ここに関ヶ原村柏原村付近の地図がある
(明治期に発行された5万分の1の地図)
と云ってもコピーでしかも部分なので
発行所などは不詳だが(発行所は調査するつもり)
国土地理院前身(陸地測量部)
のものに違いないと思う
この地図の岐阜県と滋賀県の県境に
長久寺(字名)がある
その下に(寝物語)と
カッコをつけて併記してある
寝物語を地名として載せたのだろうか
そうでないのなら
寝物語の旧記名所たるにより上聞に達し
かたじけなくも御上(おんかみ)より
御めぐみ成し下しおかれ
万代不易の蹤蹟たり(寝物語の由来)
と云うことで
この地図に掲載されたのだろう
非常に珍しい扱いだと思う
寝物語の由来
此所を寝物語と申ハ
江濃軒相隣り 江濃=近江美濃
壁を隔て
互に物がたりをすれバ
其詞(そのことば)通じ
問答(とひこたへ)
自由なるゆへなり
むかし源義経卿
東(あつま)へくだり
給ひしとき
江田源蔵廣成といひし人
御後をしたひ
奥へ下らんとて
此所に一宿し
此屋の主と
夜もすから物語せしうち
不斗(ふと)其姓名をなのる
隣国の家に泊り合せし人
これを聞
扨ハ江田源蔵殿なるか
我社(われこそ)
義経卿の御情(なさけ)をうけし
静(しづか)と申もの也
君の御後をしたひ
是まて来りしが
付添し(つきそひし)
侍(さふらひ)ハ
道にて敵(かたき)の為に
うたれぬ
我も覚悟を極め
懐剣に手をかけしが
いやいや何とぞして
命のうちに
今一度君にまミへ奉らん
と虎口の難をのがれ
漸(やうやく)これまて来りしなり
おもひもよらず
隣家にて
其方(そなた)の
ねものがたりをきくうれしさ
これ偏(ひとへ)に
佛神の御引合(ひきあハせ)ならん
此うへハ
我をも伴ひ給ハれ
と有けれバ
源蔵聞て
扨ハ静御前にてましますか
此程の御ものおもひ
おしはかり
御いたハしくこそ
此うへは御心安かれ
是より御供仕らん
と夜もすがら壁を隔て
ものがたりし
翌日此所を
御たちありしよりこのかた
此所を美濃と近江の
国境(くにさかい)寝物かたりとハ
申傳(つたう)るなり
其のちも
度々ねものがたりの
舊記名所たるにより
上聞に達し
辱(かたじけなく)も
御上(おんかミ)より
御恵(めぐミ)
被成下置(なしくだしおかれ)
万代不易の蹤蹟(しやうせき)たり
江濃両国境寝物語終
両国屋
(明治期に発行された5万分の1の地図)
と云ってもコピーでしかも部分なので
発行所などは不詳だが(発行所は調査するつもり)
国土地理院前身(陸地測量部)
のものに違いないと思う
この地図の岐阜県と滋賀県の県境に
長久寺(字名)がある
その下に(寝物語)と
カッコをつけて併記してある
寝物語を地名として載せたのだろうか
そうでないのなら
寝物語の旧記名所たるにより上聞に達し
かたじけなくも御上(おんかみ)より
御めぐみ成し下しおかれ
万代不易の蹤蹟たり(寝物語の由来)
と云うことで
この地図に掲載されたのだろう
非常に珍しい扱いだと思う
寝物語の由来
此所を寝物語と申ハ
江濃軒相隣り 江濃=近江美濃
壁を隔て
互に物がたりをすれバ
其詞(そのことば)通じ
問答(とひこたへ)
自由なるゆへなり
むかし源義経卿
東(あつま)へくだり
給ひしとき
江田源蔵廣成といひし人
御後をしたひ
奥へ下らんとて
此所に一宿し
此屋の主と
夜もすから物語せしうち
不斗(ふと)其姓名をなのる
隣国の家に泊り合せし人
これを聞
扨ハ江田源蔵殿なるか
我社(われこそ)
義経卿の御情(なさけ)をうけし
静(しづか)と申もの也
君の御後をしたひ
是まて来りしが
付添し(つきそひし)
侍(さふらひ)ハ
道にて敵(かたき)の為に
うたれぬ
我も覚悟を極め
懐剣に手をかけしが
いやいや何とぞして
命のうちに
今一度君にまミへ奉らん
と虎口の難をのがれ
漸(やうやく)これまて来りしなり
おもひもよらず
隣家にて
其方(そなた)の
ねものがたりをきくうれしさ
これ偏(ひとへ)に
佛神の御引合(ひきあハせ)ならん
此うへハ
我をも伴ひ給ハれ
と有けれバ
源蔵聞て
扨ハ静御前にてましますか
此程の御ものおもひ
おしはかり
御いたハしくこそ
此うへは御心安かれ
是より御供仕らん
と夜もすがら壁を隔て
ものがたりし
翌日此所を
御たちありしよりこのかた
此所を美濃と近江の
国境(くにさかい)寝物かたりとハ
申傳(つたう)るなり
其のちも
度々ねものがたりの
舊記名所たるにより
上聞に達し
辱(かたじけなく)も
御上(おんかミ)より
御恵(めぐミ)
被成下置(なしくだしおかれ)
万代不易の蹤蹟(しやうせき)たり
江濃両国境寝物語終
両国屋