古文書を読んで感じたこと

遠い時代の肉声

追鳥狩(おいとがり)

2010-02-07 12:11:32 | 講座(古文書)
武士は戦争が職業だが
江戸時代も後半になってくると
その経験がほとんどない
それでも文武両道とか云って
武術の鍛錬はおさおさ怠りなかった
その一環として
軍事訓練「追鳥狩」が行われた

追鳥狩絵図が岩村町歴史資料館に残る
それを見るとかなり大規模な行事だ
練武とはいえ鳥獣狩りである
当然のことながら勢子がいる
大勢の農民がかりだされた
ふた手に別れた隊形を
いろいろかえて行われた
夜が明けるとほら貝や太鼓の合図で
いっせいに鬨の声をあげる
轟音にも似た勢子の騒ぎ立てに
驚いたいのししやうさぎが飛び出し
山鳥やきじもまた飛び立つ
侍たちは獲物を追って駆けまわる
藩主のご上覧は
見晴らしのきく高台である
射とめた侍が御前に
駆けあがり獲物を献上する
一番に献じたものを一番鳥と云う
勿論ご褒美が与えられた
追鳥狩は農民と武士の融和策の
一つでもあったと云われる





    口上覚                
私儀当年追鳥狩の節
追い方勢子頭を仰せ付けられ候処 
旧来の打ち身にて腰痛つかまつり
駆け走りの働き難義つかまつり候 
もっとも拾いの方へは
まかり出るべく候条
はなはだもって恐れ入り候らえども 
勢子頭ご免成し下され候よう
つかまつりたく存じたてまつり候 
この段願いたてまつり候 以上
         河合宗左衛門
 壬子十一月廿二日(嘉永五=1852)          
   片苗字連名様

追鳥狩につき口上覚
拙者儀明三日火の廻りにつき
お狩場へまかり出申さず候
この段お届け申し上げ候 以上
 乙卯十二月二日(安政二=1855)  
         河合宗左衛門
   大御目付中様

河合宗左衛門は岩村藩
次席家老の重役である
前段文書は晴れ舞台の勢子頭辞退届だが
腰痛で指揮が執れない
拾い集めの方なら勤まりそうという
後段文書では明日は火の廻り当番だからという
何とも締まらない理由である
会社で云えば専務取締役級の重役だが
この人元来脆弱な体であったらしい

重役の欠勤届は珍しい
河合宗左衛門から出された
他の届書の一部を紹介する




私儀この節症積相勝れず 
下冷つかまつり候間
自由ヶ間敷ござ候へども
夏中も足袋相もちい申したく
存じたてまつり候
この段願いたてまつり候 以上
 丙午二月廿五日(弘化三=1846)
        河合宗左衛門
  黒岩助左衛門様



拙者儀風邪につき 
今日兵学講釈聴聞に
まかり出申さず候
この段お届け申し達し候 以上
 (以下略)



私儀足腫れ物でき
去々月晦日より
お断り申し上げ
引っ込み養生つかまつり
ありがたく存じたてまつり候
しかる処 長髪にて逆上染め
難義つかまつり候間
自由ヶ間敷ござ候へども
月代つかまつりたく
存じたてまつり候
この段願いたてまつり候 以上
 (以下略)



拙者儀昨夜中より腹病いたし
相勤めがたくござ候につき
引っ込み養生致したく候
もっとも 神谷雲沢薬    *岩村藩医で病人栄養食としてカステラ製法を伝える
相用いまかりあり候
この段お届け申し達し候 以上
 (以下略)


コメントを投稿