特定非営利活動法人 被災者応援 愛知ボランティアセンター 公式ブログ

2011年3月17日設立。孤児遺児応援活動、被災地ボランティア活動等、現在進行形で被災者応援活動を行っています。

第5回(3/1~2)能登島野崎町ボランティア 活動報告

2024年03月07日 15時45分11秒 | 【令和6年(2024年)能登半島地震】ボランティア

代表の久田です。

3月2日(土) 第5回能登島野崎町ボランティア活動を報告します。

1班 TRさん=家財の分別、搬出
 TRさん宅では、残すものには黄色いガムテープでマーキングされていました。それ以外の物は分別しながらお宅から搬出しました。
   before
  黄色ガムテープで残す物はマーキング    1月1日から時間が止まったまま

  after
 

1班班長です。TRさん宅で、お母さんと娘さんご家族とともに活動しました。次回以降の作業があるため、引き継ぎの観点でコメントします。家の中にある家財の運び出しは完了しました。納屋の中に家具などの大物がぎっしり入っています。納屋前には家電、燃えないもの、食器類、燃やせるもの(ブルーシート内)にだいたい分別してあります。次回は、これらを仮置き場に運ぶ必要があると思いますので、よろしくお願いします!


土曜日はありがとうございました。1班、副班長で初参加のKMです。
◎参加しやすかった点
 子育て中の主婦なので、金曜日の夜出発、土曜日の夜帰宅という点で、家を空けることが少なく済むことが参加の決め手となりました。
◎良かった点
・東別院集合後の代表と田中さんによる事前説明(トイレのこと、作業する時の心構えなど)がわかりやすく、作業しながらも思い出しました。
・事前にチーム分けをメールいただき、心構えが出来ました。
・長距離バス移動のトイレの不安をタイムスケジュールで確認でき、こまめな休憩が安心につながりすごく助かりました。
・班長からのアドバイスが的確で、足元にガラス破片や釘があり危険なので、ゆっくり歩くこと。
 午後疲れが出ている時は怪我がおきやすいので注意すること。
 また、作業中もこまめな休憩をとりチームメンバーでそのつど、情報共有、配置確認ができ、非常にスムーズに活動が進みました。
◎提案
・今後参加された方々の感想など、Googleフォームのようになっていたらお伝えしやすいかな?と思いました。
最後に
 ボランティアに参加したからこその出会えた方々にたくさん刺激をもらいました。
 聖川さんのお話しも、代表のお話しもひとつひとつに繋がることの大切さを感じました。
 まだ続く支援に一回で終わらせないという気持ちを持ちました。ありがとうございました。
 七尾市パパンの能登牛サンド、沁みるおいしさでした。

2班 IWさん=第4回に続いての活動です。家財を分別してお宅から搬出しました。
           MHさん=2階の荷物を1階に降ろします。2階に6畳と4畳半の部屋があります。その部屋にある家財を分別して1階にすべて降ろします。
        棚等は廃棄するので外に出しました。
   IKさん=不要な布団などの搬出。

     MHさん宅2階before

           after

2班の班長です。本日はありがとうございました。2班は年齢がかなり幅広く学生が半数で、第5回最年長の方もいらっしゃる構成でした。一軒目のIWさん宅では、IWさんからのご要望が複雑で、家財道具の搬出から最終的に床にあるもの全てを搬出してほしいという希望に変わりました。皆がそれぞれできることを行い、無事に作業が終了できました。安全第一に木材の釘は曲げてから渡す、危険物は声をかけながら渡す、と注意を促し合い、お互いに思いやりをもったボランティア活動が出来ました。しかし、1月1日からのままの冷凍庫の匂いは中々に強烈でした...
二軒目のMHさん宅の活動は、二つの部屋、倉庫の物の搬出でした。二軒目という事もあり、皆が作業に慣れてきてお互いに声掛けができました。廊下や階段の幅が狭いお宅でしたが、一軒目よりチームとしてボランティアに取り組んだことで迅速に進められました。
最後のIKさん宅は開始時間が13:30で、ボランティアの終了時間までに間に合うかと不安でしたが、2班の高まったチームワークによりたった30分で作業が完了できました。
時折降る雪や寒さなどの悪条件もある中で、チームとして迅速な作業が出来ました。被災者の方々から沢山の感謝の言葉を頂きました。
本日は2班の班長でしたが、この場で改めて2班の皆様に感謝を申し上げたいと思います。大人組の皆様、全体を見てバランス調整をして下さりありがとうございました、お陰様で班として一丸となることができました。学生の皆様、体力と素直さで予想以上に早くボランティアが行えました。ありがとうございました!2班の方々、本日は別班となった方々もまたどこかでご一緒することもあるかと思います。今後ともよろしくお願いします。


3班 TKGさん=第4回に続いての活動です。蔵の荷物を分別して搬出しました。その後、4班とともに「災害ゴミ」分別と搬出。
   野崎港

3班の班長です。第5回参加の皆さま、お疲れさまでした。私なりに概要と感想を報告します。 
最初のコミセン内での打ち合わせは、自己紹介と、サブリーダーには横山さんが立候補してくれたので助かりました。
あとは注意事項(余震があったらすぐ建物を出るなど)などの共有を図りました。 
まずは、高川さんの蔵の荷物搬出です。蔵の1階は鉄製のロッカーが倒れた土塀に挟まっていて少々危ない状態でした。 
バールでロッカーを動かして、倒れた土塀を崩して突破口を開け、奥の部屋の稲の苗床(トレー)を408個、稲苗を育てる機械(育苗機)部品、ドラム缶より大きな筒状の乾燥機などの搬出ができました。 
蔵の2階からは、たくさんの様々な太さのロープ、ブルーシート、お餅をつく杵や臼などを搬出しました。
昼食後は、4班の震災ゴミの分別、ガレキの瓦と木材をトラックへ積む作業などを一緒に行いました。 
4班のメンバーたちともすぐに打ち解けてお互いの得意分野での活動がスムーズに進みました。
ひたすら瓦や木材をトラックに積む担当で腰が痛くなりました。 
中日新聞記者さんの取材を受ける担当(笑)など、明るく楽しく、そして真面目に活動ができました。 
活動終了後の帰り道、現地の高山さんとホンダさんの案内で震災被害にあった野崎港の見学をさせて頂きました。  
3班も年齢層が幅広い構成でしたが、このジェンダーフリーの世の流れにあって、自然とチカラ仕事は男性が、後方支援や細やかな仕分けは女性が、その場の状況に合わせてそれぞれのチカラが十分に発揮出来たように感じました。 
この第5回派遣メンバーの皆さんたちとご縁が繋がり非常に密度の濃い時間をご一緒できたことに感謝しています。ありがとうございました。

 

4班 トラックチーム=HIさん、TKSさん、IWさんの「震災ゴミ」をトラックに載せて、七尾市の仮置き場まで運びました。

  

皆様、昨日はお疲れ様でした。4班トラック班のSです。この度地元の方と、軽トラックで仮置き場までご一緒する時に、地震の時の状況や今の状況等、沢山お話しする事が出来ました。私とご一緒の方は、地震の時はご実家でご一緒に食べよう、と娘さん達とお菓子作りをされていました。その時に地震に見舞われて、ご自宅のきしむ音に恐怖を感じ、死を覚悟されたそうです。幸い、ご自宅を改修されていた事もあり、こ自宅は無事だったでしたが、お隣りのお家は倒壊されてしまったそうです。
事前に、町の方の絆の強さから、幸いにも犠牲者が1人も出なかった事を聞いていましたので、そのお話しをすると、避難されてひと息ついた時、ふと近所のお家の方がいない事に気が付き、探しにいかれました。するとその家が倒壊していて、その方を捜索していると、倒壊したお家の下から声が聞こえてきて、救出されたお話しをして頂きました。その助け出されたおばあちゃんは、コタツの下に潜っていて助かったそうです。地震が来た瞬間にコタツの下に咄嗟に避難された事にとても驚きました。町では、普段から地震が来た時の避難訓練もされていて、防災意識の強さも、犠牲者が1人も出なかった事に繋がったのかなと思いました。
また、ご一緒に活動していて、町の人にとても優しくして頂き、町の人どうしが、行き交う度に、声を掛け合っている姿から、絆の強さ、大切さが肌で感じられました。
この度は、ボランティアに参加して、とても素敵な体験が出来ました。また、地元の方とゆっくりお話しする事が出来て、とても感謝しております。ボランティアの皆様がとても一生懸命に、そして生き生きと活動されていて、とても素晴らしく思いました。この度は、本当にありがとうございました。


5班 正願寺さんで聖川さんやお母さんから時間をとって震災後の話を伺いました。正願寺の仮設トイレの設営、解体も担当しました。

 

全体を通して
「時間が止まったまま」
事前メールにて承知していたつもりでも目に映る家屋の内外、停めてある車中の光景に愕然としました。

室内のあちらこちらに
散乱するガラス片を見て
手を付けるにもまずは
足元の危険を除去することからと判断し
本業故に、冒頭はこちらに専念して
私の活動は始まりました。

休憩ごとに現状の確認とあわせ次の目標を具体的に指示頂いたリーダー、
そして利他精神漲る素晴らしい1班の皆様からたくさんの刺激をもらう、
まさに代表の仰る「共利」の一日でした。

七尾市ボラセンが公表している同日のボラ参加者数94人…はたして私たちはカウントされているのでしょうか?
このあたりが支援(公助)遅れの象徴では…と思う一方で
受け継がれる地域コミュニティの力強さと
外部支援を受け入れるしなやかさを聖川様はじめ
野崎の方々に感じました。

愛知ボラセン様の「支援力」
野崎地区の「受援力」
未災地に住む私たちが備えるべき両方を同時に
身をもって学んだ時間でもあります。

止まった時計の針が少しでも進んでいれば
嬉しいかぎりです。
(※私たちの活動はカウントされていません)

 


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