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故北宏一朗さんの講演記録其の六「日本国内の遺棄毒ガス問題」・「日本軍遺棄毒ガス問題のいま」

2020年07月01日 | 化学兵器問題

日本国内の遺棄毒ガス問題
            2016.5.11
 日本国内の遺棄毒ガス被害問題の全体像の話をしします。日本軍が毒ガスを日中戦争中に戦闘で使用し、敗戦時に遺棄したものが中国大陸に多くありますが、敗戦時に日本国内で製造途中あるいは、米軍上陸に備えて配備したものが遺棄されました。その行方はいまだによくわかっていないものが多くあります。
  戦後、日本国内に遺棄された毒ガスについて、政府はずっと隠蔽してきました。遺棄毒ガス問題を全国調査したのは2003年のことです。戦後58年も放置してきたのです。1973年に当時の防衛庁で「旧軍毒ガス弾等全国調査結果報告(案)」なる文書が作成されたことがありますが、なぜかこの文書は公表されることはありませんでした。この前年の1972年に毒ガス製造をおこなっていた大久野島で被害がでました。千葉県の銚子沖でも漁民の被害がでていました。
 その後も何の対策もとらずにいたところ、2003年に茨城県の神栖で井戸水を飲料にしていた住民がヒ素中毒になったことがあきらかになりました。これが旧軍の毒ガス由来のものであることがわかったので、この年の秋にフォローアップ調査がおこなわれたのです。毒ガスの原料が地下水に混じっていました。毒ガスの効力は減退しません。発見された毒ガスを処理するのですが、銚子沖の例では、さらに遠くの海に運んで底に沈めるだけです。
 環境省は、発見された毒ガスを処理しますが、2008年平塚の旧海軍工廠で見つかった毒ガスの原料とみられるヒ素化合物の処理を三重県の業者に委託して処理しようとしました。ここは全国で8ケ所しかない処理施設です。しかし、実証実験で熱処理したところ、処理後の灰から基準値の8倍のヒ素が出てきて、三重県は、この処理を断りました。その後、この毒ガス原料がどこで処理されたかは不明です。
  毒ガスは戦前、国際法で、戦闘での使用は禁止されましたが、製造・保管は禁止されていないと言って、日本軍はどんどん作っていました。そして日中戦争で大量に使用したのです。敗戦後、連合軍による裁判がはじまると、戦犯になることを恐れ、一斉に隠したのです。敗戦間際には、本土決戦の準備ということで、関東平野の各地に配備していました。さいきん、湯河原の疎開工場で働いていた元労働者の方の話しをうかがいました。敗戦直後、上陸用舟艇2艘に毒ガス弾をつみこんで、初島方面に行き、そこらあたりの海に投げ捨てた、と証言しています。
 90年代に北海道屈斜路湖に毒ガスを遺棄したという証言がありました。そこで、屈斜路湖を探索し、毒ガス弾を引き揚げました。証言したのは美幌海軍基地勤務の元将兵でした。しかし、引き揚げたのは50キロのイペリット爆弾でした。海軍の製造したのは60キロ爆弾で、50キロのものは陸軍製です。海軍兵士が捨てたという毒ガス弾はまだ屈斜路湖に眠っているはずです。
  戦後、米軍が武器引き渡し命令を出し、陸軍・海軍が文書を提出しています。その中に含まれた毒ガス弾はとても過小です。大半を隠匿したからです。
  発見された毒ガスの処理も中途半端です。日本の毒ガスは対ソ戦に備え、寒冷地でも使えるように、と低温でも凍らないようルイサイトを使用していました。これはヒ素が含まれています。これは処理しきれません。神栖の処理は鴻池組が担当しました。8億円以上の予算がつぎ込まれました。
  誰も責任をとろうとしないのです。声を挙げていくことがなによりも大切です。

最後の2019年1月26日の講演は病躯にむち打っての講演となりました。

日本軍遺棄毒ガス問題のいま
      2019.1.26
  第一次世界大戦でヨーロッパで毒ガスが使用され、その後非人道的だ、ということで使用禁止になったものです。ところが日本軍はこれを承知で研究開発し、陸軍軍医防疫研究所、のちの731部隊につながるものですが、ここで研究・製造をはじめます。陸軍は瀬戸内海の大久野島、海軍は神奈川県の平塚・寒川で製造、戦争で使用します。そして敗戦時に証拠隠滅に走るのです。現地の部隊に指示し、近くに捨ててしまいます。引き揚げ兵士の聞き取りも厚生省援護局は口止め・箝口令をしいていきます。平塚・寒川では、文書を焼却し、実物は捨てられます。
 この毒ガスをだれがつくったのか、財をなしたのはだれなのか、誰も責任をとろうとしません。
 神奈川県の寒川では、相模縦貫道の工事中に地中からビール瓶が1,000本以上でてきます。工事に携わっていた11人が被災します。
 茨城県の神栖では、2000年ごろから体調不良を訴えた住民がいました。井戸水を調べると環境基準の450倍の毒ガス由来のジフェニールアルシン酸という毒物が検出されました。
 千葉県銚子沖では1951年4月から2002年3月まで漁船員が被害に会っています。戦後米軍がこの毒ガスを処理しますが、海に捨てるだけでした。銚子沖や土佐沖の海に捨てていたのです。底引き網の漁船が毒ガスを引き揚げてしまったのです。
 平塚の合同庁舎の建設工事の現場から2003年の3月にフェニール亜ヒ酸がでてきました。この汚染土壌の処理をめぐって三重県が処理できない、として受け入れを拒否しましたが、その後環境省は「適切に処理された」と発表しています。
  そして、中国でも黒竜江省のチチハル市で2003年8月に事故がおこりました。ここには516部隊という化学部隊がありました。事故がおこったところはこの部隊の飛行場があったところです。44人の市民が被害に会いました。
 これら負の遺産が放置されてきたのです。戦争責任をとりませんでした。わずかなA級戦犯だけで、毒ガス・細菌戦は米軍ととりひきをして、免罪してしまいました。米軍は自分をしばることをしたくなかったのです。
 戦争が終わった後、海洋投棄された毒ガスにはヒ素廃棄物がどっさりありました。中国に遺棄した毒ガスは日本政府が処理していますが、南京で処理した毒ガス3万5千発の廃棄物はポリ容器842個にいれられ、ドイツのK+S社に渡り、最終処分した、と発表されています。
 毒ガスを作っていたメーカーは敗戦後も朝鮮戦争の特需で設けます。塩素系化学メーカー、染料メーカーはさまざまな化学品を製造します。なかでもエージェントオレンジは三井染料がニュージーランド・オーストラリア経由でベトナムに持ち込まれます。「枯れ葉剤」です。三分の一は三井製だといわれています。毒ガスは今も生きています。1973年4月に横須賀の米軍基地に沖縄からの毒ガスが移送されてきました。神奈川県の池子に持ち込まれた可能性もあります。69年には沖縄の毒ガスの事故もおきています。米軍は毒ガスを撤去した、と言っていますが、検証されていません。日米地位協定に阻まれています。日本国憲法より地位協定が上にあるのです。

【西日本新聞 03.9.6】
苅田港に毒ガス弾?538発 旧日本軍が廃棄か 国交省が磁気探査 
 福岡県苅田町沖の苅田港で2000年に旧日本軍の毒ガス弾が見つかった問題で、国土交通省苅田港湾事務所は5日、同港内海域の海底磁気探査で、爆弾とみられる538発の物体を確認したと発表した。これまで同港内で発見された、毒ガス弾とみられる爆弾56発と形状や金属の磁気量が類似していることなどから、同事務所は「全部とはいえないが、多くの毒ガス弾が含まれている可能性が高い」としている。 
 同事務所によると、今回の調査は今年6月から8月にかけ、前回見つかった海域に隣接する同港内の約83万平方メートルで実施。昨年秋までに行われた探査で、約700カ所で金属反応が認められていた海域で、海底の物体を三次元で解析できる高精度磁気センサーを沈め、形状や磁気量を計測したという。 
 探査結果では、爆弾らしき538発は海域全般に点在。海底の泥の中の20センチ―一メートル下に埋まっていた。長さは大半が80センチ前後で、旧日本軍の50キロ爆弾と似ており、腐食が進んで分解していたり、中身が水中に溶け出していたりしているという。解析データから、同事務所は「538発のうち368発は間違いなく爆弾。残りの170発も爆弾の可能性が極めて高い」との見解を示した。 
 国は2000年に見つかった毒ガス弾の処理について、02年度予算に23億円を計上、本年度にそのまま繰り越した。防衛庁は今年6月に本年度中に同町沖の埋め立て予定地に建設する桟橋上の施設で、毒ガスを無害化処理するとの方針を示している。 
 今回の新たな爆弾発見を受け、国交省は今後、防衛庁など関係省庁と引き揚げと処理について協議する方針。防衛庁は「国が責任を持って処理する方針は変わらないが、予算措置の見直しが必要」としている。 
■苅田港の毒ガス弾 
2000年11月、福岡県苅田町の苅田港の拡張しゅんせつ工事に伴い実施された海底調査で計56発の爆弾を発見。北九州市門司区の新門司港沖での潜水調査でも01年8月、1発の爆弾が発見された。海上自衛隊佐世保警備隊が18発を引き揚げ、調査した結果、旧日本軍の毒ガス弾と判明。18発は現在も同隊に保管されている。残る38発は同港内に沈んだまま。戦前、現在の同市小倉南区にあった旧陸軍曽根兵器製造所で毒ガス兵器が多数生産され、終戦とともに近くの海域に多くが投棄されたといわれている。

 

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