尾崎光弘のコラム 本ときどき小さな旅

本を読むとそこに書いてある場所に旅したくなります。また旅をするとその場所についての本を読んでみたくなります。

近世民衆が支配者の「武威」に共感するとき

2017-03-06 15:40:21 | 

 前回(2/27)は、一八世紀になると、日朝双方が互いに有する「小中華意識」を強化させたために生じた事態について学びました。一つは、江戸での外交儀礼が困難になったこと(崔天宗殺害事件がおきた明和元年の朝鮮通信使を最後にその後は対馬での外交儀礼にとどまった)でした。また日本における「小中華意識」の強化の行方についても学びました。秀吉の朝鮮侵略を契機に成立したと見られる「武威」に偏した中華意識は、一八世紀になると「礼」を含みこんだ「武威」を有する意識へと変化します。この世界観を「日本型華夷意識」(a)と呼ぶならば、一八世紀後半には、ほかにも本居宣長系統の国学者たちに見られるような、天皇・朝廷存在を中心に据えて日本を説明しようとする世界観(b)、また、蘭学者や儒学者の中にみられた「華」と「夷」を相対的に区別し日本が即時的に中華であるということはない、とする発想(c)も登場し、「日本型華夷意識」は複数の世界観のひとすじにすぎないことを知りました。で、今回は、近世文芸の世界に確かめることができた、日本民衆の朝鮮人に対する優越意識はうえの(a)(b)(c)のどの世界観に含まれるのかを確かめようと思います。

 

≪一方、先に述べたように、民衆の対外観のなかにおいて、彼らが日本人であることの優越性を、たとえば、滅亡させられた国家を復興するために力を尽くす点(「国姓爺」)や、生まれてからこのかた見たこともない父の敵を討つために力を尽くす点(「唐人殺し」)に求めているところから類推するならば、これを「武威」への共感といってもよかろう。そうした「武威」への共感が存在するがゆえに、「母は日本人」であるほうが、父母ともに中国人であったり、父母ともに朝鮮人であったりするよりも優秀だというのである。つまり、ここには「武威」の存在を基軸にして、近世日本民衆は、日本人を他民族に優越していると判断している、ととらえてよい。

 とするならば、こうした世界観は、先に見た(a)(b)(c)三通りの支配者ないし支配のイデオローグたちの世界観のうち、(a)にいちばん親近性をもっていることは明らかであろう。したがって、民衆の世界観は容易に支配者(ここでは明らかに武家領主)の世界観に絡め取られてしまうことになる。(中略)

 ところで、徳川封建社会では治者と被治者とが確然と分離され、対立しているのであって、そこには国民意識の形成される余地はない、と断じたのは[丸山真男]であった。しかし、「外」に対するときの「内」、という意識の有様から見たときに、近世民衆は武家領主と自らを重ね合わせてしまうのであり、民衆の自己認識としての「日本」は、武家の「日本」でもあった。こうした点に、「国民」形成の下からの重ねあわせのきざしを見て取れよう。≫(池内敏『「唐人殺し」の世界──近世民衆の朝鮮認識』臨川選書 一九九九 一四五~六頁)

 

 近世文芸に見られた民衆の朝鮮人に対する優越意識は、支配者的な「武威」への共感と結びつくことによって、支配者(武家領主)の世界観(日本型華夷意識)に絡め取られてしまうことが述べられています。この近世日本の民衆が支配的な武家領主の世界観を自らのものとして重ね合わせてしまう構造において、後の「国民」形成の下からの重ねあわせのきざしが見て取れるというのです。「下からの重ねあわせ」という言葉を覚えておきたい。

ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 河盛好蔵「外国語の問題」(... | トップ | 近世人は応声虫(おうせいち... »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿

」カテゴリの最新記事

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL
  • 30日以上前の記事に対するトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • 送信元の記事内容が半角英数のみのトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • このブログへのリンクがない記事からのトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • ※ブログ管理者のみ、編集画面で設定の変更が可能です。