続編をお伝え致します
坑道を出た後は「鋳銭座」を見学。 「鋳銭座」とは江戸時代、銭貨の鋳造・発行を行った機関。
天保銭とは、江戸時代末期から明治にかけて日本で流通した銭貨。
寛永通宝(1文銭)は、日本の江戸時代を通じて広く流通した銭貨。
時代劇で銭形平次がよく投げたお金(笑)寛永13年(1636年)に創鋳、幕末まで鋳造されたそうです。
先程の寛永通宝で足尾で作られた寛永通宝には裏に(足)の字が刻まれ足字銭と呼ばれています。
こちらが寛永通宝の足字銭。
寛永通宝(1文銭)が4000枚で1両分。 1両は当時でおよそ10万円。
財布に入りません(笑)
現在のお金も展示してありました 500円札が懐かしいです(笑)
パネルの前で記念撮影
日付が見えないので左に移動してもらったら、「日光」と「足」の文字が見えず
今度はパネルの後ろに移動してもらおうとしたら、怒られてしまいました
足尾銅山を後にして、草木ダムへ移動
これにてアップが終了です。
レオのブログにお付き合い頂きありがとうございました
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昔は、こうやって作られていたんですね!
500円札、めっちゃ使ってたなぁ~
ほんと懐かしい!
2000円札もありましたよね~
次にお札に印刷される偉人は誰になるのかな。。
レオ君、モデルさんお疲れ様♪
モデルは大変なのよね~ふふっ
(#^.^#)☆
コメントありがとうございます
昔のお金の作り方を知って勉強になりました
500円札も2000円札も懐かしいですよね
次のお札に登場する人物も気になりますよね。
パネル前での記念写真
最初からパネルの後ろで撮れば良かったみたいです(笑)
レオに怒られてしまいました
いつも応援ありがとうございます
そう言えば弐千札っていつの間にか
消えてしまったよね(笑)
あれは本当に使いにくかった。。
パネル前でのおさしん~♬
笑顔だったレオくんも少々ご立腹だったのかな^^
☆
コメントありがとうございます
足尾銅山で採掘した銅でお金が作られていたりと、
色々と知る事が出来ました
二千円札、ほとんど流通しなかったですよね
中途半端で使いづらかったですね
無理して新たに紙幣を発行しなくても良かった気がしますよね。
パネル前でのレオ、徐々にお顔の表情で分かるように(笑)
最後は怒られてしまいました
いつも応援ありがとうございます
今日は出かけてきますので
応援のみで失礼させていただきます。
いつも、ありがとうございます。
☆彡応援デス
お友達が、ダム巡りしています!
ダムのカード?を集めてるそうです~
よく、あのダムは作りが素晴らしい!っと熱弁されますが。。
全く理解できない私です(^_^.) スマン~
(#^.^#)☆
でも見ると、何だか落ち着きます~
コメントありがとうございます
今日はお出掛けされたのですね
お忙しい中ありがとうございます。
いつも応援ありがとうございます
こんばんは
私も今まで知らなかったのですが
ダムカードがあるみたいですよね~。
マニアには人気があるのですね
今夜は雷がゴロゴロ鳴ってます
いつも応援ありがとうございます