんたの嫌いな宗教の出番になる
「神様私は悪い事をしました」
「どうぞお許しください」と懺悔する
神にすがると云うあの心境だ

このブログ一体何を云いたいのか
そう思いつつここまで読んだかも知れんが
日本の将来を憂いた単なるグチ グチ グチ

 

一上より下に至る迄
 私を捨 天理にかなう様にと
 朝暮忘るゝ間なく工夫すへし
 暫くも怠れハ邪念生し安く
 中にも上たる身の上に
 専心を付へき事あり
 國郡数多領し
 数万人を召仕ふ事
 先祖より代々限りなき厚恩なり
 左あれハ譜代相傳の者共
 恵ミ養ふハ申にも及ハす
 其代々に取立恩顧を蒙りし輩
 男女に限らす皆々同し事也
 上の心は毛頭隔なくても
 萬端心得たかへて(違えて)身を引
 はからすも不忠不義に似たる輩ハ
 自分自分の身より出せる事にて
 是非に及ハす
 但上の存念いまた至らさる内
 斯のたくひ有ましき物ニてなし
 然るに部屋の時分思ひ立
 とくと熟せす 心まわりて
 我への仕かたおろそか成ると
 そんしたかへ(存じ違え)
 正躰もなき事を宿意にはさみ
 其返報をすへきと思ふたくひ
 是全く匹夫の所存ニて
 言語に述かたき浅ましき心持なるへし
 唯々親疎なく平等に
 憐愍せすしては叶さる儀
 第一孝行の真実 
 天理の本意より生する事也
 我行の通りならハ
 子々孫々も又々右の心を受続て
 長久おのつから天理共に等しかるへし



右此一巻の書述志所以は
條数を以て急度号令せしむるに非す
人々常に座右に差置くに
我本意を知り
何れも此心持を失ハす
熟讀翫味するのうへ
おのつから心も正しく身も修り
政道の助にもならむことを欲し
重て数語を以て
元を後に附する而巳(のみ)