1995年2月、高橋 昭は、副塾長として腕をふるっていた。塾長は4月に他地区から転勤することになっていたため、実質現場での責任者は高橋がとっていた。
3月末の開講スタッフの人選も大詰めを迎えていた。
「核になる人物がほしい・・・」高橋は切実にそう思っていた。確かに前に勤めていた塾からの引き抜きで、ある程度のコマと戦力は確保できていたが、もう一枚、エースと呼べる存在がほしかった。
新聞広告やハローワークに求人の募集は出していたが、飛び込みで来る人材は、どれも危険人物の要素を含んでいた。
他塾で問題を起こした人、教員として不祥事を起こし懲戒免職となったもの・・・・・。学歴は優秀だが人間としての常識に欠けるもの・・・。
しかしもその中で高橋は、ある人物と出会う。宇野という男だった。
面接の第一印象から、洗練された雰囲気を出した宇野は、超難関の有名高校、国立大学卒業という当時の人材としてはかなりイレギュラーなタイプだった。
「なぜ、うちの塾を志望したのか?、あなたの学歴とその雰囲気なら、塾業界でなくてもたくさんの採用先があるでしょう」と高橋は言った。
宇野は静かに答えた。「私は学生時代から非常勤講師してこの業界で働いてきました。大学卒業後、違った業界に就職しましたが満足できませんでした。やはり、自分らは「教える」という仕事が天職だと思うのです」
その言葉には静かで不思議な力がこもっていた。
高橋と宇野はこの後、二人三脚でこの塾を飛躍的に発展させる・・・。しかし、二人の行く末は、天国と地獄に分かれている由をこの時は誰も知らなかった。
1995年3月、高橋の片腕として、宇野は華々しく塾業界に舞い戻ってきた。