脳腫瘍の夫と共に

2010年4月グリオーマと診断された夫との手探りの日々…

それでも・・・

2014-04-27 22:56:05 | 私の思い 3
もうすぐ5月の連休がやってくる。

4年前のこの日、
私は娘とともにまだ東京の病院にいた。
夫は手術の後
放射線治療を受け始めていた。
テモダールも服用していた。

3年前のこの日、
夫と私は名古屋の病院にいた。
ノバリスという
ピンポイントの放射線治療に一縷の望みを託して。
そして
連休明けには
車いすで退院することが決まっており
介護保険の手続きや
自宅の改装など、忙しく過ごしていた。
連休中には二度の外泊も計画されていた。



どれだけ悔やんだことだろう。
なぜ、もっと早く気づかなかったのか。
なぜ、もっと早く夫を病院に連れていかなかったのか。
なぜ、夫の手術が決まった日に
東京から戻らなかったのか。

一度目の手術を
名古屋の病院で受けていたら
もっときれいに腫瘍は取り除けたのではないか。

なぜ、
再発したとき
もっと早く
小脳の症状だと気づかなかったのか

なぜ、
最後の日々
もっと
誤嚥性肺炎に注意深く対処しなかったのか。


どれだけ悔やんでも
悔やんでも
時間は戻らない。
わかっていても
激しい後悔と懺悔の思いが
激しく吹き荒れる。


どれだけ時間が過ぎても
この思いは
決して薄れることはない


この思いとともに
生きていくことが
私の残された人生なのだと思う。



いつまでも
悲しみにくれている自分を
「不甲斐ない」と思っていた。
周りの人は
「元気」に「明るく」生きることを期待している。


でも、
いつまでたっても
悲しみが薄れることも
後悔や自責の念が薄れることもない。


それが
あたりまえなのではないか、と
思うようになったのは
ごく最近のことだ。

いちばんたいせつな人をなくして
かなしまないでいられるだろうか。


かなしみも
後悔も
懺悔も
すべては
「乗り越えて」いくものでも
「癒される」べきもでもなく
「ともに生きていく」ものではないのか。


大切なひとをなくして
いまも
わたしには
生きる気力はない。
生きていく目的もない。
人生には
何の喜びもなく
期待もない。


ほしいものなどなにもない。
調理もできず
買い物もできない。


かなしみにどっぷりとつかりながら
それでも
夫とともに過ごした日々を
わたしだけは
大切に思い続けていたい。
夫を失った悲しみや
後悔や懺悔の思いは
「乗り越え」たり
「癒され」たりすべき
マイナスの感情ではなく
わたしとともに
生きていくべき
大切な「思い」なのだと思う。






買い物

2014-04-14 23:19:21 | 私の思い 3
たぶん
スーパーでのわたしは
泣きそうな顔をしているだろう


いまでも
夫が好きだったものは買えない。


メニューも思い出せない。


なにも買えるものがなくて

スーパーの中を

ぐるぐる、うろうろ。



きょうも
30分以上うろうろして
結局買えたのは
お惣菜だけだった。



会いたい。


変わってゆく・・・

2014-04-13 22:14:53 | 私の思い 3
家の中を「おひとりさま仕様」にして「終活」をすすめたいのだけれど
なかなか思うようにいかない。

今日は食器棚の中を片づけた。
夫が元気だったころ
お盆や連休にはたくさんのお客様がみえて
総勢30人を超えることも珍しくなかった。
だから
食器もたくさんある。
相次いで叔父や叔母がなくなり
すっかりさみしくなった我が家の親戚関係。
もう
こんなに食器が必要になることもないだろう。
そう思って
かなりの量を処分することにした。
夫が元気だったころ
よく使っていた食器も
わたしには大きすぎるので
処分することにした。
食器棚の奥から
夫がいつも仕事に持って行っていた保温水筒が出てきた。
手術後も
毎日、どこに行くにも持って行っていた。
自宅にいても
毎日水分補給にと飲んでいたので
毎朝、この水筒にお茶を入れるのが日課だった。
半身麻痺になってからは
片手では扱えなくなって
食器棚の奥にしまいこんだままだった。
あのころの夫の姿を思い出して
涙が止まらなかった。
でも、
どんなに泣いても夫は帰ってこない。
この水筒も処分することにした。
夫が元気だったころ
夕食によく使っていた電気鍋やホットプレートも
今は大きすぎて使うこともない。
いたんではいないけれど
4年も使っていないと
あちこち錆びて薄汚れて見える。
それらも処分することにした。


こうして
変わってゆくしかないのだろう。
夫がいたころとおなじにはできない。


変わりたくない
夫がいないことを認めたくない
夫がいたころと同じように暮らしたい
どんなにそう願っても
変わってゆくしかないのだ


桜が散り始めた。
胸が切り裂かれるような4年前の桜の記憶。
3年前の桜の記憶。
一昨年と昨年のことは覚えていない。


いつまで
こうして
生きていかなければならないんだろう

かなしみとともに

2014-04-07 22:38:46 | 私の思い 3
きょうは32回目の月命日


どれだけ思っても
夫のためにできることは
なにもない


かなしみは
いつまでたっても
うすれることはない


たいせつな
たいせつな人をなくして
もう
わたしには
なにもない


それでも
生きていかなければならないなら
わたしは
ずっと
かなしみとともにあるいていくしかない


なにを感じるこころもなくして
なんのよろこびも
希望もないけれど
それでも
生きていかなければならないなら



なにも・・・

2014-04-06 23:58:52 | 私の思い 3
先日、東京に住む従弟から
叔母の忌明けの供養として
カタログギフトが届いた。

この従弟の父は
私の父の弟だった。
東京に住みながら
故郷への思いが強く
毎年、夏には帰省して
我が家にも必ず立ち寄られた。

父の実家はお寺だったが
次男である父には
宗教心はなかった。
三男である
この叔父の宗教心から
私は大きな影響を受けた。

学生時代
夏休みに
この叔父の家に「下宿」して
バイトしたことがあった。
初めての東京暮らしだった。
その時も
叔父の世界観から
ずいぶんと影響を受けた。

叔父が亡くなった時は
まだ夫が元気だった。
どうしても
葬儀に参列したいと願う私のために
夫は休みを取って
東京まで連れて行ってくれた。
葬儀の間は
娘を東京タワーに連れて行ったりして
子守をしていてくれた。

今回は
東京までは行けなくて
香典だけを送った。




そのカタログを見ていて
つくづく思った。



もう、
わたしには
なにも
ほしいものは
ないのだと



何度
カタログを見ても
なにも
ほしいものが
ないのだ



もう
この世で
ほしいものなど
なにもないのだと
思い知らされた







夫とともに
病と闘った
すべてのエネルギーは
そのときに使い果たしたのだろう