(原 光訳 2000年、沖積舎)
ダンテの「神曲 地獄」編 第15歌(カッコ内は筆子、その13)
◯要するにみんな偉大で名高い聖職者と文人で、あの世界で同じ一つの罪で戯れたのだと知るがいい。
ブリシアン(6世紀のラテン文法学者)とフランチェスコ・ダ・コルソ(13世紀のフィレンツェの法学者)も、あの惨めな群と一緒だ、さらにあのような白癬(「ハクセン」皮膚病)が見たかつたら、(前回ここまで)
◯神の下僕の中の下僕によってアルノ(フィレンツェの別名)からバッキリオーネ(川の名)へ移され、そこで虐げられた神経を残して死んだあのものも見られるだろう。
もつと話したいが、これ以上連立つて話しつづけることはできぬ、あ
すこに新しい煙が砂から立つのが見られるから。
わたしが一緒になつてはならぬものたちが来るのだ。中にわたしがまだ生きてゐる、わたしの宝庫(原語「テゾロ」)をそなたに委ねる、頼むのはそれだけだ。」(つづく)
◯本日、2017年1月29日の日本聖書協会「聖書愛読こよみ」の主題は「従順を学ぶ」という。聖書の箇所は詩編63編1~12節である。その3節、「今、聖所であなたを仰ぎ望み あなたの力と栄を見ています。」という。よくよく「従順」とは
何か、この聖句から考えてください。この詩は捕囚のバビロンで歌われたもので、故国エルサレム神殿で主なる神を礼拝したときを思い出して歌っている。主なる神への従順は、礼拝で最もよく現されたからであろう。捕囚の地で何があっ
たかわからないが、乱れた心を整えている。
◯写真は27日、牧師館の畑にやって来たジョウビタキ(雄、スズメ科)、はるばる中国東北地帯からの1月の渡り鳥、2月下旬に大分にいなくなる。オスは美しい茶褐色の胸毛の装いがあり、単独で餌場を探しまた行動するのが特色であ
る。