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水原親憲と周辺の話 1

2022年10月23日 | 水原常陸介親憲の関係

笹神村郷土研究(第12集)から 「昭和57年3月 笹神村教育委員会が発行」 

水原親憲が水原城主だった時、嫡子が死亡。 旧笹神村の出湯(出湯温泉)に華報寺「けほうじ」あり。水原氏の菩提寺は華報寺で、裏山に廟所がある。

文禄元年(1592年)、水原常陸介親憲は出湯の華報寺を菩提寺とし、今板村・押切村・須走村・蒔田村・赤水村・上一分村・下一分村などの村々を寺領として寄進する(白河風土記)

この廟所に水原親憲夫婦の嫡子の墓があり、親憲は山形県米沢藩から度々参詣にきていたことが、明和年中(1764年~1771年)の華報寺住職の話として記されている。

親憲は慶長3年(1598年)に上杉景勝に従って会津に移り、関ヶ原の戦いの後 米沢に行った。元和2年(1616年)死去。

 出湯の華報寺

 華報寺境内にある華報寺共同浴場。出湯温泉は新潟県内で最古の湯と言われている。米沢から子の参詣にきた水原常陸介親憲も、この温泉に入り旅の疲れをとったと思われる。

 華報寺は、809年に弘法大師が開山したと伝えられている。

開山時は「五頭山福性院海満寺」と呼ばれていた。


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