古文書を読んで感じたこと

遠い時代の肉声

寝物語の由来

2010-04-25 00:40:47 | 講座(古文書)
ここに関ヶ原村柏原村付近の地図がある
(明治期に発行された5万分の1の地図)
と云ってもコピーでしかも部分なので
発行所などは不詳だが(発行所は調査するつもり)
国土地理院前身(陸地測量部)
のものに違いないと思う
この地図の岐阜県と滋賀県の県境に
長久寺(字名)がある
その下に(寝物語)と
カッコをつけて併記してある
寝物語を地名として載せたのだろうか
そうでないのなら

寝物語の旧記名所たるにより上聞に達し
かたじけなくも御上(おんかみ)より
御めぐみ成し下しおかれ
万代不易の蹤蹟たり(寝物語の由来)

と云うことで 
この地図に掲載されたのだろう
非常に珍しい扱いだと思う





  寝物語の由来

此所を寝物語と申ハ
江濃軒相隣り       江濃=近江美濃
壁を隔て
互に物がたりをすれバ
其詞(そのことば)通じ
問答(とひこたへ)
自由なるゆへなり
むかし源義経卿
東(あつま)へくだり
給ひしとき
江田源蔵廣成といひし人
御後をしたひ
奥へ下らんとて
此所に一宿し
此屋の主と
夜もすから物語せしうち
不斗(ふと)其姓名をなのる
隣国の家に泊り合せし人
これを聞
扨ハ江田源蔵殿なるか
我社(われこそ)
義経卿の御情(なさけ)をうけし
静(しづか)と申もの也
君の御後をしたひ
是まて来りしが
付添し(つきそひし)
侍(さふらひ)ハ
道にて敵(かたき)の為に
うたれぬ
我も覚悟を極め
懐剣に手をかけしが
いやいや何とぞして
命のうちに
今一度君にまミへ奉らん
と虎口の難をのがれ
漸(やうやく)これまて来りしなり
おもひもよらず
隣家にて
其方(そなた)の
ねものがたりをきくうれしさ
これ偏(ひとへ)に
佛神の御引合(ひきあハせ)ならん
此うへハ
我をも伴ひ給ハれ
と有けれバ
源蔵聞て
扨ハ静御前にてましますか
此程の御ものおもひ
おしはかり
御いたハしくこそ
此うへは御心安かれ
是より御供仕らん
と夜もすがら壁を隔て
ものがたりし
翌日此所を
御たちありしよりこのかた
此所を美濃と近江の
国境(くにさかい)寝物かたりとハ
申傳(つたう)るなり
其のちも
度々ねものがたりの
舊記名所たるにより
上聞に達し
辱(かたじけなく)も
御上(おんかミ)より
御恵(めぐミ)
被成下置(なしくだしおかれ)
万代不易の蹤蹟(しやうせき)たり

 江濃両国境寝物語終
        両国屋

身を錦繍に粧い ぞめきにぞめきて

2010-04-12 21:26:03 | 講座(古文書)
降御札(おふだふり)の柿野村版
(土岐市鶴里町柿野林卓夫家文書)



おふだふり? 何じゃそれ
まだあるぞ 
おかげまいり 
ええじゃないか
(これについてはいつかもっと書きたい)
21世紀に生きるあなたたちには
訳のわからないことが次々に起こった



明治維新を当時の人は
御一新と云った
以後どさくさまぎれに
いろいろとあったが
西欧文明を大急ぎで
取り入れ
総じて近代化に成功した



もう死語になっていると思うが
「かぶれる」という言葉があった
西洋かぶれの連中が
今に蔓延っていて(はびこる)
(今では全国民がかぶれっぱなしになって)
もうどうにもならんが
これが正義だというものを
造り出そうとしてはきた
法律の制定だ
(西欧標準の悪の禁止)



科学で証明できない事柄
例えば漢方薬の効用
UFO 幽霊
八百万の神
こういった種類の事を
西洋かぶれは
訳のわからないことと表現するが
これから読む文書は
科学的根拠がどうとか
ありえない話と嘲笑するかも知れない
信用しようとしまいと本当に起きた話だ




降御札あらまし

いにしえより世の変化ある事を思うに 
たとえば碧落の雲のごとく 
又蒼海の濤(なみ)に似たり 
一事往んぬと見れば又発るところ新し 
されば頃は
慶應三卯年八月末方のことなるが 
ある人の曰く 
頃日東海道辺は
先年寅年御蔭参りの節のごとく
(当卯年まで三十八年になる)
存じ寄らずも御札所々へ
降りくだりたまうよし申すにつき 
珍らかなることに聞きしが 
なお追々承れば 
右東海道辺は
日増しに打ち続きくだりたまうこと 
近在一円にして 
いにしえと違い神の御札ばかりにあらで 
或は御幣 または金仏 
或は木像くだりたまいて 
人の悦び大方ならず 
なかにも富家などに降りたまいければ 
その嬉しみにほだされつゝ 
金を蒔くあれば また百銭を投げるあり 
そが中には 浮かれ立ち身を錦繍に粧い 
ぞめきにぞめきて日を送る中 
はや名古屋までも降り来たりたまい 
最初は本町玉屋とやらん言う
扇屋へ降りしが始めとかや 
それより名古屋は町へ降り 
またお城 或は屋鋪 
在町にかけて日増しに降り 
なおその後にいたるほど 
いくばくと言う数しらぬまで
降りたまうとなん 
九月十五日には 
はや瀬戸辺まで降り来たりしと聞く内 
翌十六日と言う日にいたり 
時は昼の四ツ時にて侍りしが 
当町にてあそここゝ 
人々寄りつどいつゝ大空を打ち仰ぎつゝ 
指さして見てあるまゝ 
何事やらんとあやしみ聞けば 
只今御札降り来たらせたまうよし申し 
仰がぬ者はなかりけり 
その様大空はるけくながめあるに 
高きことは限りなく高く 
見るところの御形(みかたち)
微塵に小さく 
勿体なくも蚊のごとくして 
東西南北と行き違い 
打ちよぎりたまうこと 
一躰に見ゆるあれば 
二躰三躰つづきて飛び去るあり 
また下なるが上へのぼり行くあり 
まことに奇異の思いして 
ながめに時をうつしけり 
この十六日は雪はありながら
折よく快天にして拝むこと安かりし 
これも日輪の輝やかせたまう
直ぐの片辺なるゆへ 
かくも明らけく拝みたれど 
日のかがやき遠き空にては 
なかなか拝むことむつかし 
右の御札見当りにしたいと 
アレアレアレ ソレソレソレと
指し仰ぎしこと 
幾ばくと言う数をしらず 
かくも限りなき御札 
大空にやゝ拝みたるといえども 
いまだ神慮にかないがたきにや 
この日村内へ一躰も降りたまわず 
残念の思いに過ごせり 
その後しばらく日を経て後 
御札お待ち受けのため
生社神へ神酒を献じ 
また御庭火を供して待つといえども 
信心薄きにや
いまだ降らせたまうにいたらず 
また日を経て後 村内新田かけ 
若連中志願として
装束馬七騎を献じたり
この日は十月八日のことなりしが 
彼の御馬場も事すみたれば 
人々も皆引き払い
物静かに暮ゆく折がら 
かけまくも御鳥居先へ
天照らすおほ御神の剣先の御札一門
ふうわりとくだらせたまう 
この当日御馬場を賑わかし 
法楽なし奉るところ 
たちまち感応せさせたまうところと 
いといと有り難く
村人一同喜ぶこと限りなし 
彼の御札その夕暮れ 
庄屋井野休兵衛殿方へ仮に祭り奉る 
その節祝詞のためおもむきにまかせ 
前田大和殿右休兵衛方へおもむかんと
自身の裏なる馬場まで立ち出でられしところ
(この節は暮方なり)何やらん森の方 
いと物騒がしきよう聞こゆるまゝ 
彼のところをひと目見やると 
そのまゝ惣身ゾツとしたるよう覚え
(この時すぐに神ののり移りたまいて
それよりはさらに覚えなし)
この時みずから帯せし腰ものは
馬場に抜き置き 
「伊織 伊織」と火急に呼びたまうゆえ 
何ごとやらんと 
伊織どのあわてふためき 
はだしのまま出で来たり見たまうに 
父大和殿の気相(きつそう)常ならず 
あたりも狂気のごとく見えしゆえ 
まづ袖にすがりたれば
「身は神前へ急用あり はなせ はなせ」
とその袖をむりに引き放ち 
見る間もあらぬに 
はや神前へ行くその軽さ 
また右にひとしく石段の数をも踏まで 
一足とびに飛びおり来たるその様 
あたかの飛蝶にことならず 
その節神前より持ち下られし物といえば 
前かど馬場を渡らせし
馬の背に用いしところの
おもげに見えし白幣なり 
そを忙しく手に持ち来たり
「いざ休兵衛殿方へ急ぐべし」とて
飛ぶがごとくに急ぎ行き
同人座敷口より入りたまう
その節伊織殿と
内をはだ足にて出たるまゝ 
父の袂に取りすがりたるまゝ 
同じく座鋪に入られたり 
大和殿その時 
直に座敷へは入りながら 
床なる神前に向かい拝せし形に 
そのままそこに倒れ伏し 
祝詞をもあげずして 
やや久しく空躰なり 
その時そのかたわらに
伊織殿居りたまい 
父上に向かい「私祝詞いたすべきや」
と問いたまえど返答なし 
二三度繰り返して伺わるるうち 
「しかるべし」との返答ゆえ 
伊織殿祝詞はすまされたり 
しかりといえども大和殿には 
いまだ元のごとく覚えなき様子なれば 
又々しきりにゆり起こせしところ 
ふと心つき候姿にて 
つと立ち上りながら 
大音に「理兵衛」と呼びたまう 
この時理兵衛かたわらにこれあり
返答すといえども 
大和殿の言葉なし 
その節大和殿曰く
「たらぬものあり」と 
皆人曰く
「何品にて候や」
と問えどなお返答なし 
この時座敷にある余人には 
庄屋久兵衛(休兵衛)ほか
相役中理兵衛多蔵佐助
ならびに紺屋家内一同なり 
又座敷の軒には数人これあり 
その節右人数の中にて存じつき 
いまだ神前にしめ(注連縄)を失念したり 
と皆々慌てそれに取りかゝる 
この時大和殿は 
以前白鳥神社の前より持ち来たり
たまうところの御幣を手に持ち 
立ちたるまゝなるが 
又「たらぬものあり 神前を見るべし」と 
神前を見れど降り御札一躰のほか何もなし 
なお伊織殿神前を 
右御降り札を祭り置きし机の下 
灯明かげの暗きところより何をか繰り出し 
大和殿へ渡されたれば 
大和殿も
「これは」と言いぬばかりに手に取ると 
そのまま右の御幣に取り添えて 
あわただしくも立ち出でて 
林理兵衛宅へおもむかせられ 
座敷口より入りたまい 
床前にいたりて
何をか床に置かせらるる様見奉るは 
思いがけぬ木造の尊躰なり 
御幣とともに置きたまいぬ 
この時家内は飛び立つ思い 
今日までも家内ならびに屋敷とも
いと清浄にきよめたてお待ち申す
しるしもなく甲斐なきことに思う折がら
この幸あり 
実に有り難くあなとうと
恐伏限りあるべからず 
この時大和殿 
事以前紺屋にてのありさまのごとく 
御前に拝せしように
伏したるままやゝ正躰なし 
時に息伊織殿も父上
そも床前に来たり居りたまえども
大和殿正躰なきまゝ父上に向かい
「私祝詞いたすべくや」と問いたまえど 
いらえ(答え)なければ 
即時に伊織殿祝詞は済まさせられたり 
この時大和殿ふと起き上がり
床の上へ駆け上がり 
注連竹二本の内一本を手にたずさえ 
又飛ぶがごとく紺屋へ帰り 
座敷口より飛び入り 
そこなる神前にいたり 
右の竹一本を押し立てつつ一拝なしたれば 
これを限りに元の正躰に立ち帰られたり 
今までのことはさらさら覚えなしとなり 
誠に奇異のありさまを皆人目前に拝し 
深くもおそれおののきたり 
委細はくだんに述べるごとくながら 
夜もたけなわになりゆくまゝ
今宵はこれを限りとせり
明くれば十月九日にて
まず座敷を清浄に打ちきよめ
十五畳の間に
表向きに御棚(みたな)をかざり
尊像を諾い奉る
御前には毛氊(もうせん)
新薦(しんこも)を敷き
供物哥賃柿梨など
三方にかざり立て献ず
この日表には
酒接待所をもうけ
あまた取り持ちもあるまゝ
竃を立て酒をわかし
終日諸人に施したれば
酩酊(めいてい)し
行き倒るゝもの数を知らず
なおまた村内一同
志(こころざし)を発し
新田ども廿一組より
供え餅一櫃ずつたまわるゝまゝ
棚にかざり上げ置き
折を見合わせ投げたる
かたがたその賑わしさ
町いっぱいに
人の波立ち押し合いしは
目覚ましく なお勇ましかりし
当日近き人々より恵みたまいし
賜り物は別帳のごとし
それをほかにし(別にして)
わが神前の賽銭ばかりも多く
六七百文なりしなり
右尊像の御事
何処へ天降り居りたまいて
今度わが家へ入らせ下し
たまわりしや
そのもとを知らず
予(私)つつしみてこれを思うに
下らせたまいし日は知らざれど
察するところ
白鳥大明神玉籬(たまがき)のうちへ
降りくだりあらせられ
なお理兵衛宅へ
お納めらせくだしたまわんとの
神慮にてましませし御事にやと
察し奉るよりほかなし
この尊像霊験も殊にあらたかなる
みしるしにや
大和殿にのり移らせたまい
わが家へ入らせくだしたまわるゝこと
しんもつの別段の御事なり
殊に紺屋休兵衛殿座敷へも
ひとたび入らせられながら
そこをとび退き
なおわが家へ入らせ
くだしたまわるゝ
神慮の厚きところを察し奉れば
有り難きと申すも恐れあり
よりてこれを深く信用奉り
以来永久信仰怠るべからざる者なり
なお思うべし 
村内所々へ降りくだりたまいし御札
いずれとて訳はなけれど
いずれも紙御札ばかりなる中
この尊躰のみ御木像にてましますこと
いとありがたしありがたし

  降り御札の奇談はあまたにて
  限りなけれど後の一覧のため
  ただその一つを左に記し置きぬ

右本文に述べるところの
本町玉屋の亭主
ある夜
何心なく 
い形飛びける夜中がた
表の戸ぼそを
ほとほとと打ちたたき
秋葉なり 秋葉なり
と呼ばりたまうを
夢うつゝに聞き
ふしぎの事と思いながら
忘れて
又も寝入りたり
ほど経てのち
又右のごとし
こはただ事ならじと
亭主も早速起き上がり
曰く
われはこれ秋葉なり
焚けと申し付けたるかがり火
何ゆえ焼かざるや
早く焚かずば
その方が家宅
焼き亡ぼすべし
しかし隣家は類焼させじ
気遣うべからず
と言うまゝ
波の盛んに燃ゆるところの
かがり火を
わが両手にすくいあげて
持ち来たり
すは焼かずば焼きつくすべし
いかにいかにと責めつけられ
そのありさまを見奉れば
なかなか常に見る忠八ならず
こは正真の秋葉大権現
のり移りたまいますことを
ようやく奉り見るまゝ
深くも恐れ入り
おわび申し上げながら
只今焚き申すべしと
急ぎみかがり焼き立てたり
この時忠八事
たちまち神去りたまうか
元の心地に立ち帰り
もとの忠八になりしとなり
誠に神変ふしぎとは
これらをや申すべし
翌日に相成り
忠八に向かい
その様子をたずね聞くに
何事もさらに覚えず
今日にては身体は堅固ながら
誠に五体よわりはて
ただ諸用大義(億劫)にて
心にまかせぬよし
申せしとなん



   ふり御札をよめる

         便筑舎弁銭
降り御札 ふれるこゝろや 清よからん
 あふぐみそらも 愍れなりけり
ふりみ札 雪と乱れて あもれゝと
 いかなるためか 心とけせぬ
隔てたる 神と仏は 雪あられ
 今はまけてか 降る天が下

  ふり御札は人々待てども
  村内家別にも降らで
  多く不同のありければ
時雨する みそら降り来る 御札さへ
 ふりみふらずみ 村はありけり
ふり御札 まつにしぐれて 降り来ぬは
 神のなさけの 薄紅葉かは

  神無月はいかゞあらんと
  思いしにやはり変わらで
  降りければ
神なしの 月は名のみに ふりみ札
 行き来たえせぬ 天の八街
ふりみふだ あえず拝みつ 袖れす世に
 百居れば百 見聞く我しも
  この百居れば百とは 予がごとき老ゆ間も百年
  いきれば百いろと さまざま珍らかなる事どもを
  和々(かずかず)見きくことかなといえり

神ほとけ なべて継がぬと 末の世に
 語らば人や 空言(そらごと)とせん



右は後年 人の見ん料にと思うものから
記し置く事しかり

慶應三丁卯年十一月吉日
         林多蔵誌