日々穏やかに・・・   

デジカメをバックに入れて、アッチぶらぶらコッチぶらぶら・・・癒されながら癒しの写真を撮っています!
 

次姉からの〝手紙〟7

2012年04月23日 | 暮らし
茨城へ疎開中の事を記しておきます。

戦火で焼け出されて、家族は田舎での生活を始めます。
私は五年生の夏休みから、母の実家に世話になっていました。
そこには私達の祖父母と叔父叔母が住んでいましたので、私はそれなりに可愛がって貰いました。良く手伝いました。家の掃除(拭き掃除・裏庭・前庭・風呂)、食事の仕度(現在の様な便利な道具はありません) 土間で薪を燃やし、煙たい思いをしながら料理をしたのを覚えています。

農作業は、麦踏・田畑の草取り・稲刈り。
煙草の葉を生産していましたので、これが又大変でした。
大人達が朝早く煙草の葉をカキに行き、荷車に大量に摘んで帰って来ます。それを家族全員で、葉っぱを一枚一枚縄に挟んでいきます。(5.6メートルの長さだったと思います)
それを庭いっぱいにひろげ、しっかり太陽に当て、葉っぱが茶色にカラカラになる迄数日間繰り返します(朝干し・夕かたづけ)。夕立が来そうになると、それはそれは大変でした。近所の人達が互いに手伝いました。
煙草の葉のはヤニがあり、煙草挟みをするときは、手先は真黒とヤニがつき、石けんで洗ってもなかなかきれいに落ちることはありません。
庭先の大きな木の下でムシロを広げ、一生懸命手伝いました(割り当てがありましたので)。
煙草の葉が干し上がってからが、又大変です。一枚一枚縄からはずし、又一枚一枚ていねいにシワをのばし、小さい束にまとめ、それを出荷します。
煙草の作業はとても大変でした。
幸ひ、私はいろいろなものに興味をもち、どんな作業でも特別つらいとは思いませんでした。