石田明夫の「会津の歴史」

全国的な視野で見た戊辰・会津戦争の歴史です

北の関ヶ原27  会津の上杉謙信廟

2008年07月09日 | 北の関ヶ原

天地人直江兼続27、会津の上杉謙信廟  

会津古城研究会長 石田 明夫

会津若松市 会津若松駅より車で10分 若松城内

080420_046 慶長3年(1598)1月、秀吉から越後から会津へ移封となった上杉景勝。3月には会津へ入ります。8月には春日山から、謙信の遺骸も家来100人で会津へ運びました。そして、若松城内に仮廟所建て、安置したのです。若松城内には、謙信を安置するために、区画した場所を造りました。後に、その場所は、蔵が建てられています。城内はあくまでも仮安置の場所で、慶長5年には、盛大に23回忌法要をしています。その後、神指城の築城に合わせ、神指城の北に、本廟所を移転することになります。ただし、廟は建設途中で完成せず、建物は、取り壊され、慶長6年には米沢へ移されました。

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