尾崎光弘のコラム 本ときどき小さな旅

本を読むとそこに書いてある場所に旅したくなります。また旅をするとその場所についての本を読んでみたくなります。

平賀源内の小説『風流志道軒伝』の新しさ

2017-07-10 22:51:27 | 

前回(7/3)は、日野龍夫氏の論文「近世文学に現われた異国像」の第三節「キリシタンと朝鮮国」を読み終えました。そこでは浄瑠璃『天竺徳兵衛郷鏡』(一七六三)の天竺徳兵衛の人物設定を通して<海外>の意味を問いました。当時の民衆にとって海外とは、権力者一般に対する「謀反願望」の「代行者」を象徴する空間であったことを知りました。この民衆の想像力は著者の言うように、刮目(かつもく)に値するけれども、異国を異界と同一視するような蒙昧な認識の産物でもありました。しかし、私にはどこか懐かしい想像に思えました。さて、今回から同論文の第四節「平賀源内のいいたかったこと」を読んでみます。ここでは平賀源内の小説『風流志道軒伝(ふうりゅうしどうけんでん)』(一七六三)が考察の対象になります。これは先の『天竺徳兵衛郷鏡』と同年に発表された文芸作品です。本草学の図譜の類ではありません。この翌年の一七六四(宝暦十四)年には、朝鮮通信使中官・崔天宗が大坂で殺害される事件が起きます。同時代なのです。話を戻すと、ではなぜ平賀源内なのでしょうか。著者によれば、「海外について民衆より各段に正確な情報に接していた蘭学者たちは、当然民衆とは異なる海外認識を抱いていた。それが文学に反映した唯一の例として」、平賀源内の小説『風流志道軒伝』をとりあげることが出来るからだ、と述べています。まず平賀源内のおおよその人となりと、この小説のどこが知識人の海外認識に繋がっていたのかを読んでいきましょう。

 

八代将軍吉宗のころから、幕府も諸藩も、財政立て直しのため、殖産興業に大いに意を用いるようになった。そうした気運に応えたのが、本草学(ほんぞうがく)という、植物学・動物学・鉱物学が未分化の、実用を旨とする自然観察の学問であった。吉宗がキリスト教関係以外の蘭書の輸入を解禁したのも、実用の学を奨励する意図からであり、本草学は西洋の科学を取り入れることによって精密になり、時代の要請を受けて発展した。

讃岐高松(さぬきたかまつ)藩の小吏の家に生れた平賀源内の、長崎留学などを通じて西洋の科学や文物の魅力に開眼し、持ち前の才気をもって本草学を応用した種々の事業に取り組んだものの、国益を増進しようという志が正当に評価されず、その身は山師(やまし)扱い、発明品は見世物扱いという世間の無理解の前にしだいに自暴自棄におちいり、最後は誤って人を殺して入獄中の安永八年(一七七九)十二月、五十二歳をもって病死するという、見事なまでに劇的な生涯の跡づけは、芳賀徹の名著『平賀源内』(朝日新聞社刊、一九八一年)に譲る。

『風流志道伝』は、源内が三十六歳のとき、まだ自分の未来に夢を抱いていたころに書いた作品である。江戸きっての盛り場の浅草奥山に小屋をかまえて人気を博していた深井志道軒という実在の講釈師を主人公に借りて、青年時代の志道軒こと深井浅之進が仙人から飛行自在の羽扇〔ウセン:鳥の羽で作った扇〕を授けられ、諸外国を遍歴して見聞を広めるという、遍歴譚の形を取る。遍歴譚は、近世小説にかぎっても、古くから行なわれてきた趣向であるが、源内以前は、地獄極楽を遍歴して因果の理を悟るとか、日本国内を色道(しきどう)修業に回るとかいう話にだいたい決まっていた。すなわち主人公に外国を遍歴させたところに、源内の着想の新しさがあった。

作中に源内が描き出した外国は、朝鮮・中国という実在の国を例外として、大人国・小人国・長脚国(ちょうきゃくこく)(足長の人種の国)・長臂国(ちょうひこく)(手長の人種の国)・穿胸国(せんきょうこく)(胸に穴のあいた人種の国)など、本章〔本論文〕冒頭で紹介した『和漢三才図会』や『増補華夷通商考』などに見えるお伽話のレベルの国々か、女護(にょご)が島(おんなばかりが住む島)のような古来の民間伝承のなかの国であって、オランダその他の西洋の国々ではない。しかし、これらの国々における深井浅之進の体験は、お伽話に終わってはおらず、後で見るように源内の知識人としての海外認識の反映したものとなっている。≫(前掲論文所収中央公論社版『日本の近世──世界史のなかの近世』第一巻 二八九~九一頁)

 

私は、源内のこの小説における着想の新しさが、「主人公に外国を遍歴させたところ」にあったことを知ること以上に、遍歴譚の形が、「源内以前は、地獄極楽を遍歴して因果の理を悟るとか、日本国内を色道(しきどう)修業に回るとかいう話にだいたい決まっていた」というくだりに深く肯いてしまいました。たしかにかつての遍歴譚はお伽話のようであり、形がきまっていることが多かったからこそ、源内の「主人公に外国を遍歴させ」という着想の意義がクローズアップされるのでしょう。いわゆる遍歴譚そのものを知らなければ源内の着想の意義さえ見えてこないはず。基礎知識が乏しい入門者には得がたい認識です。もう一つ、芳賀徹著『平賀源内』はたしかに面白い。まだ半分ほどしか読んでいないのですが、彼の「本草学」の図譜類の作りかた、解説文の特徴などから源内の人となり(生き方)を浮き彫りにしてゆく手法がなんとも興味深い。