各所でiPadが大人気?のようだ。アゴラでもいくつか記事が上がっていて、
(渡部さんはもうアップルのツァラトゥストラ状態だ)
マーケティングがご専門の大西宏氏のコラムでも取り上げられている。
さてこのiPadだが僕自身今の所勉強不足なためか魅力がよく解らない。
ハードとして技術的に見るべきものは殆どないし、無線web環境は規制のせいでイマイチなため
日本中どこでも快適ネットライフ、という訳にもいかない。
そもそも下敷きサイズなので折りたためるネットブック(タブレット)と比べても
モビリティが良い訳でもなく、表面のプラスティックはかなり傷が付きそうな感じがする。
(appleはCube型のPCをキズだらけのまま売った過去があるのでその辺も今ひとつ信用ならない)
ついでに厚さも取っ手も無いので落としそうで怖い。
持ち運ばないとなるとスペックやコスト、拡張性などはデスクトップに及ばないので、
据え置きのPCを持っている人にはサブノートみたいな位置づけになるのだろうか。
少なくとも先に紹介した渡部氏が言っているような使い方は
インターフェースの洗練度という観点を除いて言うならフツウのノートブックでも十分出来る。
そう考えるとiPadはコンピュータ(の延長)としての魅力は乏しいように思う。
やはりアップルの提供するiTuneを含めたプラットフォームが重要なのだろう。
特に大西氏が言うように電子書籍に関しては大きな改革だと思う。
彼が言うようにSonyやgoogleも本気でappleと勝負しにくるだろうし、その点は楽しみだ。
ただもう既に電子書籍の地下化は凄い勢い進行しており、
”自炊”しちゃってるユーザーは少なからず存在している。
そういう人は多分ノートPCやPSPが既に電子書籍化しているだろう。
僕が一番疑問なのは、大西氏が言うところの
「紙の出版と印刷の書籍では絶対に出来なかったコンテンツが生まれ・・・」
といったような青写真だ。同じような事を言っている人は結構多いが
iPadのコンテンツと現在進行形で量産されまくっている
web上のコンテンツの明確な違いがイマイチ僕には良く解らない。
自費出版したいような人はblogやホームページ、あるいは
有料のメルマガなどを既にやっている方が多いように思う。
どうにも僕にはappleが示すiPadを「こうやって使ってくれ」というスタイルが
iPadでしか出来ない代わりの利かないものだとは思えない。
なので旧式の据え置きデスクトップがメディアセンターな僕に、
ノーパソじゃ絶対無理だけどiPadならイケてるこんな使い方、
みたいなのを知っている方はご教示して頂けると嬉しいです。
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確かにいいものなのは間違いないし、欲しくもあるのだが。
ノートブックじゃ絶対無理だけどiPadでは出来ることの一つに女の子にキャーすごーいって言わせることができる。
しかしそれだと全メーカーのプロダクトは同一のものとみなせる、という結論になるが、現実にはそうではない。
現実のプロダクトはデザインや製品をとりまくコンテキスト等が最も重要なのであり、「ものそのもの」が重要であるのではない。
そこを理解できないで「製品の本質は機能である」と誤解しているのが日本の技術者が市場をとれない根本原因だと思う。
キャーすごい的ステータスはマーケティングとしては大事だから、
そこを掴んでいるという事は(企業的には)もう成功しているに等しいんだろうね。
アップル信者は沢山いるんだし。でもやっぱり僕にはまだ値段に見合わない玩具に見える。
>mtblue
同意です。もうハードの性能を不要に上げまくっても僕みたいなパンピーは使いこなせません。
多分今後コンピュータや家電はイケてる「スタイル」を提供できるかどうかがますます肝になるでしょう。
Sonyはそういうのが得意だったんでgoogle連合に期待。
>そう考えるとiPadはコンピュータ(の延長)としての魅力は乏しいように思う。
それは当然だと思いますよ。そのような製品として作られているわけですから。
機能に関しては意図的に絞られてるわけで、当然のことながら普通のノートPCやデスクトップPCには劣ります。
それでは、だからといって意味が無いかというと、決してそんなことはありません。
何故かというと、パソコンの利用に関しては、多くの場合その機能や性能が不足しているのではなく、むしろオーバースペック気味なのであり、最大のボトルネックはユーザーインターフェースにあるのだと思います。そして、トータルでのパーフォーマンスの向上に最も貢献するのは、ボトルネック(律速段階)の改善であって、決してピーク値(最大速度)の向上ではありません。
つまり、もはやコンピュータの利用に関しては、コンピュータ自身ではなくて人間が最大のボトルネックだということではないでしょうか。ですからそこを改善するUIの工夫が大きな意味を持つのだと思います。
mtblueさんのおっしゃる「製品の本質は機能であると誤解しているのが日本の技術者が市場をとれない根本原因だ」という御指摘に、私は以上のような観点から賛成いたします。
道具というのはそういうものではないでしょうか。ノートPCの機種選択でもキーボードの使いやすさが結構大事だったりしませんか? マウスでも万年筆でもヒゲ剃り機でも自転車でも何でも。また場合によっては自動車よりも機能的に劣る自転車の方が良かったりする。そもそもMS-DOSやUNIXのCUIの時代から現在のようなGUIの時代へと移り変わってきたのも同様の理由でしょう。
なお、私は個人的にはiPadをクリップボードの置換えに使おうとしています。今まで仕事中には伝統的な板型のクリップボードを常に持ち歩いてToDo管理やメモ取りに使っていましたが、これがiPadに置き換われば、検索やメールチェックや資料の閲覧なども全て同じものでできてしまって便利でしょう。ノートPCでは機動性が足りませんし、iPodTouchやiPhoneでは小さすぎて不便です。
>マウスでも万年筆でもヒゲ剃り機でも自転車でも何でも。
これには確かに同意です。UIの重要性は、デジタルガジェットに於いてはとても高い。
ハードに限らずソフトウェアでも、例えばゲームの続編などでユーザーに最も
「変わった、進化した」と思わせるのはUIの変更だそうです。
iPadはあの中途半端な大きさが吉と出るか凶と出るかはビミョウな所ですが、
(個人的にはiPhone3つ横に並べた位が一番いいと思ってます)
appleが提供する以上の楽しみをユーザーが見つけそうな気がしますね。
仰るように今一番のボトルネックはデジタルと人間の壁であると思います。
以前PS3を評して「まだ僕らはボタンを押してる」と書きました。
今後は自然な身体の動きに準拠する(脳に従う)UIが必ず求められるようになるでしょうね。
まだまだデジタルは冷たすぎる。