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[広い草原にベンチが二つあれば]
広い草原にベンチが二つあれば、ぼくはその一つに腰を下ろし、もう一つのベンチには、ショルダーバックを置くだろう。バッグから駅で買ってきた駅弁を取り出して開く。
目敏く、アブ、蜂、蝶、その他、昆虫類が見つけてやってくる。彼らは羽音をうならせて、ぼくの周りを飛び回る。それを見て、小鳥が飛んでくる。その鳥を狙って、上空に鳶が輪を描きはじめる。小鳥はそれを警戒しつつも、ぼくの傍を離れない。
その小鳥にぼくは弁当の飯粒を落としてやる。小鳥はあたりに注意を配りながら、ついばむ。それを見てリスも顔を出す。別の種類の鳥や小動物も来た。
ぼくの周りにはさまざまな生きものが寄ってきて、コミュニティーを形成する。
そんな中にあって、ぼくは孤独だ。ことばを発しても通じないからだ。しかしぼくは、人とのそんな交わりに厭き厭きして、自然の草原に逃げ出してきたのではなかったか。
人間の中でことばは話せても、意思の疎通ははかれなかった。いくら話しても、お互いに根本からの理解はなかった。
ぼくは原点を振り返って、孤独の中身について考える。そうだ、これだ。孤独の原因はこれだ。周囲に深い悩みに通じているものがいないからだ。そこに思い至った。
ぼくは携帯で神父を呼び出した。すぐにも、そうしないではいられなかった。苦しみは突然のように襲ってくる。
ぼくは神父に向かって、今おちいっている心境を包み隠さずに話す。
ぼくのことばを呑み込んでいった神父が、もごもご語るのが耳に入ってきた。
「あなたの弁当から、もっとたくさんのご飯を小鳥たちに与えなさい」
何とレベルの低いことを言うのかと、ぼくは自分の耳を疑った。神父のことばは続く。「そうしてあなたの行いを通して、あなたの苦しみを天に聞き届けてもらいなさい」
神父は確信に満ちた口調で、そう言った。
「本気かよ」
ぼくは携帯を押さえてそう呟く。けれどもたった今、突然おそってきた魂の飢え渇きには、そうするしかないのかと思うと、割り箸に飯粒を山ほどつまんで、草原にばら蒔いた。
多くの小鳥たちが降りてきて、ぼくの顔を見ながらついばみはじめた。リスも寄ってきて、粘つくものに苦心しながら、双の手に飯粒を持って、頬張りはじめる。
はるか上空に鳶の姿はあるが、人間がいる限り降りてこない。小動物たちは、それを知っているらしかった。ぼくは彼らにとって、いわば神のような存在だったのだ。
情況を話すために、ぼくは再び神父を呼び出す。
「ご飯あげた?」
「やりましたよ。言われたとおり」
「駅弁の折を叩いて、空っぽにしましたか」
「そこまではしてませんよ。だって意味ないじゃないですか。鳥はいくつもきているのに、僅かばかり、折についているのをやったからって」
「いや大きな意味があるのです。空にするということはね。野の生き物にいい行いをしたからといって、神様が認めてくれるわけじゃないんですね。問題は私物を残らずさらけ出しても、構わないというくらいに精神状態がなっているかどうかを、神様は見るんですよ」
「なら、言われたようにしてみますよ」
ぼくは音が神父に伝わるように、ひとまずベンチに置いた携帯の近くで、駅弁の折を、ぱんぱん、ぱんぱんと手で叩いた。その乱暴なやりかたに、不審を抱いた鳥たちが逃げていった。
しかしぼくが再び携帯を手にすると、小鳥達は戻ってきて、飯粒を探してついばみはじめた。ぼくの大掛かりな動作の割には、飯粒が少ないので、おかしい、おかしい、などと呟きながら探しているのだろう。
「やりました。今度こそ、完全に空にしました」
「それじゃ、あなたのお腹が不満だろうから、駅に着いたら新しい弁当を買いなさい。それを神様からのパンと思って食べなさい。葡萄酒はないでしょうから、お茶で我慢しなさい。強いお酒は駄目ですよ。まさか、ポケットウイスキーなんか持っていませんね」
なるほど具体的だ。神父のことばは、いつもこうだ。ぼくはバッグの脇に忍ばせてきたウイスキーの小瓶を取り出し、ベンチに置いた。
太陽熱で膨張し、爆発してはいけないので、蓋を取り、そこにウイスキーをなみなみと注いだ。
これを飲んで、リスや小鳥の酔っ払う光景が目に浮かんでくる。
ちょっと可哀想だが、まあいいや。ことばが通じないのだから、どうしようもない。
これを血と思え。お前たちのために、おれ様が流した血だ。
そう嘯いてベンチを離れると、駅に向って歩き出した。
了