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靖国神社ガイドのブログ

靖国神社周辺を中心に、東京の戦争遺跡のガイド日記。ガイド記録や関連ニュースなど気になったことを書き留めていきます。

2020年8月15日 75年目に

2020年08月18日 | 靖国神社ガイド報告

 近年は、夏場の酷暑で、記録を書く余裕がなかったのですが、久しぶりに。
 この間、何人かの戦争体験者の知り合いの方を見送りました。
 ガイドは、年に1~3回ペースで続けています。

 戦後75年の報道などがどうなるか、気にしていましたが、テレビでは特番の本数が減り、特に当事者を中心にしたものが減少。NHKは地方局放送のものや過去の人気作を集中再放送しているだけで、レベルのばらつきが目立つ。
 個人的にも、取材対応などでも、メディア内部の人員配置の変更や圧縮による業務集中を感じることも多く、現場記者が知識面でも、労働面でも苦しくなっているうえに、基礎知識としての歴史知識が少ない人が多いことを感じています。

 毎年靖国の定点観測は続けていますが、一昨年あたりから、一層高齢世代と右翼団体の数が減り、40~30代の家族連れ、50~40代と思しきグループなどが増えていて、維持または漸減はコスプレチームという感じです。
 今年は新型コロナウイルス感染症拡大の中、高齢世代はほぼいない、加えて高齢世代のために家族でという形態も見えませんでした。40~30代の家族連れ、50~40代と思しきグループなどが一層増えた印象です。

 Webメディアなどでは、今年の参拝者は減少と靖国神社が発表したようにも書かれていますが、ソーシャルディスタンスを守るような指示・掲示はされていましたが、外苑や神門前までは特に足もとに印があるわけでもなく、神門から境内に入ると、黄色いテープでコの字のマークがあり、列に分けられて距離をとって拝殿へ参拝するようにはなっていました。

 午後3時頃でも、神門を出て、二の鳥居の先まで列はありましたので、人数的には昨年よりは少なくとも多かったように感じます。昨年だと同じ頃には、神門の中でもほとんど列になっていない状況でした。昨年より多かったように見ています。

 今年は政府の戦没者追悼式にも参列者が少なく、式典後に靖国神社に流れる人が少なかったと考えられます。
 また、例年外国人の見学・参拝者が一定数いました。昨年や一昨年は何でもない日に行くと、半数以上は海外からのゲストということも珍しくなかったので、インバウンドの効果を感じていました。それがコロナでほぼ壊滅。
 確実に少なかったのは国会議員等の参拝でそのために到着殿付近はそもそも警備がほとんどなく、柵で仕切られているだけで、近くまで行けるようになっていました。参拝~遊就館の流れが強く存在した一方で、カメラ小僧も含めたポイントのところを中心に見たり、政治家を応援するための見学のような人は少なかったのかと感じました。
 あとは、坂の途中の右派が関心を持ちそうなテーマの宣伝チームも全体的に少なめ。法輪功はその中では多く目立ちました。
 
 遊就館内は、先日来立場に関わらず靖国関係者以外のガイドが禁止となりました。そのためか、今回は展示を説明している人を見ることはありませんでした。
 展示修正もいつも気にしているところにはなかったように思います。
 館内の人の動きは、ある程度スムーズでした。見学者は少ない印象で、70年などではかなり多かったと思い、5年おきの切りのいい年はやや増加する感覚ですので、少し意外でした。
 見学コースにショートカットが加わって以降、それを利用している人が多いのだろうとは思います。休憩スペース等も数が一部減らされていましたが、人が座れないほどいる、ということはありませんでした。

 一方、人を制限して開けていた売店コーナーは盛況でした。
 見つけたのはこれ。
 
 
 コクーンの作者にジャケットの絵を描かせるとは、そして辻田さん監修ですか(受ける方も受ける方)。監修したからこのラインナップとも思えませんでしたが。

 坂を下りると、九段下の交差点は例年のバリケードで在特会の対応中。今回は人数が少なく、囲む人も少なく。
 はす向かいには、解体が進んでいる九段会館(軍人会館)が。
 

 いろいろな意味で想定とは違った75年目の靖国でした。
 

このブログについて

2016年08月17日 | 靖国神社ガイド報告

(プロフィールと合わせてお読み下さい)

戦争遺跡ガイドの宮沢すばるです。大学院生として、戦時下の大学、慰霊問題を研究していました。

ガイド歴は靖国神社周辺を本格的に始めたのが2005年、その前に修行が3年です。ガイド回数は100回以上、個人的に行った回数を入れればさらに増えます。

九段下から靖国神社を回るフィールドワークのガイドをしています。

戦争遺跡とは、戦争に関係する場所で施設や遺構が残る場所です。そうした場所を歩き、戦争を考えるスタンスから使われる言葉です。

ガイド依頼をされる場合は、

subaru.miyazawa@gmail.com

あてに、「代表者の氏名、団体名、希望の日時、人数、代表者の携帯の連絡先」をお書きの上、送って下さい。

折り返し連絡いたします。

ガイド料は資料代込みで少人数は1グループ10000円、または1人1000円を目安にしています、別途靖国神社の入館料、昼食代等がかかります。それを含めても2000円程度です。

ガイドの標準所要時間は、九段下が30分~、靖国神社の境内が1時間半~2時間、遊就館が2時間~3時間です。遊就館を細かく見学される場合には、これ以上の時間が必要です。

従っておすすめのコースは、午前10時集合で、九段下、靖国神社、遊就館と回って、午後4時から5時に解散のコースです。可能ならば、最後に見学の感想など意見交換をできればいいと思います。

もちろんそれより短い時間でというご希望(1時間では無理ですが…)や「特にこういうところを重点的に見たい」というご希望があれば、ご相談ください。費用についても、相談の上で決めていきたいと思います。

私が日程上ガイドできない場合は、他のガイドを紹介させていただくか、改めて日程を調整してガイドさせていただくかになりますのでご了承下さい。


今年の8月15日 戦後71年目

2016年08月17日 | 靖国神社ガイド報告

 久しぶりの書き込みになります。
 この間、年に数件ガイドを続けています。

 この7、8年ほどは8月15日に靖国に行くようにしています。

 昨年は、戦後70年ということで、暑い日に、大勢の参拝客、10時過ぎに既に二の鳥居を過ぎるほどの列で、移動するのも大変なほど、人が多かった。
 日本人も外国人も、関心の強さもあまり関係なしにとにかく来ていた印象があります。

 一方、今年は、天気も穏やか(曇り空で温度もそこまで高くない)、人数も少なめ、英霊にこたえる会の集会に稲田朋美も来ない(が、2人の女性大臣が参拝しましたが)という、今ひとつ盛り上がりのない境内です。

 人数は前年比3分の1ほど。外国人比率は変わらず2~3割ほど。
 10時ごろに神門辺りまでの行列でした。

 正午は拝殿のそばで迎えました。気になるのは一昨年辺りから、武道館のラジオ放送の天皇挨拶を受けて、「天皇陛下万歳」と言う右翼団体がいます。今回は、武道館でもそれをやってたひとがいたようですが。それが失礼にあたるのではないかという考えはないようなのです。昭和の戦前期と同じことをすることが意味があるのか、今の時代のやり方ではないことに何が意味があるのか、それも考えずにやっているようなのです。

 遊就館内も人数はそれなり、混んでいるというほどではありませんでした。ある程度いるという感じ。ここでも、移動にはそれほど苦労しませんでした。

 帰り際、外苑のテントでは、日本会議と英霊にこたえる会のイベントに続き、青年向けの行事をしていました。

 ある種の純度は上がり、冷やかしのお客が減った印象。
 外国人観光客が今日もそれなりに見受けられる。
 高齢者がへり、コスプレイヤーは増加、右翼も車も少なくそれなり。
 境内にはバスもなく、全般的に寂しい印象でした。

 外苑の一角では楽器の演奏に合わせて、軍歌の合唱をするグループもいました。
 これも「天皇陛下万歳」同様、その陶酔感に浸っているだけで、それ以外のことを考えていないように思うのです。

 今年は、過去との断絶を改めて感じる年でした。


今年初の靖国ガイド報告

2015年05月24日 | 靖国神社ガイド報告
ここのところ、ブログの更新を怠っていたせいか、ガイドの依頼は最近なかったのですが、知り合いの紹介で、アメリカから来た大学の先生ご夫妻をご案内することになりました。予定が直前に確定し、5月23日に決まりました。

朝9時半、宿泊先のホテルに伺い、通訳の方と合流。
境内のモニュメントも全部見たいとのことでしたが、体力との関係でできるだけスピーディーに、コンパクトにということになりました。
ホテルからタクシーで外苑の社号標前に付け、ガイドスタート。2時間半か3時間が目安でスタートです。

通訳の方を介しつつ、別格官幣社の概要から順に説明。説明内容もできるだけシンプルに、ただ誤解されるような表現は避けて、時間も気にしつつ進みます。

鎮霊社は外側の覆いの部分の修理ということでしたが、神門放火事件以来、門は閉ざされたまま。間近で見学することはできません。

憲兵の碑も見たいと言うことで、いつもはいかない霊爾簿奉安殿の側へ。一部の樹木が伐採され、かなり建物の様子が分かるようになっていました。近年、桜などの樹木が伐られているのも散見されます。寿命なのでしょうが、献木した戦友会の札だけ残っている場所もありました。

日本刀鍛錬会や靖国会館を案内して、遊就館へ。例によって、食事をしてから入館しました。

日曜日ということもあってか、境内の半数は外国人。すっかり観光名所となっています。国は様々のようで、中国や韓国と思われる人もいれば、ヨーロッパ系の人など様々です。

遊就館は1時間程度でというのでしたが、途中もいろいろ質問も出て、すでに計画の時間はオーバー、それでも「私たちは忘れない」の半分ほどを通訳の方に訳してもらいながら見ていただき、展示のいくつかのポイントも案内。特に日本語と英語の説明のずれや、再三説明や展示板の修正が行われている場所を確認してもらいました。

結局3時前に全体が終了。大変満足だと言っていただき、充実感に満たされながら、楽しい時間は短く別れの時。ご夫妻をタクシーにお乗せし、ホテルへ向かっていただき、こちらは現地解散となりました。
久々のガイドに、知識の確認もでき、話す中身の精査をできたことはなによりでした。英語ももう少し話せるようになると、通訳の方の負担も大幅に減少するとお聞きし、なるほどと思いました。

ガイドを仲介してもらった友人に感謝、急な予定を調整していただいた通訳の方にも感謝です。
敗戦から70年目の初ガイドは、改めて多くを気づかせてもらえたガイドになりました。