お祭り 歴史探索の旅   ~尾陽雑記抄~

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似たもの同士

2006年09月05日 00時43分45秒 | 山車祭り
名古屋市東区筒井町湯取神子車と同じものが、西区比良にある「河南 湯取神子車」

 同じく小牧上本町にもある「湯取神子車」筒井の笛吹き(鼻こすり)は大正年間六代目玉屋庄兵衛作(平成に修復)小牧は明治年間に六代目によって作られた。(明治に作られるまで、人形は無かったとも?)

 昭和初期、六代目の高弟荒川宗太郎によって作られた湯取神子の人形が亀崎「宮本車」

 旧 桑名町で戦災にあうまであった「湯取神子車」は隅田仁兵衛の作。隅田仁兵衛一門の手によって作られたのが岐阜県竹鼻「大西町」にある。

 湯取で有名なのは津島秋まつりの七切「麩屋町」と「朝日町」と二つある。

 他にも戦災にあってしまったが、数輌あったらしい。

 筒井と比良、小牧、亀崎では、人形囃子や道行など囃子に同類の物もある。津島は何故かちがうなあ。囃子は何故か?昔○○の○○町にもあったらしい。

 湯取つながりで、他地区の山車囃子を聴きに行ったのが、ここ10年ほど。

 じゃあ、中村区花車「二福神車」と戦災にあった長者町「二福神車」西区比良「河北 二福神車」では同類の囃子があるの?と考えて見ると、あの○○○のヒントがあるかもしんない。(二福神車は、津島、犬山にもあるね、知多半島の布土にもあるけれど)

 同類の人形を持つところでは、似た囃子もある、と仮説を立てて調べてきてもう10年、最近は調べに行ってないけれど。

 東区中之切「河水車」(石橋獅子)と戦災で焼失した若宮中須賀町(寿老人車)は同じ人形カラクリだから、同類の囃子があったんじゃないかな~と勝手に最近考えている。(篠笛の道行があやしい)

 東区、王義之車は何故か?西枇杷島に同じカラクリの山車がある。唐子の肩での倒立は各地にある。同類のカラクリが江戸時代、流行った時期があるのかもしれないね。

 近いうちに、人間が行う湯取神事を観に行きたいが、名古屋のとある場所で10月行われるので、行こう、行こうと思ってはや数年。今年も行けないだろう… と言うより行かないだろう…


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2 コメント

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宮津にも二福神車がありますよ (UKOKKEI)
2006-09-07 20:09:04
 アキ様、今晩は。

 約二ヶ月の間、御無沙汰致しておりました。

 さて知多半島には、布土の他に宮津にも二福神車(北組北社)がありますよ。

 昨年の「あいち山車・からくり総揃え」にも参加した山車です。

 この車のからくりは、大黒が宝袋に打ち出の小槌を振り下ろすと、中からチャッパを持った唐子が出て来て二福神と共に舞うという仕掛けになっています。

 布土の二福神車(上村組護王車)のからくりは、二福神の舞と並行して樹上倒立の唐子遊びが上演されますし、二福神のからくりはいくつかバリエーションがありますね。

 それを比べてみたりそのルーツを探ってみるのも、一興ではないでしょうか。

 最後になりますが、上村組護王車のからくりは12年前の「わかしゃち国体」の関連イベント「からくり夢工房」で上演され、故きんさんぎんさんもそれを見たそうですよ。

 
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そうだった (アキ)
2006-09-07 21:24:59
 布土護王車は三代目和四郎富重&専四郎富種のショウキなど彫刻が有名ですが、二福神と唐子遊びの組み合わせでしたね。もう一つありましたか。

 時は享保、江戸にけんかを売った宗春の治世、長者町から曳き出された元祖「二福神車」

 出典は狂言だろうと思っていましたが、江戸の神楽にもあるそうですね。(ただし江戸時代は、恵比寿と大国別々?)

 瑞穂区井戸田の大山にも乗っていたようです。



 恵比寿鯛を釣り、大国小槌を叩く。おそらく現代でももっとも人気のあるカラクリだと思いますよ。人間が行っている仕草をカラクリがする、又は人間が出来ない仕草(逆立ち、欄杭渡りなど)をカラクリにさせる。そういったアイデアは驚かされます。

 二福神のカラクリの所作はどの山車も似ていて、囃子などにも類似性が見られるでしょうね。
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