葵から菊へ&東京の戦争遺跡を歩く会The Tokyo War Memorial Walkers

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「石井式濾水器が旧金沢陸軍病院に保管されていた」北陸中日新聞が8月15日に特集記事

2020年08月19日 | 人骨の会・731部隊・石井四郎

負の遺物 金沢で語られぬまま 七三一部隊長開発の濾水機 3年前まで保管も国に寄贈」という記事が、8月15日北陸中日新聞の一面に大きく報道されました。靖国神社平和ガイド宮沢すばるさんからのメール情報です。

「戦時中に中国で人体実験を重ねた旧日本陸軍「七三一部隊」隊長の石井四郎軍医中将が開発した濾水機が金沢市内で保管され、3年前に防衛省に寄贈されていたことが分かった。敗戦時に中国から持ち帰った可能性がある。この濾水機が軍で採用されて石井は発言力を高め、人体実験を行う細菌戦の研究に突き進んだ。その歴史や部隊と金沢の関係を伝える貴重な資料とみられる。(辻淵智之、写真も)」

ソ連参戦の情報をいち早く掴んだ石井四郎は、特別列車を仕立てて幹部軍人、軍属、医師、家族らを乗せ、哈爾浜→新義州→平壌→京城→釜山→下関上陸→北陸本線から金沢市野間神社で部隊を解散しました。濾水機は金沢陸軍病院に運び込まれたと考えられます。金沢陸軍病院は戦後、国立金沢病院に、現在は国立病院機構金沢医療センターとなっています。「15年戦争と日本の医学医療研究会(戦医研)」北陸支部が金沢医療センター内で発見し、3年前に同医療センターが、陸上自衛隊大宮駐屯地史料館旧軍資料コーナーに寄贈しました。陸上自衛隊大宮駐屯地化学学校、化学教導隊、中央特殊武器防護隊と市ヶ谷基地から1,000人が移転した第32普通科連隊があります。

世田谷区の陸上自衛隊三宿基地陸上自衛隊衛生学校内医学史料館「彰古館」には、新宿区旧陸軍軍医学校に保管されていた濾水器が展示されています。管理人が撮影した画像をアップします。同基地には、ブルーインパルス飛行で有名になった陸上自衛隊中央病院もあります。

東條陸軍大臣より技術有功章(甲)證狀、徽章及副賞を受けらるゝ石井軍醫少將

戦後の石井四郎と「若松荘」
「石井四郎は敗戦直後、東京新宿区若松町で、焼け残った陸軍関係の建物を利用して、旅館を経営していたところ、アメリ力占領軍の呼び出しを受けた。1945年の冬であったと伝えられている。」また、「石井四郎はこの〔ソ連対策のためのGHQ当局による石井尋問〕後、アメリカ軍から、元海軍関係宿舎を改装したアメリカ兵慰安施設を東京四谷に一軒与えられ、女たちに売春させながら平房から持ち帰った七三一のデーター・整理に当たっていた。」と『悪魔の飽食』に出てくる。

軍人と花街・遊郭
前項に石井四郎が四谷で売春宿をやっていた話が出てくるが、石井自身が好色遊蕩の軍人のようである。「石井式濾水機」で医療器具メーカーからの贈収賄疑惑で若松町の憲兵隊牛込分隊に取り調べを受けたが、そのきっかけは神楽坂三業地での豪遊からであった。
新宿区には牛込・神楽坂、四谷・荒木町、淀橋・十二社(じゅうにそう)の三業地が、内藤新宿に遊郭があった。区内の軍事施設の軍人と陸軍諸学校の生徒・学生たちの内、将官は待合いで芸者をあげ、下士官以下の兵卒や生徒は遊郭に登廊、軍隊での抑圧された日々を発散させたようである。この延長線上に中国や東南アジアでの日本軍による現地女性のレイプと戦時強制性奴隸(従軍慰安婦)問題が存在するのである。
【注】芸者街でいう三業とは料理屋、待合、芸者置屋のことで、遊郭では貸座敷、娼妓、引手茶屋をいう。

飯盛り女から戦時強制性奴隷(従軍慰安婦)
新宿を語る上で、欠かせないのが表題である。
江戸時代は、新宿、品川宿、板橋宿、千住宿と東海道。甲州街道。中仙道。東北・北陸道の日本橋から遠からぬ所に宿場が存 在した。ここの宿場には、吉原に代表される「公娼」とは別に、類似したあそび場があった。(幕府はこれを黙認していたようである)「お女郎」あるいは「花魁」とは言わずに逼常は泊り客のお世話をして「飯盛女」と称し、夜になると男客の相手をする。(靖国通り〔新宿二丁目〕にある成覚寺(じょぅかくじ)に は遊女の生きた証として板碑が残っている。「子供、合埋碑、旅籠屋中」・・・客の相手をし、若い命を奪われ、この寺に投げ込まれた遊女達をしのぶ数少ない物証である。成覚寺は別名投込み寺と言われていた。
明治からは、新宿の「飯盛女」の延長線上にあったものは、公娼としての三業地への変身であった。明治のはじめに、娼妓解放令を出すが、それは表向きで、実態は今までと変わらぬ状態であり、客が旅人から、軍人、会社員や労働者、商店主に変わった程度であるが、強いて言えば「検徴(けんばい・性病の検査)が義務付けられている。
そして日本の軍国主義が侵略戦争を始めるに至っては、外地慰安婦(将校用)として駆り出されて行ったそうである。(2000年新宿平和委員会発刊「葵から菊へ」(絶版)から抜粋。

(了)

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