阿賀野市ブログ応援隊

個人・サークル・行事・歴史・頑張っている人などの阿賀野市の情報と、人生の楽しみ(?)をお伝えします。

笹神村に明治時代から「大荒川発電所」

2020年08月29日 | 歴史

 大荒川上流発電所

山倉船場 国鉄羽越線開通までは、米・瓦・木炭・薪などの産物や、都市からの生活必需物資の着荷場として重要な役割をしていた。この写真は大荒川発電所の発電機器の荷揚げ風景。この山倉集落の船着き場から人力で勝屋(畑江)にある大荒川発電所まで機材を運んだ。写真は大正4年(1915年)撮影。

(上)大荒川上流発電所 建築工事現場  ※写真と文は「笹神村史 発行・笹神村」から借用

新潟市 新潟電燈会社の中野平弥は明治40年(1907年)11月、資本金30万円で大荒川の水力発電による新潟水電株式会社(新潟市新島通り4)を創立した。出湯に出張所を設け、技師長・技手・書記を常駐。起工式は同年7月17日に出湯温泉の華報寺境内で行い、工事に着手。地元から多くの住民が人夫として採用される。

(上)発電所工事に従事した地元住民(山ノ神付近) 発電用の機材の運搬は山路に道なき道を開き、人間だけが頼りの力仕事だった。3月と9月の新潟大火で資材や人件費が高騰した。さらに社長の佐藤伊左衛門が死亡し、12月に現場監督だった中野平弥の長男が急性肺炎で死亡。工事は苦難を押して敢行された。

明治42年(1908年)、大荒川上流発電所が完成。会社の計画では水力発電443キロワット。電灯電力の供給区域は新潟市・新発田市・外三町六か村、電灯数5117灯、電力50馬力、電力1馬力昼間10円だった。

現在の笹神地域で初めて電灯が灯ったのは、大正元(1912年)年11月、村杉と出湯が最初であった。

大荒川発電所で発電された電気は、発電所から特別高圧送電線によって新潟市の沼垂変圧配電所まで630本の電柱で繋がれ、さらに新潟まで送電された。特に阿賀野川川越の4基の鉄塔と信濃川の3基の鉄塔の工事は、雪解けの増水時と重なり、その工事は難渋を極めた。

さらにこの間、新潟水田会社は明治43年(1910年)に官営八幡製鉄所の赤谷発電所(旧内の倉発電所・出力270キロワット)を借り入れ、新発田町(市)に点灯し、さらに新潟まで送電している。 ※笹神村から新潟市や新発田市に電気を送電していたんですね。

 大荒川上流発電所(明治後期)明治42年5月運転開始。所在地 大字勝屋字大荒川山、水量 14個7(1個は約1斗5升)、水路延長897間(1630m)、落差470尺(142m)、出力443KW、電圧11,000V、水車はタービン650馬力1台、油圧式でドイツ社製 発電機540KVA1台アメリカ製。  取壊跡地は、昭和42年(1967年)の集中豪雨で流出したそうです。

明治45年(1912年)5月、大荒川下流にもう一つの大荒川下流発電所 235キロワットが完成した。

写真は無いけれど「大荒川下流発電所」は、所在地 大字勝屋字賽ノ川原、水量 16個、水路延長182m、落差 72m、出力 235KW、電圧 11,000V、運転開始 明治45年5月(上流発電所より3年後)、水車 油圧式スイス製、発電機 250KVA1台アメリカ製。

(上)正確でないけれど、赤い丸印辺りに「大荒川上流発電所」があり、緑の〇印辺りに「下流発電所」があったと思われます。緑の〇印付近は畑江地区ですが、ここは元・大字勝屋。終戦後に開墾し地名が「畑江」になりました。緑の〇印付近を「賽ノ川原」と呼んでいます。

(上)出湯温泉から五頭連峰少年自然の家に向かう「青色の太い線」が「電気山道」と呼ばれ、出湯温泉から大荒川上流発電所への工事人夫達が通った道(約1㎞)です。 ※当ブログ「出湯温泉 電気山道」参照

県都新潟の電灯を点す初期の目的は達せられたが、発電量が限られていたため、昭和6年に廃止された。かつては電気山として親しまれていたが、昭和42年(1967年)の集中豪雨で魚止の滝一帯が流され、跡地は見る影もなくなった。

コメント (2)

昭和17年の軍事郵便絵葉書

2020年08月28日 | 歴史

昭和17年(1942年)11月 「家の光」という本の付録の絵葉書。 葉書の裏は「軍事郵便」とあり、「大詔を戴いてここに一年・銃後の感謝を前線へ」とあります。 この時代、こんな家庭生活状況でなかったと思いますが、こういうものを戦地に送っていたのですね。絵は「多田北烏 ただほくう」。 家の蔵から出てきました。 戦中の時代の参考に投稿しました。 絵を描いた多田さんは戦前からキリンビールのポスターを描いていた人。女性が描かれているビールのポスターを、一度は見たことがあるでしょう。多田さんの、こういう絵は貴重? 「多田北鳥」で検索することができます。

コメント

暑! 2020.8.27 車内40度

2020年08月28日 | 日記

昨日8月27日は、暑かった。新潟市秋葉区で37.7度。全国で6番目の暑さ。私は用があり、午後1時すぎに新潟市東区へ。露天に止めていた車の車内温度が40度。その後、クーラーをつけて38度。午後3時、帰るときはクーラーをつけても車内温度が40度。 今日28日、新潟市中央区の予想温度は35度。今日も暑そうです。

コメント

笹神村立 神山東小学校 閉校写真1978

2020年08月27日 | 歴史

昭和53年(1978年)3月、笹神村立 神山東小学校が、神山西小学校と統合の為に閉校

 ←神山東小学校の校章  

(上)昭和6年(1931年) 神山村高関小作調停成立 大正時代の終りから阿賀野市内で小作争議が起き始めた。神山東小学校(当時は神山尋常第2小学校)のある上高関集落では大正12年から小作争議があり、小作が勝利した。その後も南部郷の通水土地改良費を小作料に転嫁したことで小作争議が激化。調停・破棄が繰り返れ ようやく成立。成立を記念して小学校の前で記念撮影。写真には神山村長・波多野敏太郎(上高関集落の住民)と笹岡村長・荒木義雄氏の顔もある。お坊さんも写っている。 この時代、調停成立の記念撮影の場に小学校が使われました。   (下)昭和8年(1933年)、2階建ての教室を増築した時の、竣工式の写真。

(上、3枚)昭和8年(1933年)2階建ての教室を増築、竣工式の写真。子供たちの服は着物。大人達も団子拾いに夢中です。

(上)昭和20年代半ば頃? 神山東小学校の校庭で。子供達の学年は不明。左端のメガネの男性は片桐運先生。現在は神奈川県在住で96歳。御健在です。写真の真後ろは「加藤床屋」。この建物は10年ほど前に取壊し、現在は空地です。右側の家は茅葺屋根。子供たちの服装は「終戦後」を感じます。

(上)昭和33年(1958年)夏に撮影。神山東小学校の学区の内、滝沢集落の一部が新発田市(旧豊浦町)に分村編入した。そのため、豊浦町本田小学校へ転校する生徒もでた。この写真は、転校する子とお別れ会での記念撮影。小学1年生と担任。子供たちは、皆 裸足です。写真の後ろは、神山東小学校の校舎。 昭和31年(1956年)10月、神山村と笹岡村が合併し、笹神村になりました。

↓ 神山東小学校(昭和30年代後半)校舎前のグラウンドには、まだプールがありません。

 

(上)昭和30年代後半の神山東小学校の教室・給食風景 教室の真ん中にダルマストーブがあります。冬の時期の写真のようです。ストーブの周りにバケツ有り。掃除のときに暖かくなるよう水をいれています。給食はアルミの盆や食器です。脱脂粉乳でした。チーズは食べれない子がいたそうです。

 

 (上)習字の時間。写真奥上にゴミ箱あり。「5年」とあるので、5年生のようです。

(上)昭和52年(1977年)8月14日 神山東小学校の校舎裏グラウンドで地元・上高関集落の青年会が盆踊りを主催。この時代、小学校のグラウンドは地元の公園のような存在で、放課後に子供たちは遊び、盆踊り会場にも無料で貸していました。現在のような「関係者以外、校舎立ち入り禁止」のような管理社会では考えられないことですが。盆踊りには神山東小学校の学区の集落の大人や子供達が踊りに来て、卒業した子供達(中学・高校生)や都会から帰省した大人たちの簡易な同級会の場にもなっていました。 ※小学校には校舎の前と後にグラウンドがありました。

(上)神山東小学校の屋内体育館、 ステージの壁に飾られていた校歌の額

  平成8年(1996年)11月建立

神山東小学校跡地に小学校の学区の人たちが寄付で建立。現在は、みのり保育園の園地として使用。

 

コメント

神山駅の今昔(改訂版3)

2020年08月25日 | 歴史

(上)昭和61年「1986年」ごろに撮影。改築前の神山駅です。笹神村史に載っています。左端が改札口。その右隣が待合室。その隣が駅員の仕事部屋。瓦屋根です。当時は通学の高校生が大勢通っていました。待合室には、冬季間 石炭のダルマストーブが設置されていました。

(上)この写真は昭和40年前後に撮影。この頃、旧笹神村神山地区にあった神山西小学校と神山東小学校の6年生は合同で会津若松市へ修学旅行に行っていたようです。この時代、自家用車を持っている家は少なく、汽車に乗る機会も少なかった子供たちにとって、新津駅で汽車を乗り換え、磐越西線の各駅停車で行くのは大冒険というか、小学校時代の大イベントだったようです。生徒たちの中にはすでに他界した子も。乗ったのは、蒸気機関車だったそうです。D51?

(上)この写真は、昭和49年「1974年」ころに神山駅で撮影。この年(?)まで、蒸気機関車が走っていました。

(上と下)平成2年(1990年)4月1日 「うるおい新潟 SLの旅」として久しぶりに蒸気機関車D51が羽越線を走りました。お祝いとして神山駅に五頭温泉郷の関係者や芸者たちが来て、駅にD51が止まった時に踊りやジュース(酒?)を振舞いました。

 

上の写真、左端のメガネの男性は当時の五十嵐笹神村長。笹神村が元気なころの写真です。

 

(上)平成7年「1995年」の笹神村(現・阿賀野市)神山駅。 改築前の神山駅(一番上の建物です)

駅舎の屋根がトタン葺です。 いつ 瓦葺から葺き替えたか不明です。

駅には上りと下りの二つのホームがあり、列車交換の待ち合わせもありました。 この写真は駅の跨線橋から撮影したと思われます。 現在、跨線橋は撤去され、ホームは一つだけです。「上の写真の誌名記録なし」

(上)改築前の神山駅で、ホームが二つあった時代の木版画。木版画にあるホームは線路の向こう側で、現在は取壊されて現存していません。 「木版画・片桐正英」

神山駅は昭和19年から、信号場として工事されてきて、昭和30年に神山駅になりました。

昭和47年からは無人駅に。そのため、地元の神山農協や神山駅を守る会の人たちで切符販売や駅管理をしてきました。 平成8年(1996年)2月に駅舎が建替えられ、下の写真のような駅舎になり、無人駅になりました。

 

  

(上)神山駅が改築され現在の駅舎に。駅舎側のホームでの木版画。 「木版画・片桐正英」

(上)2013年6月26日 神山駅西側から撮影。左端に駅。屋根の形がユニークです。

(上)2014年4月19日 神山駅と自転車小屋の中間にあった桜の木。綺麗な桜が咲いていました。2020年8月25日、神山駅の撮影に行くと、上の桜木は切り倒されていました。木の高さが高くなりすぎ、危険と判断されたのでしょう。いい花が咲いたのにと、残念です。

(上)2015年1月 冬の神山駅

  2016年4月18日 神山駅

 同日、夜の神山駅

(上)令和2年(2020年)8月25日撮影 神山駅

(上)神山駅の時刻表 ワンマンの電車が多いです。

上の1枚目の版画(紫陽花・女性・雨に傘)の舞台、この草藪に駅の2番ホームがありました。「今は昔」という言葉を思い出します。

  駅舎の案内板。1枚目の写真とは、変わりました。

コメント

山崎藤廣 画集10

2020年08月23日 | 山崎藤廣 画集

 画・山崎藤廣

コメント

2022.4.1から 成年年齢は18歳 

2020年08月22日 | 日記

 市役所にあったパンフレット

2022年4月1日から、民法改正「成年年齢の引下げ」で成年年齢は18歳からになります。知っていましたか? 世界的にも18歳以上を成年年齢とするのが主流のようです。OECD加盟国では、韓国が19歳。日本とニュージーランが20歳。他の32の国は18歳だそうです。

コメント

ブランデー樽で貯蔵した日本酒。福顔。

2020年08月21日 | お酒の話

 ブランデーの樽で貯蔵した日本酒

2020年正月、深夜のテレビ番組「川柳居酒屋なつみ」で、フリーアナウウサーの宇賀なつみ・橋本徹・坂上忍の3名が珍しい日本酒を飲みながら話し合う番組で、この酒も紹介されました。製造したのは、新潟県三条市林町 福顔酒造(株)さん。アルコール分19度、300mlで税込み1730円だったと記憶しています。美味でした。最初に飲んだ一口は日本酒でなく〇〇酒?と感じ、あとでブランデーの味わいが出てきました。福顔(ふくがお)酒造と読むようです。ほかに、「ウイスキー樽で貯蔵した日本酒」と「バーボン樽で貯蔵した日本酒」があるようです。

「2023年3月8日追記」

 

「日本酒・福顔 越のまごころ酒 花ひらく」 ワンカップ 273円+税 アルコール分15度

コメント

瓢湖 今昔物語89(平成・2016)

2020年08月21日 | 瓢湖

 

2016年6月17日 PM7:00撮影 瓢湖あやめ祭り・ライトアップ

  

昼とは違う雰囲気です

あやめ祭期間中、ライトアップしています

 

水森かおりさんの「写真入り のぼり」

2016年6月19日 午後3時から 水森さんのミニ・ステージ。 混むかなぁ・・・ 水森かおりさんは 「阿賀野市観光親善大使第1号」です。歌は「越後水原」。この年のNHK紅白歌合戦で歌われました。

  「越後水原」のCDの写真と歌詞(下)です。

コメント

阿賀野市 たつみ食堂・ラーメン

2020年08月19日 | グルメ

阿賀野市緑町25-5 たつみ食堂の「ラーメン 650円。小さな餃子2個付」 美味でした。

         

こちらの店は「キャレル 7月号」で紹介。紹介されたのは、カントンめん 850円。

コメント

山崎藤廣 画集9

2020年08月18日 | 山崎藤廣 画集

   画・山崎藤廣 1999年10月

コメント

村杉温泉 川上屋旅館で夕食 2020

2020年08月17日 | グルメ

2020年8月15日、お盆。今夜は村杉温泉・川上屋旅館で夕食。美味でした。いい湯でした。

岩船地区で採れた生カキ。美味でした。今朝、テレビで岩船漁港近くでのカキ採りを放送していました。

 

 

           

コメント

えんだま JAささかみ

2020年08月13日 | グルメ

笹神地区の農家から、えだまめを貰いました。この枝豆は規定の有機肥料などを使い「えんだま」の商標で販売されています。下記をご覧ください。  美味でした。

コメント

阿賀野市 水原八幡宮15

2020年08月12日 | 史跡など

  

このところ、水原八幡宮の歴史の話が続いたので現在の話題、「御朱印」の話題です。

水原八幡宮の御朱印は普通の御朱印のほかに、季節により絵柄の違う御朱印があります。

上の御朱印は疫病除けの「アマビエ」の絵柄の御朱印です。右端上に「勝」の文字が。

お盆に参拝に出かけませんか。

       

上 水原八幡宮の拝殿。 今年は新型コロナウイルスの感染予防のために水原祭は中止。

祭の中止といえば、1923年(大正12年) 関東大震災が起きました。その為に水原八幡宮では9月15日の祭典では、毎年 道路向かいの瓢湖で数百発の煙火花火と仕掛け花火をあげていたけれど、関東大震災に鑑み花火は全部廃止し、極質素なる祭典を執行したそうです。この年の祭典(秋の例祭)では参道の改築竣工記念式典をしました。 次回に続きます。

コメント

暑い!!  2020.8.11

2020年08月11日 | 日記

昨日と今日(2020.8.11)暑いです。 今日 午後4時33分、私の車の温度計は、「38度」。暑いです!

8月12日追記 昨日は群馬県で40.5度の地域があったそうです。阿賀野市では昨日昼、80歳代の男性が熱中症で死亡。午後1時前、畑で農作業中に倒れているのを家族が発見。搬送先の病院で死亡が確認されました。

コメント