中島敦の小説、名人伝に弓の名手が出てくる。弓を極め、師匠を捜し求め、誰も届かなかった高みにたどり着く。その後、人里で生活を始めた彼は、晩年には弓というものを忘れてしまったという、一芸を極めた者の不思議な話。
僕は名人の域にたどり着かないが、正直な所、名古屋まつりを過ぎたら、笛も忘れてしまいそうだ。名古屋まつりがえらい昔に感じてしまう。
東区区政80周年の時は山車が徳川園に集まった。90周年も山車を集める…という話が流れた時、王義之車のところで、湯取の人間やらが数人で行って、天王祭で東区の山車が揃う事があるだろうか?という夢のような話をした覚えがある。
月日が流れ区政100周年で建中寺に山車が揃い、もう言う事はない。ただ、この姿を見てほしかった方々が数人鬼籍に入られてしまったことが残念でならない。
区政80周年の時、湯取車の綱を曳いていた僕の同級生はほとんどが辞めてしまった。あれから20年が経ってしまったかと思うと、せつなくもなる。
東区100周年の時、湯取車の綱を曳いてくれた小学生が二十年後、残ってくれるだろうか?
残ってくれるようにするのが、残された者である、僕の仕事なのかもしれない。
僕は名人の域にたどり着かないが、正直な所、名古屋まつりを過ぎたら、笛も忘れてしまいそうだ。名古屋まつりがえらい昔に感じてしまう。
東区区政80周年の時は山車が徳川園に集まった。90周年も山車を集める…という話が流れた時、王義之車のところで、湯取の人間やらが数人で行って、天王祭で東区の山車が揃う事があるだろうか?という夢のような話をした覚えがある。
月日が流れ区政100周年で建中寺に山車が揃い、もう言う事はない。ただ、この姿を見てほしかった方々が数人鬼籍に入られてしまったことが残念でならない。
区政80周年の時、湯取車の綱を曳いていた僕の同級生はほとんどが辞めてしまった。あれから20年が経ってしまったかと思うと、せつなくもなる。
東区100周年の時、湯取車の綱を曳いてくれた小学生が二十年後、残ってくれるだろうか?
残ってくれるようにするのが、残された者である、僕の仕事なのかもしれない。