葵から菊へ&東京の戦争遺跡を歩く会The Tokyo War Memorial Walkers

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『三軒茶屋文士町文化地図』 5月29日「歴史探訪 世田谷区内の戦跡を歩く」で配布します

2024年05月19日 | 歴史探訪<世田谷区内の戦跡>

北沢川文化遺産保存会のきむらけんさんにメールを送信しました。

きむらけん様
ご沙汰をしています。
5月29日の「歴史探訪 世田谷区内の戦跡を歩く」の時に、平和資料館にありました「北沢川文化遺産保存会発行『三軒茶屋文士町文化地図』」を使わして頂きます。
裏面には軍事施設が掲載されていますので、参加者に配布いたします。
特に、陸軍第二衛戍病院の下にあった林芙美子自宅跡を説明したいと思っています。
よろしくお願いします。
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長谷川 順一
東京の戦争遺跡を歩く会
blog「葵から菊へ」
https://blog.goo.ne.jp/akebonobashi1937
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きむらけんさんからの返信

長谷川さん ご無沙汰いたしております。われらも7月20日 三軒茶屋の三野砲兵跡を歩きます、この後、下馬図書館の「疎開学童から、特攻から80周年」という世田谷平和資料館との共催イベントを一月ぐらい開くそうです。私も8月12日に講演を行います。6月15日に子細、要項は発表されるとのことです。 チラシは、解禁なったらメールで送付します。きむらけん
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『三軒茶屋文士町文化地図』表紙

裏面に「林芙美子自宅跡」、「陸軍糧秣廠」、「彰古館」にシールを貼りました。

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林芙美子著「放浪記」(青空文庫)より

(六月×日)
 前の屍室(ししつ)には、今夜は青い灯がついている。又兵隊が一人死んだのだろう。青い窓の灯を横ぎって通夜をする兵隊の影が二ツぼんやりうつっている。
「あら! 螢ほたるが飛んどる。」
 井戸端で黒島伝治さんの細君がぼんやり空を見上げていた。
「ほんとう?」
 寝そべっていた私も縁端に出てみたけれど、もう螢も何も見えなかった。
 夜。隣の壺井夫婦、黒島夫婦遊びに見える。
 壺井さん曰いわく。
「今日はとても面白かったよ。黒島君と二人で市場へ盥たらいを買いに行ったら、金も払わないのに、三円いくらのつり銭と盥をくれて一寸ドキッとしたぜ。」
「まあ! それはうらやましい、たしか、クヌウト・ハムスンの『飢え』と云う小説の中にも蝋(ろう)燭(そく)を買いに行って、五クローネルのつり銭と蝋燭をただでもらって来るところがありましたね。」
 私も夫も、壺井さんの話は一寸うらやましかった。――泥沼に浮いた船のように、何と淋しい私達の長屋だろう。兵営の屍室と墓地と病院と、安カフエーに囲まれたこの太子堂の暗い家もあきあきしてしまった。
「時に、明日はたけのこ飯にしないかね。」
「たけのこ盗みに行くか……」
 三人の男たちは路の向うの竹(たけ)藪(やぶ)を背戸に持っている、床屋の二階の飯田さんをさそって、裏の丘へたけのこを盗みに出掛けて行った。女達は久しぶりに街の灯を見たかったけれども、あきらめて太子堂の縁日を歩いてみた。竹藪の小路に出した露店のカンテラの灯が噴水のように薫じていた。

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(了)

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