石田明夫の「会津の歴史」

全国的な視野で見た戊辰・会津戦争の歴史です

北の関ヶ原22  神指城石垣の石切場

2008年05月23日 | 北の関ヶ原

天地人直江兼続22神指城の石垣の石を切り出した、石切場  

会津古城研究会長 石田 明夫

福島県会津若松市東山町大字石山 会津若松ICより15分

16418_024_3 慶長3年(1598)、会津に入った上杉景勝。慶長5年(1600)2月10日から、直江兼続の総指揮により、会津盆地の中央に、運河を巡らせた大坂城や広島城のような巨大な経済都市とするべく8万人から12万人を動員し、神指城の築城を開始します。しかし、家康の会津進攻により、6月10日には、築城を中止します。神指城の本丸は、石垣が積まれ、その石は、会津若松市東山町の慶山から運びました。若松城の石もこの場所から切り出しています。

会津の歴史は「考古学から見た会津の歴史」へ


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。