邦楽演奏会を聴くのは苦痛
これが世間の定説でしょう。
しかし、良いものは誰が聴いても良いと思うんです。
いつぞや東京で、古典曲ばかり20数曲続いた演奏会がありましたが、どれもすごく良かったです。中学生が食い入るように見つめて、会場から出てきませんでした。
結局は内容が良かったらいいんです。内容の良い演奏会が出来たらお客さんは来るし、飽きる事なく聴いてもらえると思います。
この当たり前の事はもうずっと叫ばれています。
なのに実現に結び付かない。
邦楽の世界の人は、趣味扱いして、専門家意識、プロ意識などはないのだろうと思います。確かに腕を上げるのは時間も労力もかかり、しんどいですから、そこまでしなくてもいいと思うのでしょうか。
それと、「審美」という言葉があります。辞書には「美醜を見分ける」とあります。この言葉には高校時代に出会いました。
確か新体操部の関係者から聞いたような気がします。
私の高校は当時新体操部が非常に優秀で、オリンピック選手も出ました。
その関係者から聞いたには、足に青あざがあったら減点される、という事でした。
私も部活していて、新体操部とは体育館でネットを挟んで隣で練習していたので、よく声が聞こえていました。指導の先生がメガホンで
「笑え!笑え!笑わんか!」
と怒号を飛ばしていました。
当時の新体操は顔の表情も点のうちだから、いつも明るい笑顔で演技しなければならないそうでした。
しかし選手達は練習が辛くて泣きながら演技をしていてるんです。涙で歪んだ顔を、必死に笑顔に作り替えていました。何でも全国レベルの一流になろうとすれば、並大抵ではないのですね。
あの頃から、「芸術は見た目も大事」と思うようになりました。
邦楽演奏会の「見た目」はどうでしょう。
着物をだらだらに着て、お太鼓の帯が楕円形みたいになり、おまけに斜めに歪んでいる。姿勢も歩き方もどうか、髪は前髪が目の下までかかり。
「審美」という言葉は「美醜を見分ける」という意味です。
私は、舞台に出る時は、着物は人に着せてもらいます。せめて。
弟子らには、演奏中は口角を上げるよう言います。
一生懸命になってくると、唇を尖らせてしまいがちです。そうすると口角が下がり、横着そうなブスの顔になります。
見た目は大事だから、それをよく言っています。口角を意識的に上げないと、うつむきがちに弾くのがお箏だから、なおさらそう見えてしまいます。
演奏ももちろん大事、内容が一番大事ですが、見た目も大事と思います。
私の一生、残りの時間ではどれほども出来なかろうと思いますが、出来るだけはするつもりです。邦楽演奏会を、苦痛ではなく、来て良かった、いいものが聴けた、と思ってもらえるように。