尾崎光弘のコラム 本ときどき小さな旅

本を読むとそこに書いてある場所に旅したくなります。また旅をするとその場所についての本を読んでみたくなります。

コトワザに目覚める頃、科学が大好きだった

2017-08-18 05:55:39 | 

 今回は一九六五年の十月中に、庄司和晃が三浦つとむを訪ねて手渡した資料のうちの一つ(前回同様論文①)を読みます。「科学の論理形成にさおさすもの」で、副題は「科学の有効性・実践的課題をめぐる問題を理論化するための一資料」です。これは同年の八月十二日の日付がついており、私がいま取り組んでいる庄司の最初のコトワザ研究本『コトワザの論理と認識理論』(一九七〇)の第Ⅲ部「言語教育試論と小学生のコトワザ観」の第1章「言語教育と科学教育の周辺」の「付記」として再録されています。再録されたのは前掲書の出版時の一九七〇年です。その前書きにはこうあります。《ここ〔付記〕にとどめておく理由はこの論考メモが、わたしをしてコトワザの研究と三段階連関理論の構築へと向かわしめた、いわば結び目にあたるおぼえがきだからである。そしてここから、その後、どのようなプロセスを辿っていったについては、本書の「認識理論の創造とコトワザ論」〔前掲書第Ⅰ部〕の項に述べてある。》と書かれています。一九七〇年の時点でふりかえったとき、庄司はこの資料①を、コトワザ研究(と三段階連関理論の構築)へと向かわせた「結び目」だというのです。結び目の先はもちろんコトワザ研究以降を指します。ならば結び目の手前はなんでしょう。この疑問を覚えておきます。

 さっそく本文に入ると、庄司は冒頭をこう書き始めています。

板倉聖宣氏から、つぎのような意味のことをときおり耳にする。「君自身の生活行動をみたまえ。科学なんて役にたってるかナ。身辺雑事のことは、たいていが経験で間にあってるじゃないか。」と。

 庄司は板倉聖宣の指摘を「なるほどなるほど。そういえば」と事例をいくつか挙げたあと「ほとんど(役だって)ない(イヤ、マルッキリナイカナ)」と書いています。では、理科教育・科学教育はどうかと自問し、ほぼ肯定的な答えを列挙しています。ここで留意しておきたいことは、三浦つとむから助言を得る前に、すでに庄司は「身辺雑事のことはたいていが〔科学ではなく〕経験で間に合っている」ということを相応に合点していたということです。このあと、庄司は三浦つとむの『弁証法とはどういう科学か』(講談社 一九五五)の一節を引用しています。長いので、要点をかいつまん紹介します。五つあります。

⑴人生は未知の世界への旅行だ。何か道に迷わないための地図のようなものがないか。ある、それが人々の過去の経験だ。
⑵古くから、多数の経験より生まれ多数の経験によって確認された「生活の指針」として「諺や金言」が残されている。
⑶もっと科学的な手引や方法はないのか。科学者も問題解決には先輩たちも過去の経験から得られた方法を使うが、個別科学の方法を万能なものとしては使えない。
⑷しかし、いくつかの個別科学の方法には共通性がある。たとえば、物事の区別が一時的・相対的であることは自然・社会・精神を貫く普遍的法則性の一つであって、これを認識してあらゆる問題の解決に役立てることができる。〔これを弁証法と呼ぶ〕
⑸個々のバラバラな認識の結果を弁証法を使って概括し関連付け、また既知の対象の一面と未知の他面との間に弁証法的な関係があるだろうと予想して、これを道しるべとして未知の世界に踏み込んでいける。

 後半になるとなかなか抽象的で難しい物言いになりますが、庄司は弁証法を使って誰も解いた事のない大きな謎を解いてみたかったのかもしれません。それとも大好きな銭形平次のように難事件を次々と解決したかったのかも、です。当時三浦つとむの弁証法の本を読んで、こう思った青年は少なくなかったはずです。現実の小学校教師・庄司和晃の以下の受けとめに、このような夢を持った子供たちを育てたいという夢がなかったとは誰も否定できないでしょう。

ここには、問題を解決するときにタヨリになるもの、テビキになるものは何かということが、「経験」━「諺・金言」━「普遍的法則性・弁証法」という形でみごとに分析され、秩序だてて述べられている。/そして、ここから、一般的な原理・法則を教えるということは、どういう意味をもつのか、科学の論理を身につける重要性、科学・技術の諸成果が役にたつのはどういうばあいであるのか、などについて改めて考えさせられる。

 もうお分かりだと思います。庄司は当時、問題解決のためには何よりも科学、科学、科学だったのです。大変重視していたのです。たとえ、
<「経験」━「諺・金言」━「普遍的法則性・弁証法」>
という形に図式化しても、科学の素晴らしさはもう疑えないほどの立場にいたのです。仮説実験授業研究で大きな成果を出したことが根拠になっていたのでしょう。だから、冒頭で板倉聖宣の経験重視の指摘に同意しながらも、再び取り上げて

いつであったか、板倉氏は、つぎのようにも言い切ったことがある。「科学が必要になるのは、やりなおしのきかないとてつもなく大きい仕事をなしとげるときだ。」

と、こう言わせているのです。庄司は科学を「やり直しのきかない大きな仕事」に役立てるような大きな仕事がしたかったのかもしれません。

 さらに今西錦司の、探検とは科学的な裏付けによって挑戦することであって、その裏付けの少ないものは冒険と呼ばれて否定されがちだ。しかし探検から冒険的要素が消えていくのは忍びない。科学の裏付けによって成功の自信が持てるようになった探検をこそ冒険と呼びたい、こういう話にも庄司は当然惹かれます。科学に裏付けられた冒険的探検に向かう「精神」という言葉に、戦時中、陸軍少年戦車兵に憧れた少年時代を思い浮かべたかどうか。あるいは終戦間近「理科系の専門学校」といっていい海軍甲種飛行機練習生(第15期)だった経歴も参考になるかもしれない。庄司にとって科学は大きな魅力であったことは、もう間違いないことです。コトワザ教育への目覚め(結び目)直前のことです。



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