石田明夫の「会津の歴史」

全国的な視野で見た戊辰・会津戦争の歴史です

北の関ヶ原25  米沢の前田慶次屋敷跡

2008年06月19日 | 北の関ヶ原

天地人直江兼続25前田慶次の米沢における屋敷跡  

会津古城研究会長 石田 明夫

山形県米沢市 米沢駅より車で10分

0001慶長6年(1601)、関ヶ原の敗戦後、会津を去った上杉景勝と直江兼続。他家の誘いを断り、禄高も減らされるを承知で米沢に移った前田慶次。屋敷は、米沢東の郊外で、山麓に丘が点在する工業団地のある堂森地区に慶次の屋敷とされる慶次清水が残っている。東には野球場がある。スコアボードの西に、雑木林があり、清水への通路が100mほど続いている。そこで小学生と会った。ゲームで前田慶次のことは知っているという。また、水汲みに訪れる人もあり、豊富な水量を誇っている。清水は2ヶ所並んであり、庭跡の可能性もある。屋敷を取囲むような土塁や水路は確認できない。慶次は、ここで病死したという。

会津の歴史は「考古学から見た会津の歴史」へ


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。