◇幻想詩人YO=YO◇    □Visionary Poet Yo=Yo□

【死刑囚】エリク君が覚醒するような詩・死刑への依存と甘え なお著作権は放棄しておりません、無断転載はお断りいたします

 ◇ 5・15事件からの昭和史 ◇

2014-05-16 01:17:00 | 世相
中越国境で臨戦態勢だそうです。

私は今度こそほんとの戦争になるような気がしてなりません。

世界が動くのもほんののどかな五月の陽気な晴れた日でしょう。
そんな怖い足音が響いているのです。7月にはもっと怖い事態に
なっているかも知れません。

とりあえず、水と食料と乾電池を買っておきます。

 ◇ 絶望 ◇

2014-04-05 04:48:37 | 世相
ちょうど、15歳の頃、全身にアトピー性皮膚炎の湿疹が広がった。

四六時中、痒くて掻き毟っていて、皮膚からだらだらと炎症して

いつも血とリンパ液がにじみ出ていた。

朝起きると、布団のシーツから自分の体をはがす事から一日が始まった。

靴下を履いて寝ていたが、靴下を剥がすと、500円玉以上の大きさの湿疹が足の甲や

足首にいくつもあって、びりびりと音がした。

そして、強烈な痛みと共に、皮膚が剥がれた。

教会に行くと、病院に行かずに祈って治しなさいと牧師に言われたので、

言われるままに、牧師に祈ってもらっていた。

しかし、一向に病状は回復せず、病巣は体中にどんどん広がっていくのがわかった。

両親が見かねて、僕の様子の変化に気づいて、(気づいたのはだいぶ病気が進行したあとだ)

病院に行かされて、治療した。

その後も、一進一退で、お医者様からは、「もっと早く来ていたら、こんな事にはならなかったよ。」

と言われた。

僕の直らない皮膚病は、僕の思春期の十字架だ。この為に、人とセックスをするという

行為は、僕の思春期には一度も夢想だにできない行為になった。

たぶん、僕はこのまま誰ともセックスしなくて死んでいくんだろうと絶望していた。

そして、過食症と拒食症を繰り返し、ダイエットとリバウンドを何度も経験した。

家の中に引きこもるようになっていた。

 ◇ キリスト教と同性愛 ◇

2014-04-04 22:57:13 | 世相
今日は、自分の少年時代の体験を交えて書きたい。

僕は中学の頃、クラスメイトの女の子に誘われてキリスト教の教会に出入りしていた。

当時はそれが、おしゃれだったらしい。コーヒータイムと言って、若者同士が団欒して、

フォークソングもどきの歌を歌って、内容は賛美歌のようなフォークのような折衷だ。

友達ができたような気がした。

しかし、徐々に自分の中に、キリスト教の教義を受け入れられないものを発見する。

僕は男が好きだった。

心の中に女があるとか、男とセックスがしたいとか、そういうのではなく、ただ男が好きだった。

セックスは男とも、女ともむしろしたくない方だ。

ただ、自分の居場所はどこにあるのか、その当時はわからなかった。

ゲイのようなゲイでないような、もちろん、恋愛には興味があったが、

それは、生身の体を愛しているのではなく、観念的な恋愛だった。

ところで、キリスト教会では、クリスチャンであるなら、同性愛者ではないと言う言われ方をした。

もちろん、信仰を持っているなら、ゲイではなく、レズではなく、ノーマルな性を持っていると

言う大原則があるかのように言われていた。

ゲイを続けていて、クリスチャンでいることはできないし、クリスチャンでいるなら、ゲイではない

と、言う考え方を、教会の方々がされているのを知った。

その頃、僕は母から幼い頃受けていた性的な虐待を自分の中で咀嚼しきれていなかった。

感情の胃袋に、母性に対する憤りが渦巻いていた。

また、父の異常性格に悩まされ、父性に対する怨念を感じていた。

すなわち、僕は性では空中ブランコから投げ出された状態で、どこに飛びつけばいいのか?

僕にはわからない状況が、思春期だった。

ただ、このまま行ったら落下するな。とは予想が付いていた。

そんな僕にキリスト教会の牧師や牧師の息子、息子の嫁たちが確信犯的に僕を責めて、

僕は自殺一歩手前まで追い詰められていく。

ほとんど引きこもり状態を、2年近く過ごした。

もし、タイムマシーンがあるなら、あの頃に戻って、教会に火をつけて、牧師たちに仕返ししたい。

今では世界各国で、同性愛婚姻が認めれれている。その当時の教会では、「同性愛者は

神によって滅ぼされて、永遠に地獄で火に焼かれて滅びる。エイズは同性愛者を滅ぼすために

神が創った病気だ。」と言われていた。

 ◇ 三島由紀夫 「仮面の告白」 ◇

2014-03-29 02:07:29 | 世相
今日は三島由紀夫について語ろうと思います。

大学の先生に、三島由紀夫はゲイではなかったと言うようなことw
主張して笑われた事があります。

これは、当時はゲイ=同性愛=画一的なイメージ(男を愛する)みたいな一元的な
認識しかない時代だったので、僕の言っている事がわかってもらえるなら、
三島由紀夫はゲイであって、ゲイでなかったのです。

今ではマツコ=デラックスなど女装家と呼ばれるジャンルや
はるな愛と言った性同一性障害というジャンルなどさまざまな認知がされている
なか、三島はゲイというジャンルのゲイだったのか、疑問を感じています。

三島はゲイの主流ではなかったと思います。
たしかに、三島の作品の「仮面の告白」と言う処女作の主人公は
性の目覚めに近江という一風アウトロー的な転校生を登場させています。

これは、エヴァンゲリオンのカヲル君の登場に近いものを感じます。
ひ弱な主人公に対して、なにか反骨的な肉体を持つ近江と言う存在。

こういう作品を残しているから、ゲイの王道を行っているような錯覚に陥ってしまいますが、
三島自身の性生活を考えると、結婚もして、子供も産んで、
これは、いわゆる偽装ではなくて、ゲイとして子孫を残そうという行動を自ら選んでいる
点が、亜流なのかな?と感じられるのです。

って言うと、ゲイの主流ってなんだろう?もともとゲイとゲイ以外との境界って
なんだろう?って話になります。

そもそも、ゲイとゲイ以外で人間を2分割している事に、無意識に同意している
社会って怖くないですか?

そもそもゲイの定義ってなんだろうって話です。
男とセックスをする男?としか考えられないのでしょうか?

その認識が怖いのです。
人は人の数だけ心の持つ陰陽や色目が違い、三島の主張したかった(作品に
書かれた思春期の少年の心)は、三島の想像したものであって、三島自身の
ものとは、かけ離れているように、感じます。

これが、作家の持つ魅力なんでしょうが、日本人の多くは三島のトリックに
騙されているような気さえするのです。

こんな風に思うのです。
「三島由紀夫はゲイじゃなかった。」
「いやゲイだよ。」
「じゃあ、ゲイって何?」
そう言ったら、相手は返せないでしょう。

三島の抱えていて、世界中の読者の多くがだまさているのは、三島がゲイと名乗る事によって、告白していない仮面の中の隠された顔です。
三島は、(仮面の中の顔を隠している)から作家になって作品を書いているのです。

三島には、作家としてその作品の中に、ほんとはもっと大きな秘密を抱えている
作家だと思います。

僕が大学の時代に「三島はゲイじゃない。」と文学部の助教授に言いたかった事を
20年ぶりぐらいに考察しなおしています。

今の時代、多面的なゲイの主張がテレビ画面に飛び出しているので、三島の塗り壁のように
隠している顔が出てくるのです。

 ◇ 佐村河内守氏を叩くマスコミ ◇

2014-03-10 10:35:16 | 世相
マスコミは被災地の方にも迷惑をかけた、謝罪しろと言うが、

音楽が良い音楽であるかないかに、詐欺罪の謝罪は関係するのだろうか。

誰かがその音楽を聴いて感動したら、その感動は魂を揺さぶったからもたらされたものだ。

障害者を偽っていたとか、別の人が作曲していたなどの、事実が感動を消し去る事はない。

彼はプロデューサーそして、音楽を世に出すメッセンジャーとして機能していたのだから、

マスコミが騙された、被害者だ、憤りが収まらないと叩くのはおかしいのではないのか?

むしろ、後世に残るようなすばらしい、音楽を世に出してくれてありがとうと言うべきなのでは。



音楽雑誌や、著名音楽家と名乗る人が、現代のベートーベンと持ち上げたのはなんだったのだろう?

音楽の本質がすばらしいから、持ち上げたのではなかったのだろうか?

彼の音楽が100年後の世界に残っているとしたら、彼は音楽の「父」と呼ばれているだろう。

歴史のみが答えを知るだろう。