新・エンゲル係数

肥満と痛風に悩まされながらも新鮮な食ネタを捜し求めて・・・

大瓶が633ミリリットル

2015年05月30日 | おいしんぼうネタ

なぜ半端な数字なのか?

気になるのは瓶ビールの容量です。瓶ビールの容量というのは大瓶が633ミリリットルの容量があります。缶ビールが350ミリリットルか500ミリリットルが主流となっているのに対して、実に中途半端な数字となっています。これはどのようにして定められたものなのでしょうか?

瓶の大きさはまちまちであった

実はかつては瓶ビールの大きさというのはメーカーによって異なっていました。しかし、昭和15年に新しい酒税法が作られるにあたって瓶ビールの大きさを統一することになりました。そこでもっとも小さい容量であった瓶が633ミリリットルであったので、たまたま定められたというわけです。昔の基準がそのまま使われているというわけですね。

ワインの瓶も同じ

さらにワインの瓶の容量も、外国産のものは750ミリリットル入りですが、日本製のものは720ミリリットルになります。これは日本酒や焼酎などの伝統的な容量である「合」単位でカウントしたため、こちらの容量になっています。お酒の容量ひとつとってもさまざまな歴史が込められていることがわかります。


野生のシャチの群れは地震の前兆現象か?

2015年05月30日 | 気になるネタ

地震の前兆現象なのか。千葉県富津市沖の東京湾でここ数日、野生のシャチの群れが目撃されている。関係者が「これまで聞いたことがない」と口をそろえる珍現象だ。最も凶暴な海の生き物としても知られるシャチは、なぜ突然現れたのか。専門家は「過去にも大地震が起きる前に海中で生物の異常現象が起きている」と指摘するだけに見過ごせない。

 「シャチを含む鯨類は相模湾の沖にはかなりの数が生息しており、コククジラやセミイルカは時折、東京湾までやってくることがある。ただ、シャチは前代未聞だ。エサを追いかけて入ってきてしまったのだろうか」

 横浜・八景島シーパラダイスで20年以上にわたり獣医を務める大津大(だい)氏は驚いたようにそう話す。

 最初に確認されたのは25日午前10時ごろ。第三管区海上保安本部の巡視艇が、千葉県富津市の金谷(かなや)港西方約6キロの海上で数匹のシャチの群れを見つけた。海上保安本部の担当者によれば「乗組員もこうした光景を見るのは初めて」だという。

 翌26日の午前11時ごろにも、ほぼ同じ海域で釣り船の乗務員から「シャチが3~4頭泳いでいる」と通報があり、27日午後には、フジテレビの取材スタッフが5頭ほどの群れを確認した。

 周辺は大型タンカーや漁船などの航路になっており、衝突すれば大惨事になる。海上保安本部は船舶に注意を呼びかけているが、金谷港の関係者は「26日にはシャチのニュースを見た若い女性が2人、港まで様子を見に来ていた」と、その余波を口にする。

は東日本大震災(マグニチュード9・0)が発生する1週間前の2011年3月4日にもイルカ約50頭が、茨城県鹿嶋市の海岸に打ち上げられたことがあった。

 地震の前に確認された海洋生物の異常行動について夕刊フジで「警戒せよ! 生死を分ける地震の基礎知識」を連載する武蔵野学院大の島村英紀特任教授は「未解明なことが多いが」と前置きしつつ、こう説明する。

 「海中に住む生物は体内に、われわれが研究用に使用しているものよりはるかに優れた電磁気センターを持っているとされる。ナマズは芦ノ湖ほどの広さの水に乾電池1つ分の電流を流しただけでも、感知するといわれているほどだ。M8級を記録した明治と昭和の2回の三陸地震の前にはイワシの異常な豊漁が記録された。今回、シャチも地震が起こる前に海の底から伝わってくる磁力をセンサーで事前に感知し、東京湾に現れた可能性はある」

 次の揺れに対する警鐘と捉えるべきか。


25名も集まってしまいました☆

2015年05月29日 | 宴会ネタ

徳島から7名も視察見学に来られたので・・・

地元も少し多めにと思って声掛けしたら~なんと、なんと~25名

こりゃあ、貸切だな

少し?いや、かなり狭いけど我慢して楽しく宴会しましょ

座敷はえらい様が?10数名・・・陣取りました。

若手はカウンター等々で~

さぁ~楽しく情報交換しましょ


ローラン・5千円ランチ☆

2015年05月29日 | 桜蘭ローラン

五月の連休に食べてきました・・・随分と遅れてのアップになります。

ネタが多すぎてねぇ

で、連休中は5千円のコースしかないとの事でしたので、それを注文しました。

 何時ものは3種なんですが・・・6種類ありました。

エビに蛍烏賊に・・・上の3つは何時もの品と一緒です。

左のベーコンみたいのは?

なんだっけね?


富士の上から照らす太陽になる日は、そう遠くない。

2015年05月29日 | 気になるネタ

23歳のモンゴル出身力士、照ノ富士が平成生まれ初の大関となることが確実になった。白鵬をはじめ現在の3横綱、3大関はいずれも30歳前後。待望の新世代大関だ。「新大関・照ノ富士」誕生の原点を3回にわたって探っていく。 

 優勝の要因を聞かれると照ノ富士は即答した。「稽古じゃないですか」。当然の答えではあるが、積んできた稽古の質、量に絶対的な自信があることがうかがえる。間垣部屋の閉鎖により13年4月に伊勢ケ浜部屋に移籍。そこでの厳しい稽古で才能が開花した。

 幕下だった移籍当初、1メートル92、170キロ以上の恵まれた体を持て余していた。膝が曲がらず腰が高いため、小兵の幕下・照強にも簡単に懐に入られて力を発揮できなかった。師匠の伊勢ケ浜親方(元横綱・旭富士)が「四股を1時間も2時間もやらせた」と振り返るように、基礎から徹底的に鍛え直された。

 体をぶつけ合う稽古も過酷だった。少しでも気を抜くと、師匠から「ガナ(愛称)、ちゃんと前に出ろ」と叱責(しっせき)された。1度の稽古で100番取ったこともある。泣きながら稽古したのも一度や二度ではない。部屋には横綱・日馬富士を筆頭に関取が計5人在籍。押し相撲もいれば、四つ相撲もいる。バラエティーに富んだ力のある兄弟子たちに胸を借り、力をつけていった。

 師匠からは「ウエート(トレーニング)をやれ」とも口酸っぱく言われた。ベンチプレスは当初最大90キロだったのが、この2年間で200キロまで上がるようになった。スクワットは現在330キロ。「俺、相撲界でスクワットは1番だと思う」と胸を張るパワフルな肉体を手に入れた。

 伊勢ケ浜親方は「泣いてもぶつかっていく気持ちがあった。以前は棒立ちだったのが、腰が下りるようになった」と成長に目を細める。伊勢ケ浜部屋の稽古量は角界でも一、二を争う。これだけ厳しい稽古に逃げずに正面からぶつかっていけたのも、夢を抱いて来日し、プロ入りしたからだった。


白鵬をはじめ現在の3横綱、3大関はいずれも30歳前後。待望の新世代大関だ。

 照ノ富士の人生の転機はモンゴル・ウランバートルにいた17歳の時。それまでスポーツに励むことはなく、成績優秀な高校2年生だった。だが、当時1メートル90、100キロ超え。自分でも巨体を持て余していると感じ、父・ガントルガさんに「体を鍛えたい」と相談した。

 もともと、親戚が白鵬の父・ムンフバトさん(モンゴル相撲の大横綱)と仲が良く、父はそのツテを頼った。すると白鵬の父から柔道クラブに入ることを勧められた。柔道に打ち込み始めて3カ月後、相撲にも興味を持った。当時モンゴルでは朝青龍の活躍でテレビ各局が大相撲を中継。空前のブームの中で「自分も日本に行きたい」と思った。

 そんな09年末。鳥取城北高が留学生を募集中と聞いた。同校の石浦外喜義相撲部監督が見守る中、母国でセレクションが開かれ、50人が参加した中で優勝(準優勝は2歳下の逸ノ城)。石浦監督から「プロに行きたいか」と聞かれると「頑張りたい」と即答した。両親は反対したが「どうしてもやる」と説得し、日本語の勉強も開始。翌年3月26日、逸ノ城と同じ飛行機に乗って来日した。

 年齢的には高3だが、1年のクラスに入った。日本語を教えたモンゴル出身のガントゥクス相撲部コーチは「入学時には平仮名、片仮名が書けた」と説明。無口な逸ノ城とは違い、同級生に積極的に話しかけ、泣きながら厳しい稽古にも耐えた。石浦監督は「意欲のあるやつだった」と述懐。と同時に焦っているようにも見えた。担任の吉本尋さんは面談でこう言われたという。「自分には時間がないのです」。実は留学後に両親が事業に失敗。1年で芽が出なかったら帰国するつもりだった。そして迎えた8月の沖縄高校総体。秘密兵器としてメンバー入りし、プロ入りのチャンスを得た。 


来日してから4カ月後の10年8月。沖縄高校総体団体戦で照ノ富士は補欠ながら鳥取城北高の秘密兵器として初めてメンバー入りした。決勝トーナメントから中堅として出場。準々決勝の強豪・埼玉栄戦では1―1の状況で蘇(いける)堅太(現幕下・蘇)を撃破した。石浦監督は「何かを変えてくれると思って使った。起死回生だった」と言う。勢いに乗ったチームは優勝。ガンエルデネ(本名)の名はプロにも広まった。

 そして石浦監督の元に一本の電話が入る。間垣親方(元横綱・2代目若乃花)からのスカウトだった。事業に失敗した両親を助けるため、本人もプロ入りを望んだ。迎えた12月20日。クラスメートが贈ってくれたニット帽を手に教室の壇上で「自分は大相撲に入って夢を絶対にかなえるので、みんなも残りの高校生活で夢をかなえて」と日本語であいさつし、上京した。

 しかし、待ち受けていたのは厳しい現実だった。就労ビザを取得できた11年5月にデビューして丸1年で幕下上位に上がったが、そこから足踏み。原因は環境だった。病気を抱える師匠が稽古を見ることができず、力士は3人に。経営も悪化し、十分に食料が確保できなかった。同部屋だった呼び出し・照矢は「何とか鍋だけはつくろうとみんなで努力した。稽古も今の付け人の駿馬が真面目なので“やろう”と声掛けした」と説明。入門から2年が経過し160キロあった体重は5キロ減った。悩めるホープに苦しい環境を乗り切らせようと周囲が必死にサポートした。

 そんな時に伊勢ケ浜部屋に転籍。環境に恵まれて才能は開花し、わずか2年で大関となった。厳しい稽古に耐えられるのは、人生には苦難があることを知っているから。狙うは頂点。富士の上から照らす太陽になる日は、そう遠くない。


凄くない!?

2015年05月29日 | 気になるネタ

株式会社リコー(社長執行役員:三浦善司)は、圧力や振動により高い発電性能を発揮する新しい柔軟材料「発電ゴム」の開発に成功しました。
   圧力による発電技術は、環境発電*(エネルギーハーベスティング)の1つとして、注目を浴びています。従来は、圧力による発電材料(圧電材料)として、セラミックスや高分子樹脂などが活用されています。セラミックスは、比較的多くの電力が取り出せるものの、壊れやすい、重いなどの課題から、活用範囲が限られています。また、高分子樹脂は、薄くすることによる柔軟性はありますが、取り出せる電力は微量です。今回リコーが開発した「発電ゴム」は、柔軟性の高いフレキシブルなシート状でありながら、セラミックス圧電材料と同等の高い発電性能を有する新規材料です。セラミックスや高分子樹脂の課題を解決し、それぞれの利点である高出力と柔軟性を両立したことにより、その用途は格段に広くなります。

リコーは、センサーを始めとする多方面での活用に向けて、本技術の実用化開発を進めます。将来的には、さまざまなものが通信機能を持つIoT(Internet of Things)社会の進展に伴い、有効な発電材料としての貢献を目指します。
*環境発電:圧力や振動、光、温度差、電波といった身の回りに存在するエネルギーから電力を得ること

 従来の代表的な圧電材料であるセラミックスは、機器設備の圧力・振動センサーなどの電子部品として普及しており、高出力ではありますが、壊れやすい、鉛を含む、重いなどの課題が残っています。これに対し、今回リコーが開発した「発電ゴム」は上記の課題を解決した上、数百万回の繰り返し負荷試験でも性能劣化がないという耐久性も有しています。

一方、PVDF(ポリフッ化ビニリデン)に代表される高分子樹脂は、柔軟性を特徴としていますが、出力できる電力は微量です。「発電ゴム」は、セラミックス並みの発電性能を有しながら高分子樹脂にもまさる柔軟性を有しており、小さな圧力にも反応する感度と、大きな圧力への耐久性を実現しています。
   さらに「発電ゴム」は、柔軟であることから加工しやすく、セラミックスのような高温加工が不要なため高い生産性が望めます。
   柔軟性、高出力に加え、耐久性、加工性、生産性にも優れる「発電ゴム」は、設置場所の制約が少なく大面積での利用も可能なので、セラミックスや高分子樹脂に比べ、多方面への応用が可能になります。

 「発電ゴム」の発電機構は、従来の圧電材料とは異なります。現在、東京理科大学(山本貴博准教授)との共同研究により、最先端の計算化学技術を用いた分子レベルでの発電機構の解析を始めており、材料の可能性をさらに拡張して将来の多岐にわたる応用展開を目指します。
   リコーは、「発電ゴム」の柔軟性と高出力を強みに、他社技術との融合による新規ソリューションの展開も視野に、IoT社会に貢献してまいります。


輸入関税を6月1日から引き下げへ

2015年05月29日 | 気になるネタ

中国財政省は25日、衣料品や靴、日用品の一部の輸入関税を6月1日から引き下げると発表した。中国で売られている輸入品の値段を引き下げ、国内消費が増えるよう刺激する。中国人が日本など海外で大量に買い物をする「爆買い」現象を沈静化させるのが狙いだ。

 毛皮の衣料品の関税を23%から10%に、ウールのコートの関税を16%から8%に下げる。スーツや靴、スキンケア用品も引き下げ対象となる。日本製品が人気となっている紙おむつの関税も7・5%から2%に引き下げる。

 中国では、高級品を中心に高い関税が課せられており「同じものなら海外で買った方が安い」との不満が強い。特に日本は円安で割安感が広がったため、買い物をする中国人が増えている。

 財政省は「多様化する消費者のニーズを満足させる」と説明した。中国は経済成長の鈍化に伴い、国内消費を成長の原動力に育てることが課題になっている。


サクサクっと♪

2015年05月28日 | おいしんぼうネタ

勝好の時代に一度だけ食べたことがありました。

以前の親方が退いて、下で働いていたスタッフが新規開店で頑張っています。

まずは、一口ぃぃ

味は変わったかな? 

カラリっと揚がったロース肉は絶品でした。

サツパリとしてるけど・・・味に深みがあるねぇ

キャベツも柔らかでシャキっとして美味かった~お代わりOKご飯もね

この定食で2.200円也

ご馳走様でした


グランクラスの座席

2015年05月28日 | 気になるネタ

          

3月14日、北陸新幹線(長野-金沢)が開業し、東京と金沢が約2時間半で結ばれた。主力車両「E7系」「W7系」の最上級クラス「グランクラス」は鉄道ファンならずとも、一度は乗りたい車両だ。アテンダント(客室乗務員)によるおかわり自由のフリードリンクや軽食など、“ファーストクラス”並みのサービスが受けられる。このグランクラスの座席を開発したのが、トヨタ自動車の高級車ブランド「レクサス」のシートを手がけるトヨタ紡織。さまざまな車種で培った経験を惜しげもなくつぎ込んだ。

 グランクラスの定員は18人でグリーン車の3分の1以下だ。客室内の座席配置は通路をはさんで1人掛けと2人掛け。シートピッチ(座席の前後間隔)は130センチ、実際に腰が下ろせる座席有効幅は52.5センチ。グリーン車よりそれぞれ14センチ、5センチ長い。実際に座ると、シートに体全体が包まれるような感じだ。

 シートの角度もグリーン車が最大37度に対し、グランクラスは43.6度。シートピッチが広いため、目いっぱい倒しても窮屈な印象はない。

■一定の座り心地実現

 トヨタ紡織がグランクラスの座席開発に乗り出したのは2012年3月。JR東日本・西日本による開発コンペに提案したところから始まる。JRが打ち出したコンセプトは「大人の琴線に触れる『洗練さ』と心と体の『ゆとり・解放感』」。これに沿う形で検討を進めたが、コンペの実施を知ったのがその1カ月ほど前。短期間で企画書を練り上げなければならなかった。

 そのかいもあって採用が決まるとトヨタ紡織は早速、設計や企画、デザイン、人間工学などから6人の精鋭を集めてプロジェクトチームを結成。これを母体に同年6月に「BR新規事業推進室」を立ち上げた。プロジェクトにかかわる社員は増え続け、最終的には常勤で30人程度に増強。それとともに態勢も強化、13年6月には「ACT推進部」に改称された。

 グランクラスの座席開発について、第3シート設計部の稲留誠一郎主任は「(自動車用に比べ)シートピッチが広く取れ、車体内部の内寸も広いため、設計の自由度は高かった」と振り返る。根本の設計思想を「誰が座っても一定の座り心地になるようなシート」(稲留氏)に置いたが、シート表皮の風合いや操作性、身体へのフィット感などは自動車の経験をそのまま生かすことができた。

 一般的に自動車の座席横のテーブルは折り畳み式が多い中で、グランクラスは格納式だ。稲留氏は他の社員に呼びかけ、出張の度に飛行機やバス、列車の座席テーブルの写真を撮ってもらい、それを手がかりに構造を考え、発泡スチロールと板で簡易モデルを作った。こうしたモックアップ(模型)作りも自動車の世界では日常のことだ。

 鉄道向けだからこそ苦労したことも少なくない。自動車も鉄道も座席には20年程度使える耐久性が求められる。しかし使用者が特定されることが多い自動車に対し、鉄道を使うのは不特定多数だ。しかも早朝から深夜までずっと走り続ける。

 稲留氏は「耐久性は自動車の10倍以上が必要」と判断し、シートを支える骨組みや座席を前後に動かすレール、座面や背もたれを倒すために動かす機構などはすべて一から開発、設計したという。

■短期間で効率よく

 開発期間も違った。自動車は開発から完成まで数年かけることが多いが、グランクラスの座席の場合は1年に満たなかったという。北陸新幹線用のE7系は、金沢開業の1年前にあたる14年3月から営業運転に入ることが決まっていたからで、試運転の期間を考慮すると、鉄道車両メーカーに納入するまでわずか数カ月しかなかった。「JRの関係者から『間に合わないのでは』と心配された」(傍嶋(そばじま)政道ACT推進部長)ほどだ。

 そこでトヨタ紡織は試作の初期段階から、生産を担う富士裾野工場(静岡県裾野市)の担当者に、開発拠点である猿投工場(愛知県豊田市)に何日も泊まり込んでもらい、どうしたら品質の良い座席を効率よく生産できるかを議論。その都度、図面に反映させていった。

 猿投工場では時間軸に沿った形で、それぞれの持ち場でやるべきことをすべて書き込んだ大きな紙を会議室に貼りだした。始業時と終業時、そして休憩時間にも従業員が必ずチェックした。打ち合わせなどもその部屋で行い、関係する全従業員が情報を共有できるように努めた。

 開発工程の管理に携わった製品企画開発センターの馬淵忠幸プロダクトプログラムマネジャーは「納期が短くプレッシャーの連続だったが、不思議と『絶対に間に合わせる。世界に誇れる立派な座席を作ろう』という気持ちが出来上がっていた」と振り返る。

 納期後は、東京-長野、長野-金沢など区間を変えて試乗を繰り返した。稲留氏は「もし不具合が起きたらと、ずっとひやひやしながら車中を過ごしていた」が、隣に座ったJRの担当者から「これはすばらしい腰掛けだ」と声をかけられたときは思わず涙がこぼれたという。馬淵氏は「開発の立場を離れて、プライベートでこの座席を楽しみたい」と笑顔を見せた。(松村信仁)


医療保険制度改革関連法

2015年05月28日 | 気になるネタ

高齢化で厳しさを増す医療保険財政を安定させるための「医療保険制度改革関連法」が27日、参院本会議で自民党と公明党などの賛成多数で可決、成立した。入院中の食事代値上げや大病院受診の定額負担導入など、患者の負担増につながる見直しが盛り込まれている。

 この法律は、健康保険法や国民健康保険法など5本の改正法をまとめた一括法だ。国民健康保険の運営を市町村から都道府県に移すなど、2018年度までの医療改革の道筋が決まった。

 入院時の食事代値上げについて厚生労働省は、対象者を年間70万人と見積もる。保険給付の削減効果は18年度に約1200億円になると見込む。いま全国一律で原則1食640円。380円が医療保険でまかなわれ、自己負担は260円だ。この自己負担額が難病などの患者を除いて16年度から360円、18年度からは460円に上がる。住民税非課税の低所得者はいまの負担額(210円か100円)のままとする。

 負担増はこれだけではない。紹介状なしで大病院を受診する人は、16年度から新たに定額負担が必要になる。救急の場合などは除く。大病院が重症患者の治療に専念しやすくするためだ。対象は大学病院を中心とした「特定機能病院」やベッド数500床以上の病院を想定する。いまの初診料は2820円で患者負担はその1~3割。定額負担は通常の初診料とは別に支払いを求める。5千円か1万円を軸に検討中で、今秋までには金額が決まる見通しだ。

 今回の法律に含まれる改革ではないが、75歳以上が加入する後期高齢者医療制度で、所得の低い人を対象とした保険料軽減措置が17年度から段階的に廃止される。厚労省によると、加入者の半数の約865万人の保険料が上がる見込みだ


市長選挙に知事はどう関わった?

2015年05月28日 | 気になるネタ

朝日が一番蛋白だねぇ~コマーシャルでご厄介になってたからかしら?

って、思ったり


 

毎日の記事が一番的確な記事だと思ってみたり

 

カリスマ、神様も。。。これにて一貫の終わりってことですかぁ

静岡新聞も頑張っていますね


ところで、川勝知事が一押しだった高田候補者がこんな話になってるんですが?

逮捕されたお兄さんの選挙目当て出版記念パーティーで「高田女史べたほめ」だった知事様

         川勝さんにも責任の一端はないんでしょうか?!

日テレ系ではそんな話題でぇ~知事直撃してましたが、知らぬ存ぜぬの答えでしたよぉぉ

まさか、次の選挙がぁ~なんてこと考えてないよね