尾崎光弘のコラム 本ときどき小さな旅

本を読むとそこに書いてある場所に旅したくなります。また旅をするとその場所についての本を読んでみたくなります。

伊庭 孝「英語削除の提案」(昭和八年二月)

2016-12-10 15:40:18 | 

 土曜日のブログは、川澄哲夫編『資料 日本英学史2 英語教育論争史』(大修館書店 一九七八)を読んでいます。前回(12/3)で、第七章「戦後の論争」の資料をおおよそ読み終えました。ほぼ一年間をかけて、第八章「根本からとらえなおす」を入れてたった二つ分の章を読んだことになります。おそろしいほどのゆっくりペースですが、毎週考えるべきテーマが自分の中から消失しないことが何よりの利点です。今回から、第五章「太平洋戦争と英語(一)」に入ります。時代は満州事変以後の昭和六~敗戦までの資料を読んでいきます。編者の川澄哲夫氏は、第五章の解説を以下のように書き始めています。

 

≪1 戦争への歩みと英語

 前の章(第四章「英語教師の反論」)で述べたように。昭和初期の英語教育存廃論争によって、昭和六年((一九三一)に、文部省は英語の授業時間数を削減するという措置をとるに至った。だが、それですべてが終ったわけではなく、英語教育にとっては最悪の事態が待ちかまえていたのである。

 昭和六年九月、満州事変が勃発した。いわゆる日中十五年戦争の始まりで、日本はどこまで続くかわからないぬかるみの中へ、足を一歩ふみ入れたのである。こうしてこの頃から日本は急速に軍国主義に傾いてゆく。この年、少年倶楽部』新年号には、田河水泡の「のらくろ二等兵」が登場して、子供たちの人気を集めた。子供のマンガまで軍国調となったのである。

 昭和七年(一九三二)になると、満州事変はますます広がり、一月には上海において、日本海軍の陸戦隊が中国軍と衝突している。一方国内では、右翼テロが続発し、井上準之助、団琢磨が暗殺され、五・一五事件が起って、首相犬養毅が陸海軍将校らに射殺された。

 昭和八年(一九三三)は、もっと暗く、重苦しい年であった。右翼テロは一応収まったが、左翼への弾圧は、大学自治への圧迫となり、瀧川事件が起った。日本が国際連盟を脱退し、国際的に孤立の道を歩みだしたのもこの年である。≫(前掲書 五一一頁)

 

 この年昭和八年、『文芸春秋』二月号で、伊庭孝は「日本の教育課程の中から、英語を削除すべし」という提案をしました。伊庭孝[1887~1937]は、大正~昭和初期に劇作家・演出家・音楽評論家で活躍した人物だと思われます。一読してこれまで多く見て来た大学人の英語教育論とは異なり、どこか野性的な議論です。今回はこれを紹介します。

 

 ≪

暮れの東京朝日の学芸欄に、私は外国語の力の必要なことを力説したのだが、今は、それとは正反対に日本の教育過程の中から、英語(勿論他の外国語も)削除すべしという提案をさせてもらう。是は。両方説が互いに矛盾している様に思われるが、決してそうではないのである。

 勿論、英語を辞めろという説は珍しいものではない。今までにも随分あったし、又、これから先もあるのであろう。しかし、私には、偏狭な国粋主義からそういうのではない。英語は大切なものだから、学校の正課以外にせよというのである。(中略)

 そうすると、小学校六箇年、中学三年、予科二年、大学二年、都合十三箇年。満六歳で入学して、数え年二十で大学の卒業が出来る。

 英語の必要不必要は別として、其の国の言葉だけで、最高学府が通れないという事は、奇怪至極な事である。学問の独立という事は第一に其の国語による学問の独立でなくてはならぬ。外国語の知識が、日本に於ては、立身出世の最大要件の一つになるなどという事は、独立国の態面上・・・などと、政治家のような口吻をもって云ふまでもない事なのだが、是が、平然と、恰(アタカ)も当然であるかの様に蹂躙されているのだから、我が国の教育制度ぐらい恐ろしいものはないのである。

 一体これほどまで大事がる外国語が、果たしてどれだけ日本の大学卒業生によって活用されているのか、中学の卒業生は無論の事、大学の卒業生でも、丸で外国語なんか出来やしないではないか。○、○○○○○一パーセント位のものが、之(コレ)を活用しているに過ぎない。何が無駄だといって、是ぐらい無駄な事が世の中にあるだろうか。

 大体、語学は、国語によって学問を修めたものが、更に深奥を究める為に、手段として学習するのと、直接顔国との関係事業に従事する者が、必要上学習するのと、直接外国との関係事業に従事する者が、必要上学習するのと二つの場合しかない。(社交上趣味としてやるのは例外として)その人々にとっては、外国語は、武士に剣術の必要なる如く必要なるものであって、謂わば護身術である。(但し現在の日本の外交官の中には、語学の堪能な者は、暁の星の如く僅少である!)語学は「心得」であって、学問ではない。現在、外国語の達者な人、外国語の知識を利用して、社会に活躍している人は、外国語を学校で習ったノではなくて、大部分は「自分で」やったのである。学校の正課に、語学があろうが無かろうが、その人々はどうしてもやり上げたのである。生齧りの幾百万の大学卒業生の不用の英語よりも、たった一人の確実な自在な英語の方が、国家的に見て役に立つのである。学校でやる外国語は、柔道でいえば、茶帯程度のものである。柔道を活用するには、黒帯も少なくとも三段以上にならねば不覚を取るものである。

 外国語は、二十歳以後になって結構出来るものである。必要にせまって、ミッチリやった方が、強制教育より遙かに効果がある。外国語練習の諸機関は、補助教育機関として、完備する事は必要である。外国語学校は大いにあってよろしい。或は小学校から大学までの課程を全然外国語でやる系統教育機関もあってよい。外国語を一般の教育系統から削除すれば、却って実質的な、語学の達人が多く現われると思うのである。

 これによって、学生を子弟に持つ父兄は、学費の節約が出来る。政府は現在の経費で、多数の学生を収容出来る。徴兵に関する特典の問題も、全然之に触れずに解決出来る。大学程度の教育が、今日の中等教育と同じ期間に行われ、高等普通教育として実施される事になる。学生の思想問題も大部分は是によって解決する事が出来る。大体、廿歳を過ぎた学生が、ウロウロしている事がいけないのだ。≫(前掲書 五二五~七頁)

 

 伊庭の議論は、以前、第七章「戦後の論争」で読んだ加藤周一の「英語義務教育化批判」の文章とよく似ています。加藤によれば、大切な中学義務教育期間において効果の薄い英語科を義務化するのは反対であること、これは専門的にやらないとモノにならないからだと主張していました。こういう点は伊庭の議論と同じです。異なるのは加藤が、将来、英語をどうしても必要とする生徒にだけ選択制(あるいは特別な学校)で学ばせ、必要としていない他の大勢の生徒には、戦後民主主義の担い手としての、たとえば社会科教育などを充実させるべきだという趣旨でした。これに対して、伊庭の方はもっと先を行っています。学校教育から英語科を廃止し、その分の時間は教育期間の短縮化に求めよ、そうすれば小学校~大学卒業までの期間を短縮化できる。短縮化のメリットは、親が学費を節約できること、政府は同じ経費でヨリ多くの学生を募集できること、大学生の徴兵猶予も減らすことができること、そして最後に「学生の思想問題も大部分は是によって解決する事が出来る。大体、廿歳を過ぎた学生が、ウロウロしている事がいけないのだ」とヤケクソ気味に結んでいます。この伊庭の主張は、冒頭に「偏狭な国粋主義からそういうのではない」といいながら、やはり軍国主義の時代になって、一人でも多くの若い元気の良い皇国兵士が必要なことを言いたいのです。語るに落ちています。加藤周一による戦後の議論にも、戦後民主主義の時代から要請されるモチーフがハッキリ窺えます。すなわち、学校における英語教育の問題は、昭和という時代一つ取り上げても、変化する時代との深い結びつきを否定できないことが分かります。