石田明夫の「会津の歴史」

全国的な視野で見た戊辰・会津戦争の歴史です

北の関ヶ原23  会津の前田慶次の屋敷跡

2008年06月05日 | 北の関ヶ原

天地人直江兼続23前田慶次の会津における屋敷跡  

会津古城研究会長 石田 明夫

福島県喜多方市 会津若松ICより20分

0001  慶長3年(1598)、会津に入った上杉景勝。直江兼続を慕って、前田利家の甥とも伝えられるかぶき者。米沢で亡くなるが、会津時代には、会津盆地の北部に屋敷をもらい住んでいました。周りは、盆地の水田地帯です。慶次は、関ヶ原敗北後、慶長6年に米沢へ移り住んだ。初代慶次は利大と名乗り、子孫が代々住んでいたが、現在は会津若松に住んでいます。

会津の歴史は「考古学から見た会津の歴史」へ


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。