新型出生前診断が始まったようです。
どんな子でも受け入れるというのが、親としての基本でしょうが、
そう簡単に思えないのも、人間だからこその気持ちなんだと思います。
ある産婦人科の先生のブログが好きで読んでいます。
今回の診断では、ダウン症しかわからないそうで
ダウン症しかわからない検査を、なんのためにするんだ・・・とつぶやきつつ
(染色体に異常がなくても生まれついての病気っていうのはありますが、それはこの検査ではわからないから)
自分のお腹から出る子供なんだから、
ましてや望んで妊娠したなら、どんな結果も自分の責任。
(「ダウン症だと幸せになれない」という言い訳をする親に対して)
子供の幸せは子供のもの。
親の方が幸せにしてあげる自信がないだけ。
そんな覚悟で子ども持つなら、どんな子だって守ってあげられない。
そんな風におっしゃっていました。
彼女の説は医学的な見地からも、人間的な思考からも、
確かに正しいし、間違っていないと思うのです。
でも、少なくとも私は100%そうですね~~と共感はできずにいます。
生まれてきた子に障害があると分かったら、それは受け入れていくと思います。
覚悟を決めて生きていくしかないから。
現実の中で、どうやってこの子を幸せにしてあげられるかを必死で考えるでしょう。
でも、生まれる前に障害があるとわかってしまったら
それを受け入れるかどうか、今は判断できません。
自信がない・・・そういって処置してしまう人を非難はできないです。
なまじ診断技術が発達してしまって、
知らなくてもいいことまで知ってしまえるようになったから、
かえって辛い選択を迫られることになるのでしょう。
障害がある子を必死で守りながら生きていく人を身近に知っています。
彼らの子育ては、確かに大変だけれど、
辛いことばかりじゃないだろうし、
障害のある子を中心に、幸せな生活を営んでいることもわかっています。
それでも、いえ、知っているからこそ、
避けられる困難な道ならば、避けていきたいと思うのも人間なんじゃないでしょうか。
親になって思うことですが、
子どもが幸せならそれでいいかな~~って思うこと多いです。
でもそれは子ども自身が自分の生き方を決められる場合の話。
“本人が納得する生き方ならそれでいい”と諦めもつくわけです。
けれど障害のある子は、どうしても誰か他人の手を借りて生きていくことになります。
親が生きている間は、その手は親の手になることが多いですが、
子どもは、親が死んだ後も生きていかなければならないわけで。
その子の兄弟の負担になったり、施設に預けたりすることが
本人納得のことなのか、それを幸せと感じているのかは
甚だ疑問となるわけで。。。。
“障害があると幸せになれないかも”と心配する親の気持ちも理解できます。
まぁ、いろんな意見があるんだろうな・・・とは思います。
今も、検査結果を前に悩んでいる夫婦が、きっといらっしゃるわけで。。。。
私はもう子どもを生める年齢ではないので、
過酷な選択を迫られることはありませんが、
どんな選択をし、どんな結果をしたとしても、
心にわだかまりを残すこの診断が、本当に人々の役に立つのか
ちょっと疑問に思っています。