日本キリスト教会 大分中央教会

1517年、宗教改革による改革派信仰の伝統を引き継ぐ教会です。

聖書研究

2017-04-27 22:27:56 | 大分中央ウィークリー

創世記24章32節である。「その人は家に来て、らくだの鞍をはずした。らくだにはわらと餌が与えられ、その人と従者たちには足を洗う水が運ばれた。」という。彼、リベカの兄ラバンは挨拶の言葉通り、丁寧に迎え入れた。10頭のらくだに餌を用意して与える仕事が難なく成されているようにみえるが、その接待は大変な仕事になるはずである。がしかし、それを感じさせない腰の軽さを報告している。

 

次に遠来の客を迎えるに接待の仕方の第二が記されている。「その人と従者たちには足を洗う水が運ばれた。」と。足の疲れがいくらか和らぐ、人と人の最初の接待の方法である。家の僕がこれに当たる。そのことによって大体その家の待遇の全体が伝えられる。受けた方はこの接待によって全体を把握する。大事な二つであった。

 

33節である。「やがて食事が前に並べられたが、その人は言った。「用件をお話しするまでは、食事をいただくわけにはまいりません。」「お話ください」とラバンが答えると、」といわれています。娘リベカが第一報を伝えてから、どれくらい時間がたっていたのであろうか。ただの客人ではないということがわかっていたので、十分に夕食の用意が整えられていたようである。

 

しかしこの客人の、その長い一ヶ月以上に渡る旅路には、果たさねばならない一つの使命があった。何の障害もなく目的地に到達した背後には、神の支えがあったことを思い出していたのであろうか。とくにリベカとの出会いの成り行きに、祈りがそのまま適えられる体験がそのことを教えていた。神は目に見えないけれども、生きて働く神であられると。それゆえ食事の前に畏れをもって用件を話したいという。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿