葵から菊へ&東京の戦争遺跡を歩く会The Tokyo War Memorial Walkers

パソコン大好き爺さんの日誌。mail:akebonobashi@jcom.home.ne.jp

神社の狛犬に男根がある理由

2019年08月20日 | 歴史探訪

これまで靖国神社や松陰神社など都内の神社をガイドしてきましたが、社頭の狛犬の下腹部に男根がある神社が幾つかありました。



日頃不思議に思っていましたので、日本参道狛犬研究会に質問をしたところ、代表幹事の三宅いづお氏から回答がありました。
『お問い合わせの件について
残暑お見舞い申し上げます。
本日はFAXありがとうございました。
狛犬は社寺を守る霊獣・・霊獣は男女を超越した存在・・・基本的にはこの解釈をしております。
とはいえ、文化文政期以降、男女シンボルをもった狛犬が出現したのは事実で、小輩も十対以上見ております。時代の推移の中で、それはそれでいいのではないかと思っております。
参考までに狛犬研究の大家:上杉先生(故人)の”オス・メス”の記述を送ります。
益々の狛犬のご愛顧をお願い申し上げます。
2019・8・18 日本参道狛犬研究会
代表幹事 三宅いづお 拝
乱筆にて失礼いたします。』

下記は、添付された論考です。
・・・・・・・・・・・
日本全国獅子・狛犬ものがたり
著者 上杉千郷
発行所 戒光祥出版株式会社

 前項までで獅子と狛犬の具体的な違いについてみてきましたが、私たちが抱くもっとも素朴な疑問として、獅子・狛犬はどっちがオスでどっちがメスなのかといぅことがあります。
 「阿吽」の表情をみせる獅子・狛犬ですが、陰陽思想では阿吽の「阿」は「陽」で、「吽」は「陰」であることから、阿形のほうが陽で「オス」、吽形のほうが陰で「メス」とされることが多いようです。
 しかし、本来は「両方ともオス」という答えが正しいのです。
 後述しますが、獅子・狛犬の祖先はオリエントに棲息していたライオンです。ライオンのオスはたてがみがふさふさしているももので、そんな獅子・狛犬は、どう見でも両方ともオスをモデルにした姿に見えます。しかも獅子・狛犬は神社やお寺を守護する霊獣なのですから、強くたくましいオスでなければならないはずです。
 また、もし阿吽の表情が雌雄を表すものであるなら、同じく阿吽の表情を持つ仁王も、片方が男で片方が女でなければらなくなります。狛犬の阿吽と仁王の阿吽は同じ意味を持つのですから、仁王が両方とも男であるなら、獅子・狛犬も両方がオスであると考えるぺきなのです。しかし、現在残っている獅子・狛犬の中には、確かにオスとメスの違いがあるものも見られます。
 例えば長崎県・対馬の豆酘(つつ)にある多久頭魂(たくずたま)神社の社頭には、昭和期に奉納されたという石造狛犬があります。その阿形のほうにはオスのシンボル、吽形にはメスのシンボルが彫ってあるのです。本来オスメスがないはずの獅子・狛犬に、このようにはっきりと雄雌のあるものが現存するのはなぜでしょう。
 雄雌の違いがある獅子・狛犬が造られるようになつたのは、現在残っているものから推測すると、江戸時代頃からのようです。獅子・狛犬が大きな神社や寺院のみ置かれていた平安・鎌倉時代には、それらは仏像を彫る仏師の手で造られていました。
 しかし、時代を経てどの神社にも獅子・狛犬が置かれるようになると、人手が足りなくなり、地方の大工や手先の器用な普通の人の手によっても彫られるようになったのです。
 そして、獅子・狛犬の雄雌に関して巷でよくいわれるような、「弱い犬はすぐ吠えるから、口を開けているのはメス」とか、「角があるほうが強いだろうからオス、いや花嫁は角隠しをするから女には角があるのだ、角があるほうがメス」などという説に影響され、自己流で雄雌のある獅子・狛犬を造るようになったのではないでしょうか。
 実際、江戸時代以降の獅子・狛犬は、口を開けているのがオスであったりメスであったり、角があるものがオスになったりメスになったりしています。
 その頃には仁王からきたという由来も忘れられて、阿吽の形をしているために陰陽一対であると考えられていたようです。
 東大寺南大門に置かれている石造狛犬は、鎌倉時代に宋人である陳和郷が彫ったものです。しかし製作当初は両方ともオスであったのが、後世になつて、片方のオスのシンボルが壊されオスメスの一対になってしまったという形跡がみられます。

【著者略歴】
上杉千郷(うえすぎ・ちさと)
 大正十二年、岐阜県飛騨郡古川町の神社社家十九代目として生まれる。
 國學院大學史学部卒、総理府事務官、法務大臣秘書官、郵政大臣秘書官を経て、鎮西大社諏訪神社宮司、長崎県神社庁長を歴任。現在、学校法人皇學館理事長。
狛犬研究の第一人者として狛犬学を提唱。岐阜県下呂温泉に狛犬博物館を設立し、また飛騨古川祭資料館「起こし太鼓会館」に狛犬館を併設した。
 長崎新聞文化賞(平成七年)、長崎県民文化賞(平成十三年)受賞。
著書に『茶道の中の神道』、『狛犬事典』、その他論文多数。
・・・・・・・・・・・
(続く)


コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 出でよ!「国民のためになるN... | トップ | 「千歳台交差点の横断歩道設... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

歴史探訪」カテゴリの最新記事