葵から菊へ&東京の戦争遺跡を歩く会The Tokyo War Memorial Walkers

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【再掲】戦犯容疑者「阿片王・里見甫」の謎

2023年09月12日 | 歴史探訪<南京・上海>

昨日は『「戦犯第一号、東条を逮捕せよ!」77年前、東条英機は世田谷区の自宅で自決未遂』をアップしましたが、世田谷区にはもう一つ重要な日中戦争に関係する場所がありました。

それは、「電通」の前身である「満州国通信社」創設を主導して初代主幹となり、上海では参謀本部第8課長「梅機関」影佐禎昭大佐に協力して、「宏済善堂」なる阿片の密売組織をつくって活躍した阿片王・里見甫の自宅が、世田谷区成城683番地にあったことでした。(世田谷区住居表示課調べ:成城6丁目17‐3が住居表示。)

管理人は「防衛省市ヶ谷記念館を考える会」の共同代表をしていますので、青木書店刊「東京裁判ハンドブック」など東京裁判関連の書籍が書棚にあります。しかしA級戦犯容疑者として1946年3月1日GHQに逮捕された里見甫の名前が、どの書籍の「A級戦犯容疑者名簿一覧」には記載していません。大きな「謎」ですね。

今後は、世田谷区図書館から借りた書籍並びに書棚にある上海関連書籍を読み、"魔都”上海における阿片と日中戦争の暗部を研究したいと思っています。

新潮文庫 佐野眞一著「阿片王 ―満州の夜と霧―」「第八章 孤高のA級戦犯」から、「東京裁判に関係する阿片と里見甫」についての部分を抜粋します。

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いま私の手元に、IPSが里見に対して行った尋問調書とこれに付帯する関係資料の全文を翻訳したファィルがある。A4判のぺ―パー90枚あまりにびっしり書き連ねられたそのファィルは、四百字詰め原稿用紙に換算して約360枚におよぶかなり膨大なものである。ここでその全文を紹介するのは、あまりにも煩雑だし、たいして意昧のあることとも思えないので、里見の人となりがよくわかるやりとりや、これだけは絶対に欠かせないと思われる重要箇所に限定して紹介していこう。
最初に紹介したいのは、付帯資料の方にある里見の個人基本台帳である。
身長  5フィート5インチ(引用者注・168センチ)
体重  112ポンド(引用者注・50キログラム)
目 茶色
髪 黒
年齢 51|
階級、部局 文民
誕生日 1896年1月22日
住所 東京都世田谷区成城683
学歴 大卒
最も近い近親者 里見由美(妻)東京都淀橋区西落合2 9 3
扶養家族 一人(妻)
習得言語 中国語、日本語、若干の英語
宗教 仏教
逮捕年月日1946年3月1日

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戦犯容疑者ウイキペディア」より(里見甫の名前がない)

第一次戦犯指名 1945年昭和20年)9月11日に逮捕命令(計14名)。逮捕されたのは主に東條内閣閣僚。

1945年9月21日に逮捕命令(2名)。

1945年10月22日に逮捕命令(1名)。

第二次戦犯指名 1945年11月19日に逮捕命令(11名)。主要な大臣や軍上層部など。

第三次戦犯指名 1945年12月2日に逮捕命令(59名)。初めて皇族(梨本宮)が対象となったほか、戦時中の軍官民の有力指導者を網羅するものとなった。59名は同月12日までに収容された

第四次戦犯指名 1945年12月6日に逮捕命令(9名)国際検察局(IPS)が追加逮捕。

1946年(昭和21年)3月16日に逮捕命令(1名)

1946年4月7日に逮捕命令(1名)

1946年4月29日に逮捕命令(2名)

1946年11月5日に逮捕命令(1名)

その他 板垣征四郎木村兵太郎武藤章は外地で逮捕。橋本欣五郎は国内で単独で逮捕(都合4名)。

・・・・・・・・・・・・

(続く)

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