桜さくらに歌われて/お箏三弦日記

皆さまこんにちは。しがない箏三弦の師匠のブログでございます。どうぞごゆっくりおくつろぎ下さい。

あのお姫様

2019-03-31 02:30:55 | 日記
もう結婚させてあげたらいいんじゃないですか?そんなにゴネるんだったら。
あの妹さんも誰とでも一緒になればいいんですよ。自分にとばっちりが来て、彼氏との結婚を反対されたくないから、布石にしようと思ってるんでしょうか。
2人ともこれっぽっちも自覚がないし、いくらとりつくろってもお転婆は隠しきれませんしね。もうどうでもさせたら?

見苦しいですね…

やっぱり親の躾って大事ですね。
人には宿命というものがあるのだし、家族もあるし、通るわがままと通らないわがままがあると思います。

ご長男のお嫁さんは、
公務はサボりっぱなし、静養は皆勤、とか書かれていましたし。

日本も落ちたものですね。

沢井比河流 先生 2

2019-03-31 00:32:28 | 日記
ジャーナル4月号の比河流先生の記事を拝読し、私も心の中にある事と似た意かもしれない、と、少し嬉しく思っています。

私は門人達には、偏らないで、スケールの大きい、「箏曲家」というより「音楽家」になってほしいと願っています。

箏曲は歴史が長いだけに、あらゆるジャンルを満遍なく勉強するのは、一生の時間では到底足りないと思います。

でも、出来るだけ色々勉強して、古曲しか出来ない、新曲しか出来ない、現代曲しか出来ない、という、枠の中におさまるようにはなってほしくないと願っています。一生求め続けてほしいです。

その為には古曲も新曲も現代曲も、それぞれしっかり勉強して、それからその中で得意分野を見出だしていけば良いと思っています。
一人前になるまでは曲の好き嫌いを作らず、あれが弾きたいこれが弾きたいもわかるけれど、そうではなく、与えられた曲を見つめて、粛々と勉強して、ものにしていく事が肝心だと思います。あれこれ弾き散らかすのは私は好きではないので…。時間の無駄だし、我流で変なくせがついたら後で困るのは本人だし。

ジャーナルの記事、最後に、「聴く人がもっと増えないと広がらないと思います。」
とありました。同感です。お箏を知らない人の前で弾く事が、意義ある事だと思います。

もっとたくさんの業界人が、もっともっと人前で弾けば、違って来るのではないかと思いますが、それは難しい事なのでしょうか?
それは資格を頂いた人のつとめではあるまいか?
人が減って行く事を何とも感じないんですね…私には理解出来ません。

まあそれもその人の生き方なのでしょう。

今年の11月16日に松山公演があるそうです。お正月の総会で聞いて、皆に言わねばならないと思いながら忘れていました。まだ先だからと思い。

地方でトップが演奏するというのは有り難いチャンスだと思います。皆を連れて行かねば。楽しみです。(^_^)

沢井比河流 先生

2019-03-30 23:38:30 | 日記
私はかなり昔から沢井比河流 先生のファンです。

楽器をする人は、その楽器やジャンルだけでなく、自分の音楽の根幹となる音楽を持っているのではないかと思います。クラシックであったりジャズであったり、シャンソン、R&B等。

私の根幹はヘビメタです。v(^^)
お箏をしていた為、演奏する側にはなれませんでしたが、ひたすら聴きました。ベンチャーズに始まり、キッスとか、知名度は低いかもしれませんが、当時16~18才のアメリカ人ガールズバンドの ランナウェイズ などに夢中になりましたね~…懐かしいザマス。
日本人では濱田マリ。同姓同名の舞台女優さんがいらっしゃいますが、別人です。
濱田マリさんを越える人は今後も現れないと思います。声楽出身のあの声量と歌唱力、尽き抜け度が違います。彼女に付いたバンドのドラマーもまたこれが上手い!バンドはドラムが良かったら演奏が良くなります。と思います。上手い人には上手い人が付くのです。

ひと頃人気を博した「安全地帯」も相当好きでした。安全地帯はヘビメタではありませんが、ヘビメタの匂いを感じていました。
曲が終わる時全てが終わる、命の昇華、演奏者も人間ですらない、単なる生命体、
私はヘビメタとはそういうもの、と理解しています。

比河流先生はおそらく今も現役のヘビメタのギタリストかと思います。それで比河流先生の曲のファンなのかと思います。

あの先生の曲は2章が良いと思います。どの曲も。私などはどの曲も2章は泣き叫んでいるように聴こえる。身の置き所もないほどの感情の高ぶり、影を引きずり、ヘビーな、2章にはそういうものを感じます。

ジャーナル4月号を読み、比河流先生のこれまでのご苦労を知り、心ない事を言う人に、世の常とはいえ憤りを感じました。

比河流先生はあのご風貌とはちょっと違って、お心のとても優しい、とてもあたたかいハートの御方です。

昔、宇部の小中学生コンクールの審査員でいらした頃、もう一人の審査員が、あろうことか表彰式の審査員講評で、壇上から、
「入賞した人はおめでとう、落ちた人はおあいにく様」
とニヤニヤ笑って言い放った、信じられない人間失格の人がいました。

私は、こういう人は生きる資格はない、今すぐあの世に向かわれたら?と思い、あれほど人を憎いと感じたのも久しぶりでした。

その後比河流先生がマイクの前に立たれ、こうおっしゃったのです。
「私は皆さんの年の頃には皆さんほどは弾けませんでした。しかし続けていれば、少しは人に認めてもらえるようにもなりました。だから皆さんも、諦めずにこれからもどうぞ頑張って下さい。」

どうですか。

あの時は会場中の人々が救われたと思います。世の中は良い人ばかりじゃない、名の知られた人でありながら子ども達をあんな風に平気で踏みにじる外道もいるんです。それをこうして堂々と救ってくれる人もいる。

あの時の参加者は、入賞した子どもや親御さんまでも心に傷を負ったと思いますが、その後の比河流先生のあのお言葉は、きっと一生忘れられない宝になったと思います。お箏とは別の道に進んだとしても。

私は正派に属し、今日あるは正派のおかげですから、これからはその恩を返しながら生きねばなりません。正派の末席に位置する師匠や後継者を養成せねばなりません。あの時のように世の中は良い人ばかりじゃありませんから、後進も、思わぬ障害に当たったり、あの時みたいに外道にいわれない言葉を浴びせられる事もあるでしょう。そういう時、私はどうすれば良いのかも学びました。今でも有り難く思っています。

午後「ライアー」と「ディジュリドゥ」のライブ

2019-03-30 21:40:30 | 日記


午後、「ライアー」と「ディジュリドゥ」のライブに行って来ました。

「ディジュリドゥ」はよく耳にする民族楽器ですが、「ライアー」は初めて見ました。ハープのような形状ですが、全く違う楽器、という事でした。

また今日のライアーは常より大きく、世界的にも珍しいもの、という事でした。

ご主人様が写真展をされていて、その会期中の奥さまのライブでした。ご主人様はディジュリドゥも吹かれました。

しかしお2人、本当にご夫婦だろうかと思うほど生活感がなく、全然接点のないような、友達ですらないような、人と人、みたいな感じに見えましたが、

しかし演奏が始まると、あの一体感はまさにご夫婦、と納得しました。

私のハープの先生もいらしていました。キャメルのオーナーさんが、ライアー奏者の方に
「ハープの先生です。」
と紹介されていて、私はすぐ後ろにいたのですが、
「ハープの生徒です。」
と自己紹介しようと思っていたら、
「お箏の先生です。」
と紹介されて、正体がバレてしまいました。(^^)

世界にはあらゆる楽器があるものなんですね。