もうすぐ5月の連休がやってくる。
4年前のこの日、
私は娘とともにまだ東京の病院にいた。
夫は手術の後
放射線治療を受け始めていた。
テモダールも服用していた。
3年前のこの日、
夫と私は名古屋の病院にいた。
ノバリスという
ピンポイントの放射線治療に一縷の望みを託して。
そして
連休明けには
車いすで退院することが決まっており
介護保険の手続きや
自宅の改装など、忙しく過ごしていた。
連休中には二度の外泊も計画されていた。
どれだけ悔やんだことだろう。
なぜ、もっと早く気づかなかったのか。
なぜ、もっと早く夫を病院に連れていかなかったのか。
なぜ、夫の手術が決まった日に
東京から戻らなかったのか。
一度目の手術を
名古屋の病院で受けていたら
もっときれいに腫瘍は取り除けたのではないか。
なぜ、
再発したとき
もっと早く
小脳の症状だと気づかなかったのか
なぜ、
最後の日々
もっと
誤嚥性肺炎に注意深く対処しなかったのか。
どれだけ悔やんでも
悔やんでも
時間は戻らない。
わかっていても
激しい後悔と懺悔の思いが
激しく吹き荒れる。
どれだけ時間が過ぎても
この思いは
決して薄れることはない
この思いとともに
生きていくことが
私の残された人生なのだと思う。
いつまでも
悲しみにくれている自分を
「不甲斐ない」と思っていた。
周りの人は
「元気」に「明るく」生きることを期待している。
でも、
いつまでたっても
悲しみが薄れることも
後悔や自責の念が薄れることもない。
それが
あたりまえなのではないか、と
思うようになったのは
ごく最近のことだ。
いちばんたいせつな人をなくして
かなしまないでいられるだろうか。
かなしみも
後悔も
懺悔も
すべては
「乗り越えて」いくものでも
「癒される」べきもでもなく
「ともに生きていく」ものではないのか。
大切なひとをなくして
いまも
わたしには
生きる気力はない。
生きていく目的もない。
人生には
何の喜びもなく
期待もない。
ほしいものなどなにもない。
調理もできず
買い物もできない。
かなしみにどっぷりとつかりながら
それでも
夫とともに過ごした日々を
わたしだけは
大切に思い続けていたい。
夫を失った悲しみや
後悔や懺悔の思いは
「乗り越え」たり
「癒され」たりすべき
マイナスの感情ではなく
わたしとともに
生きていくべき
大切な「思い」なのだと思う。
4年前のこの日、
私は娘とともにまだ東京の病院にいた。
夫は手術の後
放射線治療を受け始めていた。
テモダールも服用していた。
3年前のこの日、
夫と私は名古屋の病院にいた。
ノバリスという
ピンポイントの放射線治療に一縷の望みを託して。
そして
連休明けには
車いすで退院することが決まっており
介護保険の手続きや
自宅の改装など、忙しく過ごしていた。
連休中には二度の外泊も計画されていた。
どれだけ悔やんだことだろう。
なぜ、もっと早く気づかなかったのか。
なぜ、もっと早く夫を病院に連れていかなかったのか。
なぜ、夫の手術が決まった日に
東京から戻らなかったのか。
一度目の手術を
名古屋の病院で受けていたら
もっときれいに腫瘍は取り除けたのではないか。
なぜ、
再発したとき
もっと早く
小脳の症状だと気づかなかったのか
なぜ、
最後の日々
もっと
誤嚥性肺炎に注意深く対処しなかったのか。
どれだけ悔やんでも
悔やんでも
時間は戻らない。
わかっていても
激しい後悔と懺悔の思いが
激しく吹き荒れる。
どれだけ時間が過ぎても
この思いは
決して薄れることはない
この思いとともに
生きていくことが
私の残された人生なのだと思う。
いつまでも
悲しみにくれている自分を
「不甲斐ない」と思っていた。
周りの人は
「元気」に「明るく」生きることを期待している。
でも、
いつまでたっても
悲しみが薄れることも
後悔や自責の念が薄れることもない。
それが
あたりまえなのではないか、と
思うようになったのは
ごく最近のことだ。
いちばんたいせつな人をなくして
かなしまないでいられるだろうか。
かなしみも
後悔も
懺悔も
すべては
「乗り越えて」いくものでも
「癒される」べきもでもなく
「ともに生きていく」ものではないのか。
大切なひとをなくして
いまも
わたしには
生きる気力はない。
生きていく目的もない。
人生には
何の喜びもなく
期待もない。
ほしいものなどなにもない。
調理もできず
買い物もできない。
かなしみにどっぷりとつかりながら
それでも
夫とともに過ごした日々を
わたしだけは
大切に思い続けていたい。
夫を失った悲しみや
後悔や懺悔の思いは
「乗り越え」たり
「癒され」たりすべき
マイナスの感情ではなく
わたしとともに
生きていくべき
大切な「思い」なのだと思う。