尾崎光弘のコラム 本ときどき小さな旅

本を読むとそこに書いてある場所に旅したくなります。また旅をするとその場所についての本を読んでみたくなります。

近世人は応声虫(おうせいちゅう)をよく知っていた

2017-03-07 14:00:38 | 

 今回から『「腹の虫」の研究──日本の心身観をさぐる』(長谷川雅雄、辻本裕成、ペトロ・クネヒト、美濃部重克四氏の共著 名古屋大学出版会 二〇一二)の本文を読んでいきます。以後この書物を『「腹の虫」の研究』と略称します。第1章は「言葉を発する「虫」─「応声虫」という奇病」で、四節からなります。第一節「「応声虫」の事例」、第二節「創作文芸にみる「応声虫」」、第三節「医書の「応声虫」論」、第四節「「応声虫」とは何か──精神医学的検討」です。今回は第一節の前半を紹介します。この書物ははなはだ情報が多く、選択するにも骨がおれそうですが、まず事例を三つよんで頂きたい。

 

≪[資料①] 元禄十六年の正月のこと、京都の油小路二条上ルに住む屏風屋七左衞門の息子で、十二歳になる長三郎は、急に発熱したものの、何日かの後には治(オサ)まったのだが、しかし突如、「腹中」から「物いふ声」が発せられるようになり、家中の者が驚いた。長三郎は何かを言うと、「腹の」内からまるで人が話すように声が返ってきて、そのつど言い争いになるのである。「薬禱(ヤクトウ)を尽し」たが効果はなかった。「菅玄際」という医師に診てもらったところ、こう言った。例の「腹中の声」が「其薬、用ゆべからず」といって強く拒んだ。それを見届け医師は、急いでその薬を飲ませたところ、次の日には「声」が弱まり、数日後には全く消えてしまった。長三郎が「厠(カワヤ)」にいった時、「肛門より一虫を下」したが、それは「形蜥蜴(トカゲのごとく、額に小角あり。走りてはたらく)という奇しき「虫」だった。(天野信景の随筆『塩尻』)」≫

≪[資料②] 油小路二条上ル町、屏風屋七右(衛)門と申候者世悴長三郎、年拾二才に成候由。(中略)十日計過(スギ)候て腹中之内より物を申出し、何事にても当人より先に返事仕(ツカマツリ)候。朝夕食時を本人とせり合(イ)申候。本人、「いや」と申候へば、腹中より、「くれよ。たべ可申(モウスベシ)」と申候。それともにひかへ候へば大熱出申候。色々悪口申候。本人、「腹中はり、いや」と申候へども、ぜひなく親共くわせ申候。(『元禄十五年 世間咄風聞集』)≫

≪[資料③] 京都油小路二条上る町、屏風屋長右衛門悴長三郎とて、十二歳になりし、当五月上旬より夥敷(オビタダシク)発熱し、中旬に至り腹中に腫物の口あきて、その口より、言使あざやかに、本人のことにしたがいてものをいひ、また食事、何によらずくらいけり。若(モシ)食過ぎていかがとて、押へて噉(クラワ)さざりければ、大熱おこり様々に悪口し、罵辱(バジョク)しめけり。(『元禄宝永珍話』)≫(以上は『「腹の虫」の研究』)

 

 私は上の事例を追いながら、あるアニメを思い出しました。『ど根性ガエル』の「平面ガエルのピョン吉」くんです。このアニメを見たときは世にも不思議な感じがしたものですが、この不思議さに惹かれて結構テレビは見ていたものです。さて、このような「応声虫」のどこに注目して読んでいけばいいのか。第1章の前文には以下のように書いてあります。前後が逆になりましたが引用しておきます。

 

≪江戸時代には、人が声を出すと、それに反応して体内の「虫」が言葉を発するという、不思議な病気が知られていた。その名を「応声虫」と言う。言葉を発するというのであるから、一人のなかに、主体とは異なる別の意思体が存在していることになる。「もう一つの声」を発するというのであるから、一人のなかに、主体とは異なる別の意思体が存在していることになる。「もう一つの声」を発するその意思体を、当時の人たちは「虫」と捉えていた。「虫であるからには、姿・形のある可視的な物体のはずである。実際、体内から排出された「応声虫」がどのような姿・形をしていたのか記した資料もある。擬人化される意思体としての側面と、可視的で物体的な側面とを合わせ持つものを、「虫」と見なしたことの意味が重要である。したがって「応声虫」は、わが国近世の「虫」観・「虫」像がどのようなものであったか知る上で、欠かせない考察対象となる。

 「応声虫」は、当時の医学書にその記載が見られるばかりではなく、随筆や読本(よみほん)などの文芸作品や、浄瑠璃・歌舞伎といった演劇作品にも、しばしば登場することから、広く人々の関心を惹いていたことが容易に想像される。「応声虫」は、当時の医学が認める疾病であったにもかかわらず、不思議なことにその具体的な事例を記述した江戸期の医書はほとんどないに等しい。むしろ医学の専門家ではない知識層によって書かれた随筆類に、その事例記載が見られる。このことは、「応声虫」が医学領域の疾病概念であると同時に、市井において話題性を獲得し、独自の広がりを見せたことを示している。つまり「応声虫」は、その発生がきわめて稀な病気でありながら、その病気のことを知っている人が非常に多くいたという点でも特異である。≫(前掲書 十一頁)

 

  応声虫の「虫」とは、「一人のなかに、主体とは異なる別の意思体」のことです。一人の中にいるもう一人の自分とはいったいだれのことなのか。どのように振舞うのかを追ってていきたいと思います。また応声虫は、「その発生がきわめて稀な病気でありながら、その病気のことを知っている人が非常に多くいたという点でも特異である」と書いてあるように、「ど根性ガエル」の発想のルーツは、近世の応声虫にあったのかもしれません。近世人は応声虫という奇病をよく知っていたようです。最後に、応声虫が「擬人化される意思体としての側面と、可視的で物体的な側面とを合わせ持つ」性格、また「医学領域の疾病概念であると同時に、市井において話題性を獲得し、独自の広がりを見せた」性格というふうに、共に性格の二重性を指摘してあることに興味を覚えます。ここには「虫」の中間的な性格を、つまり表象という認識段階を思いおこすからです。


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