阿賀野市ブログ応援隊

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越後府、矢倉など研究 5

2017年03月04日 | 歴史

   「町だより すいばら」 1996年6月号の記事を要約して投稿します。

新聞報道から2ヶ月半後の水原町役場発行の「町だより」です。 新しい情報も追加されています。

「越後府・水原県」の写真と平面図を町文化財調査審議会委員長の渡辺勇さんが発見。 越後府の建物が建っていた天朝山(1996年当時は、天長山と呼んでいました)は、、水原の富豪・市島家が飢饉を救うために造ったもので、そこに市島家の別邸が建っていた。

ところが戊辰戦争のとき、水原代官所に預かり所の本部を構えていた会津軍が、新潟から南下してきた官軍に負け、会津若松鶴ヶ城の方へ退却。

その退却する時、天朝山の市島家別邸は官軍か会津軍か どちらかに火をつけられ、焼失してしまった。

戊辰戦争の終局によって明治と改元。 明治2年2月に天朝山に越後府が置かれた。 そこで前記で投稿した建物(府庁・県庁)が建築されました。

建築経過は、 ①市島家が明治政府に天朝山の土地を献上 ②政府の土地になってから、前記の建物を建築。

堀壁の内側で約2760坪の敷地、建物だけで約600坪。現在の水原代官所の建物の約4倍の大きさです。

建築を始めたのは明治2年から。 完成の日付は不明です。

次回に続きます。

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