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遼、16年五輪“なでしこ”とリオへ…

2011年12月21日 | Ryo log
◆2011報知プロスポーツ大賞表彰式(20日) 男子ゴルフの石川遼が、なでしこジャパンと五輪の金メダルを目指す! 「報知プロスポーツ大賞」3年連続受賞の石川は、表彰式で来年のロンドン五輪出場を決めている女子サッカー日本代表メンバーと初対面。刺激を受け、ゴルフが112年ぶりに復活する2016年のリオデジャネイロ大会出場に意欲を示した。日の丸を背負い、表彰台の頂点に立つ日を夢見て、腕を磨く。

 大人の雰囲気をまとい、石川が晴れ舞台に戻ってきた。黒のスーツに、さりげなく光るダイヤモンド入りのネクタイピンとカフス。9月に20歳を迎えた青年は、レッドカーペットをさっそうと歩いた。「このような賞をもらうとは思っていなかった。頑張りを褒めてもらえたようでホッとします」。今季未勝利ながら賞金ランク3位、被災地への義援金などコース内外の活動が評価された。

 一流選手が集う表彰式で、なでしこジャパンとのうれしい初対面が実現した。練習を兼ねて行うフットサルを愛し、テレビで海外の試合も見るなどサッカーが大好き。7月のドイツW杯でなでしこが世界一に輝いた場面は、全英オープンで滞在中だった英国の宿舎で生中継にかぶりついた。控室では岩清水と談笑し、壇上では佐々木監督、丸山も交えたトークショーで会場を盛り上げた。

 心を熱くさせられたのが、佐々木監督の言葉だった。「チームジャパンということをヒシヒシと感じる大会。各競技が一体となりパワーも出る」。08年の北京で4位に入り、来年のロンドンで金を目指す指揮官が説いた五輪の素晴らしさ。海外では日本代表を意識して戦う石川には、願ってもない舞台だ。

 長い間、五輪競技から遠ざかっていたゴルフは、16年リオデジャネイロから復活する。「僕がゴルフをしている間はないと思っていた。開会式で選手が旗を振る姿はうらやましい。絶対に出たい」。採用が決定した09年には、真っ先に金メダル獲得を口にするほど思いは強い。5年後の大会開催時は脂の乗った24歳。なでしこと一緒に日の丸を頂点に掲げるには最高の時期だ。

 2012年の目標とした「海外メジャーで優勝争い」実現のため、年明けからは4月のマスターズ出場権獲得への戦いが始まる。条件は、現在51位の世界ランクを大会前週に50位以内に上げること。五輪という新たなモチベーションも生まれた。表彰式で受けた刺激を力に、夢の切符へと突き進む。

 ◆ゴルフと五輪 第2回の1900年パリ大会、第3回の1904年セントルイス大会で実施された。1903年に初めてゴルフ場ができた日本は出場しなかった。リオデジャネイロ大会で112年ぶりに復活。現在の実施要項案は、男女とも4日間72ホールストロークプレーの個人戦。出場者は男女60人ずつで、世界ランク上位15人は国籍に関係なく出場権を獲得。残りは世界ランク上位から選ばれるが、1か国最大2人まで。認知度が高いため、ロンドン五輪では公開競技になっていない。

 ◆石川 遼(いしかわ・りょう)1991年9月17日、埼玉・松伏町生まれ。20歳。小学1年からゴルフを始め、松伏小、松伏第二中を卒業し07年に東京・杉並学院高に進学。プロツアー初出場だった07年5月のマンシングウェアKSBカップで、15歳8か月3日の世界最年少優勝を達成。08年1月にプロ転向、同年は1勝して賞金ランク5位。09年はマスターズで日本人最年少出場。日本ツアーでは4勝を挙げ、獲得賞金1億8352万4051円で世界最年少賞金王に。10年は3勝。ツアー通算9勝。家族は両親と妹、弟。174センチ、68キロ。
(スポーツ報知)

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