くつ下物語 それからの。。。

create/mu デザイナーさいとー 諸々話です。

朝焼け カモメの来る部屋 やっぱりすごいゾ流人道中記 浅田次郎さん

2018-11-27 11:36:19 | 楽しいこと
この地に来てから心がけていること。
これまで縁が浅かったことにトライする!

例えば。。。
歌舞伎 敷居が高いと思っていたけれど意外とお手ごろに楽しめる。
落語 志の輔落語のエンターテイメントに衝撃 TV/NHK 早朝BSTBS落語番組オススメです。
独りバスツアー 自分のペースで観たり撮ったり お一人比率高いです。 
親友たちとのワイワイ旅 還暦旅行以来 年1程度楽しんでいます。
今年の旅は身近で馴染み深い熱海、昔はリッチだった有名ホテルへ
いつも全員同室(ほぼ家族なので) 
6人だと大きくて豪華な部屋をご用意くださいますのでラッキーです。
ロイヤルなんたらルームはドアの大きさが違い、部屋からの眺めも素晴らしいのです。


もう一つ VIPルームのおまけ
いつも来るかどうかはわからないけれど カモメの飛来


新聞を読む
1面から順にコツコツ コツコツ
字が解らな〜い 電子辞書で調べてみる
えっ! 嘘読みしてたじゃん 
なんてことがしょっちゅうで一人赤面 羞かしい

夏から始まった連載小説にどっぷりはまっています。
浅田次郎さん 時代小説 『流人道中記』
1シーン1シーンに心がざわつく さりげない所作にズキーン

映像化・・・妄想キャスティングまでする始末
青山玄蕃=内野聖陽さん なら 石川乙次郎=林遣都さんとか。
青山玄蕃=村上淳さん なら 石川乙次郎=森永悠希さん
青山玄蕃=大沢たかおさん なら 石川乙次郎=工藤阿須加さん
なんて戯言つぶやきつつ

時代小説 『流人道中記』

毎朝楽しいわぁ〜〜

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立川志らくさん 町田市民ホール 連節バスそして美味しいもの

2018-11-18 12:02:21 | 楽しいこと
最近は落語のチケットがなかなか取れないのですが
運良く入手した町田市民ホール
立川志らく
[立川四天王のひとり師匠立川談志に最も近いとして注目を集めている]
ずっと目(耳)が離せないネタの間の一ひねり
クラクラするほど良かったわぁ〜
ぜひまたチケット奪取しなければ。

町田市民ホール
トイレットで見つけたほっこりする貼り紙


文字は美しい手書き、端々に優しい品格感じたりし嬉しくなってしまいました。
ご親切にありがとうごあいます と言ってしまいそうです。

ほっこりしたまま外に出たら
ウワァ〜バスが
2連バス初めて見ました、バスじゃないけど広電思い出し懐かしい気持ちに。


何しろバス大好きですから喜びひとしおです。
町田まで来るのにも、かねてより乗りたいと思っていた近所のバス停から神奈川中央バス。

この日はいいこと尽くめ
市民ホールの前に少しお腹を満たして…
親友のお嫁ちゃんが働くカフェを訪ねました。
Hamburg steak 野菜たっぷり美味しい優しいお味です。


付け合わせの かぼちゃサラダ レンコン食感も味もとっても塩梅がいいのです。
そして食後に ビックリ!
プレートにチョコで書かれたメッセージ
お嫁ちゃんとみなさんのお心配りに感謝です。


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そろそろラップスやスプレンダーもUPしなければ
と思っています。

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近視矯正手術フェイキックIOLから15年

2018-11-07 10:35:42 | ライフスタイル
幼稚園児の頃
何かと行動がトロく、からかわれることが多くていつもメソメソしていました。
それ故かみんなと一緒にお弁当を食べることが出来いなんてこともありました。
(信じられないでしょう・・・笑)
そんな時は園長室で園長先生と一緒に過ごしていました。
先生のお弁当は黄色と茶色 とっても美味しそうだった。
そのお弁当がなぜ色でしか記憶にないのか・・・
「あ~~見えていなかったんだ!」
たぶん、強度近視のためほとんど色でしか判別できていなかったのだと思うのです。
きっとあの黄色は卵焼き 茶色はふりかけだと・・・(ある日突然よみがえった記憶)

その後、強度近視が判明『メガネ人間』となりました。
そしてコンタクトに変えて数十年。
時代はいろんな発見発明で夢を与えてくれます。

20世紀終盤、TVドキュメンタリーで知った近視矯正手術(北里大学)
視えるようになりたいけれど、手術の器具が目の前に迫るのは怖い!
「これすごいよ!やったほうがいいよ〜」家人は一人盛り上がる。
まさかのその数年後 自ら手術を選択するとは思わなかった。

2003年末 
自宅から徒歩圏内に神奈川クリニックがあり
ネットからエイヤ!と勢いつけて予約
検査諸々後の診断 
強度近視で角膜薄くレーシックは不適合
ラセック手術でも視力は0.3程度
当時、視力は0.07 裸眼ではほとんどがぼんやりだったので0.3でもうれしい。
検査後の説明で
「数年後には『眼内レンズ』で近視矯正できるようになると思います」と聞かされ
いいなぁ〜なんて漠然と思いました。
ラセック手術の予約を済ませて数日後、
クリニックから眼内レンズ手術が可能になったと連絡があり「それやります!」と即決。
2004年2月片目ずつ手術を受けました。
裸眼で見える生活は想像を超えていました。
あれから15年 視力は少し低下しましたが裸眼の生活は続いています。

神奈川クリニックフェイキックIOL 術例1号 
生命保険会社フェイキックIOL手術給付金1号が2社
怖くないのか?と言われましたが なぜか怖くなかった。
広告冊子などでの紹介やブログに書いたりしていましたので、手術に関する問い合わせなどいただきました。
それぞれで状況が違います、術後も色々なことがあります、手術からすぐの頃、左目の再固定、2009年に右目再固定。
ためらいがある方には薦めません。

15年を経た今も、自分にとっては良かったと思っています。

術後のブログ
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