五、「教会とわたしたち」(412) 5.近代から現代へ(宗教改革とその後)
はじめに、近代への萌芽としてアウグスチヌス著「神の国」(1968.教団出版)(その52)
33.ローマ市の陥落によっても矯正され得なかったローマ人の悪徳について
スキピオは、市民の志気・道徳が崩れ去っているのに、市の城壁が堅固なのは慶賀すべきことではないと考え
た。しかし、あなたがたの場合には、先見の明のある人物の警告の声よりも、不信の悪魔の誘惑の声の方が強
かった。ここからして、あなたがたが自分の行った悪の責任を回避しようとし、いまの苦難をキリスト教の責任
にしようとしている。繁栄と安全の時代に、あなたがたは国家の平安ではなく、逸楽・放縦の機会を求めた。今
や繁栄が失われても、あなたがたは(前回はここまで)道徳を自己矯正の好機として用いる術を知らない。ス
ピキオは敵国への恐れによって、あなたがたがほしいままの放縦に陥るのを防ごうとした。あなたがたはいま
敵によって打ち砕かれても、なお放縦な生活を止めようとしない。あなたがたは徹底的に惨めにされた。それ
でもあなたがたは依然として邪悪な生き方を変えないでいる。
34.神は恵みをもって破壊された都市に救いを与えられた。
あなたがたが現に生き延びている、というのは神の恵みによるのである。神はあなたがたを救い、悔い改めに
よって自らを正すように警告された。あなたがたは忘恩の民ではあるが、それでもあなたがたが神の僕と自称
することを、あるいは神の殉教者の教会に避難することによって、敵の手を逃れることを許された。ロムルスと
レムスは(つづく)(「神の国」出村彰訳)
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