海のポケモンへの興味は、生活に根づいて、頭の一部を常時占めるようになったようだ。ポケモンのキャラクターは膨大な数(100を超える)だが、それを一覧に描かれているポスターのようなもの(本人は新聞のようなものという。紙の大きさをさしているようだ)を、広げてはよく見入っている。持っているキャラクターグッズはまだ一桁だが、宝物のような扱いである。
わたしが聞いてみたらポケモンのテレビは、バトルがよいという。木曜日の番組(わたしはこれをまだ見ていない)だけでなく、最近日曜日の「ポケモンサンデー」も見るようになった。その番組は幼稚園で友だちから聞いてきて、自分で12チャンネル(テレビ東京系)を選び7時半から1時間を見るようになった。
そのためこれまで見ていた、「マジレンジャー」「ボウケンジャー」「「ゲキレンジャー」と続いてきた、テレビ朝日系のものは見なくなったようだ。
この種の番組は、日本の子どもは通過しなければならないのが現実のようだ。
ある時期にフランス人の女性ジャーナリストと、何回も話す機会があった。その人は日本でも3冊ほど本を出版していた。その本をめぐって話すぐらいに、日本とフランス事情についても語り合っていた。
ある場所で、その人の3歳ぐらいになった子どもに話しかけたことがある。日本の子どもにはすぐ通じる、テレビネタで接近した。するとフランス人の女性に、きっぱりと「やめてください」といわれた。コミュニケーションが不快に思ったのではなく、テレビネタのことであった。「日本の子ども向けのテレビ番組はひどいから見せていない」とのことであった。それから日本のテレビと子ども文化についての、話になったのだった。
海を観察していたら、4歳児で入園して6月ごろから当時「マジレンジャー」を見るようになったが、3カ月ぐらいまでは番組を見てすぐわが家に来ると、その感情を引きずってか、荒っぽい言動になっていた。その後は頭を切り替えてかられるようになったようであった。
この辺はのことは、テレビだけでなく幼稚園生活の険しさの洗礼を受けていることとも関係している要因もあるだろう。
それに3歳過ぎで消えかかったと思った全能感といったものが、「マジレンジャー」によって復活したかのようにとらえている。ここでいう全能感というのは、何でも自分の思い通りに周りが動いてくれる、という感覚である。見方を変えれば自己中心性ともいえる。
この感覚は、大人のいうことを受け入れなくなるので、一見元気な自己主張のようにも見える。ところがこの感覚ではその年齢の力を育てるために必要な知識と行動の仕方を受け入れなくなるため、自立的力が育ちにくくなるなるのである。
わたしはこの種のものは苦痛でありながら時には見て、子どもにとっての文化のあり方を考えるようにしている。子どもを社会的文化的視点から見るようにしているので、避けて通れないことだ。
ちなみにわたしは、テレビのこの種の番組やバラエティー、あるいはマンガを読むのは苦痛なので見ない。ここ20年ぐらいは、テレビのドラマもめったに見ない。マンガは幼いときからほとんど読んだ体験がないので、今読もうとしても時間がかかってだめだ。この嗜好性がよいというわけではなく、そのような人間もいるということである。
さて「ポケモンサンデー」を、リサーチの意味で見た。わたしの立場からすると、ばかばかしいバラエティー番組への入門のよう見えた。わたしは、バラエティー番組をひとくくりに否定するつもりはないのだよ。
番組は、大人がジョークをよそおってふざけたりからかったり、あるいは失敗して笑いを取る。いじめにもつながりそうなことをして笑う。見ているものが笑うのではなく、出演者どうしがそうしているのだ。そんなわけでストリー性はないようである。大人のバラエティー番組と同じつくりであるため、子どもにとってはそれへと視聴がつながっていくだろう。内容を練ってカネをかけて作っているとは思えないものだ。
それに内容が商品のコマーシャルと渾然一体となっている。タカラトミー、あるいは小学館がスポンサーになっていた。
こういった分析評価は、30分ぐらい見ただけなので表層的かもしれないが、記しておくことにする。
ところで海は、長男であり家族がこの種の文化に誘導していないので、自分で開拓している。兄のいる友達から仕入れてきているのだ。6歳を過ぎた年齢では、テレビゲームをしていて携帯ゲームで遊んでいる子どももいる。そのような子どもは友だちのなかで兄から仕入れた文化を披露しては、その分野では他の子どもより先んじるうらやましい存在であるのだ。
海がこの手の文化を仕入れてくる子どもが家に遊びに来たときは、携帯のゲームを持ってきていた。友だちに披瀝するためではなく、家で30分と制限されているので親の目のないときにゲームをやるためであった。6歳でそのような工面の仕方を、覚えているのである。
海は小学校に入ったらテレビゲームなどは避けて通れないから、どのように接近し生活に位置づいていくのか、今から興味深いのである。
ゲームについては、ゲーム脳という概念でその弊害を主張した本が出版されて、それは根拠がないということになっている。ゲーム脳論を否定した反動のためか、現在はゲームに対して寛容な論調になっている。
わたしはゲームが一過性のものでなく、依存性が強く子どもの生活への位置づき方によっては問題が小さくないと思っている。大人になっても長時間ゲームに依存した生活の人もいる。もっともこの種のことでは、ゲームだけの問題ではなく、パチンコ、ギャンブルなどの依存の問題もあるが。
なおポケモンについて調べてみたら、そのキャラクターを扱っている会社で、急成長していることが分かった。ポケモンのキャラクターは、ゲーム、カード、アニメ・TV・映画、グッズ(フィギュア、ぬいぐるみ、フード)、雑誌・文具、本、CD・DVD・ビデオなどになっている。したがってこれらの分野は、メーカーが限定されていない。フィギュアが出てくるガチャガチャポンはバンダイであり、本は小学館といった具合である。
アメリカでそうとう人気があるとニュースで聞くことがあるが、これも日本の外貨獲得の21世紀型の文化戦略に位置づくということになるのだろうか。
わたしが聞いてみたらポケモンのテレビは、バトルがよいという。木曜日の番組(わたしはこれをまだ見ていない)だけでなく、最近日曜日の「ポケモンサンデー」も見るようになった。その番組は幼稚園で友だちから聞いてきて、自分で12チャンネル(テレビ東京系)を選び7時半から1時間を見るようになった。
そのためこれまで見ていた、「マジレンジャー」「ボウケンジャー」「「ゲキレンジャー」と続いてきた、テレビ朝日系のものは見なくなったようだ。
この種の番組は、日本の子どもは通過しなければならないのが現実のようだ。
ある時期にフランス人の女性ジャーナリストと、何回も話す機会があった。その人は日本でも3冊ほど本を出版していた。その本をめぐって話すぐらいに、日本とフランス事情についても語り合っていた。
ある場所で、その人の3歳ぐらいになった子どもに話しかけたことがある。日本の子どもにはすぐ通じる、テレビネタで接近した。するとフランス人の女性に、きっぱりと「やめてください」といわれた。コミュニケーションが不快に思ったのではなく、テレビネタのことであった。「日本の子ども向けのテレビ番組はひどいから見せていない」とのことであった。それから日本のテレビと子ども文化についての、話になったのだった。
海を観察していたら、4歳児で入園して6月ごろから当時「マジレンジャー」を見るようになったが、3カ月ぐらいまでは番組を見てすぐわが家に来ると、その感情を引きずってか、荒っぽい言動になっていた。その後は頭を切り替えてかられるようになったようであった。
この辺はのことは、テレビだけでなく幼稚園生活の険しさの洗礼を受けていることとも関係している要因もあるだろう。
それに3歳過ぎで消えかかったと思った全能感といったものが、「マジレンジャー」によって復活したかのようにとらえている。ここでいう全能感というのは、何でも自分の思い通りに周りが動いてくれる、という感覚である。見方を変えれば自己中心性ともいえる。
この感覚は、大人のいうことを受け入れなくなるので、一見元気な自己主張のようにも見える。ところがこの感覚ではその年齢の力を育てるために必要な知識と行動の仕方を受け入れなくなるため、自立的力が育ちにくくなるなるのである。
わたしはこの種のものは苦痛でありながら時には見て、子どもにとっての文化のあり方を考えるようにしている。子どもを社会的文化的視点から見るようにしているので、避けて通れないことだ。
ちなみにわたしは、テレビのこの種の番組やバラエティー、あるいはマンガを読むのは苦痛なので見ない。ここ20年ぐらいは、テレビのドラマもめったに見ない。マンガは幼いときからほとんど読んだ体験がないので、今読もうとしても時間がかかってだめだ。この嗜好性がよいというわけではなく、そのような人間もいるということである。
さて「ポケモンサンデー」を、リサーチの意味で見た。わたしの立場からすると、ばかばかしいバラエティー番組への入門のよう見えた。わたしは、バラエティー番組をひとくくりに否定するつもりはないのだよ。
番組は、大人がジョークをよそおってふざけたりからかったり、あるいは失敗して笑いを取る。いじめにもつながりそうなことをして笑う。見ているものが笑うのではなく、出演者どうしがそうしているのだ。そんなわけでストリー性はないようである。大人のバラエティー番組と同じつくりであるため、子どもにとってはそれへと視聴がつながっていくだろう。内容を練ってカネをかけて作っているとは思えないものだ。
それに内容が商品のコマーシャルと渾然一体となっている。タカラトミー、あるいは小学館がスポンサーになっていた。
こういった分析評価は、30分ぐらい見ただけなので表層的かもしれないが、記しておくことにする。
ところで海は、長男であり家族がこの種の文化に誘導していないので、自分で開拓している。兄のいる友達から仕入れてきているのだ。6歳を過ぎた年齢では、テレビゲームをしていて携帯ゲームで遊んでいる子どももいる。そのような子どもは友だちのなかで兄から仕入れた文化を披露しては、その分野では他の子どもより先んじるうらやましい存在であるのだ。
海がこの手の文化を仕入れてくる子どもが家に遊びに来たときは、携帯のゲームを持ってきていた。友だちに披瀝するためではなく、家で30分と制限されているので親の目のないときにゲームをやるためであった。6歳でそのような工面の仕方を、覚えているのである。
海は小学校に入ったらテレビゲームなどは避けて通れないから、どのように接近し生活に位置づいていくのか、今から興味深いのである。
ゲームについては、ゲーム脳という概念でその弊害を主張した本が出版されて、それは根拠がないということになっている。ゲーム脳論を否定した反動のためか、現在はゲームに対して寛容な論調になっている。
わたしはゲームが一過性のものでなく、依存性が強く子どもの生活への位置づき方によっては問題が小さくないと思っている。大人になっても長時間ゲームに依存した生活の人もいる。もっともこの種のことでは、ゲームだけの問題ではなく、パチンコ、ギャンブルなどの依存の問題もあるが。
なおポケモンについて調べてみたら、そのキャラクターを扱っている会社で、急成長していることが分かった。ポケモンのキャラクターは、ゲーム、カード、アニメ・TV・映画、グッズ(フィギュア、ぬいぐるみ、フード)、雑誌・文具、本、CD・DVD・ビデオなどになっている。したがってこれらの分野は、メーカーが限定されていない。フィギュアが出てくるガチャガチャポンはバンダイであり、本は小学館といった具合である。
アメリカでそうとう人気があるとニュースで聞くことがあるが、これも日本の外貨獲得の21世紀型の文化戦略に位置づくということになるのだろうか。
点字つき、触る絵本(絵も色もきれい)、百円です。百円だけど、侮らないでくださいね。ビッダーズのランキングの、「キッズ ベビー」部門で、現在第1位なのです。嘘じゃありません。
http://www.bidders.co.jp/pitem/79044376