波乱の海をぶじ目的地へ

現世は激しく変動しています。何があるか判りませんが、どうあろうと、そんな日々を貧しい言葉でなりと綴っていけたらと思います

糸トンボ

2012-06-28 20:12:40 | 掌編小説


 [糸トンボ]


 虫たちが朝日に目覚めて跳び出した。蛙もトカゲも朝日をきらきらまとわせて、跳び出した。まるで彼らが朝日になったみたい。みんな朝日の雫になって散らばった。雫は小さいけれど、一粒一粒の輝きは、朝日と変りない。
 それなら私にもなれるかもしれない。大きくはなれなかった私だけれど、小さくなら、なれるのでは。だって、家でも、学校でも、会社でも、いつだって小さくなれたのだから。別に苦労なんかしなくても、自然に具わっているみたいに、小さくなっていられたのだから。
 小さくなるのはいいけれど、ミミズにだけはなりたくない。道に這い出たミミズは、お日様に焼けて、ヒジキみたいになっている。かわいそうに。熱かったでしょう。いくら虫達が朝日に跳び出したって、あなたは出てきてはいけなかったのよ。土の中の生きものなんだもの。
 やっぱり、蛙とか雀がいい。雀だったら、子雀がいい。
 糸トンボもいい。羽に露をつけたみたいに透明に澄んで、葉に留まっている。一日中、ひと叢の草木に頼って、そこを永遠の住まいみたいにしている糸トンボがいいな、私は。

 私の周りをたくさんの水玉が回っている。まるで水槽に入れられたお魚の周囲を、水泡が漂っているみたい。
 そうだ、私は熱が出て、会社を休んだのだわ。それでベッドにいたんだっけ。でもそういつまでも寝てはいられない。明日からは、お茶汲み、お掃除、葉書や封書も出しに行かなきゃ。それに頼まれたコピー。お土産配り。これは吉井さんの新潟からのお土産でーす。これは国見さんがカナダからよ。
 水玉が多くなってきた。私は口をぱくぱくさせて、水泡を飲み込もうとする。パクパク、水玉の多い方へ、多い方へとさ迷っているうちに、表に来てしまった。
 紫陽花が咲いている! 小さな顔がいくつも集まって、まったくもう、うちの会社のグループ写真みたい。横っちょに、小さくいるのが私かな。
 でもこの花は賑やか過ぎる。私はもっとひっそりと咲いている花のほうがいい。
 目をさ迷わせていったら、あった。寂しげに咲いている額アジサイ。私には、賑やかな紫陽花より、この花のほうがいい。
 そう思ったとき、少ない花びらの一つに、すーっと糸トンボが来て留まった。ああ小さくて頼りない羽の動き。透明で、目を凝らさなければ見逃してしまいそうな、かすかな気配。小さな生きもの。糸トンボ。
 おまえは私なの。それとも、私がおまえ? 私好きよ、あなたが。

                               了





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藁(わら)の中のウサギ

2012-06-21 12:37:49 | 掌編小説

   ☆


 小学生の妹を連れて、枯野を歩いていた。間もなく日が暮れるので、心がせいていた。早く枯野を出て、バス停に辿り着かなければならない。
 野には大きな積藁がいくつも出来ていた。一つの積藁の前を通りかかったとき、妹が足を止めて、
「藁の中で子ウサギが死んでる」
 と言った。妹が言う前に、私も積藁の奥の方に子ウサギらしきものが、硬直 してこちら向きに坐っているのを見たような気がしたので、妹と一緒に藁の奥を覗いた。夕日が積藁の中を照らしていた。
 やっぱり子ウサギがこちら向きに坐っていた。どうしてこんなところに、子ウサギが? 不思議に思いつつ、そこを離れて歩き出した。ますます夕日が赤く輝いてきていたし、バスの時間が気になっていた。
「やっぱりウサちゃんでしょう。可哀想にね」
「:::」
 妹は子ウサギは死んでいると決めつけているが、私は腑に落ちないものがあって、黙っていた。子ウサギの強張った表情は、確かに死んでいるように見えたが、眼は開いていたし、耳もぴんと立っていたのだ。
 それに何より解せないのは、子ウサギが死んでいると言った妹自身、昨年交通事故で他界しているからだった。
 私は後ろ髪を引かれる思いに克てず、妹を夕日の原野に残したまま、積藁のところに戻ってみた。
 はたして子ウサギは硬直して、藁に背を凭せ掛けるようにして坐っていた。私が覗き込んでいると、俯き加減だった子ウサギの面が上がってきて、片方の耳が、ぴくりと折れ曲がったのだ。動いたということは、子ウサギは生きているのだ。私は妹に、
「子ウサギは死んでなんかいなかったぞ」
 と言ってやれるので嬉しくなっていた。
 子ウサギは、うっかり居眠りしてしまったところを、見咎められでもしたかのように、もう一度耳をぴんと立て、顎も完全に上がって私と正面から眼を合せた。鼻先がうっすらと赤かった。赤いのは夕日のせいだけではなく、ウサギの鼻の自然の赤さだった。
「おい、お前はどうしてそんなところに入り込んだんだよ」
 私は、早く妹に教えてやりたくて、足を速めた。
 妹は待たせた原野にはいなくて、不安になっていると、バスが来て、客が乗り込んでいるところだった。
 私が着く前にバスは走り出してしまった。
バスの窓が一つだけ開いていて、そこから顔を出して手を振っているのは妹だった。
「子ウサギは生きていたぞ!」
 私は必死に叫ぶが、手を振り続ける妹を乗せて、バスは行ってしまった。

                              了

流浪の男

2012-06-20 08:34:14 | 掌編小説



   ☆


 アフリカコンゴの南西端、大西洋に臨む草原。
 一羽のダチョウがおれを見るや、突然走り出した。
 長い脚を大股に開いて。
 走り出す前に、ちょっとばかり、目交ぜのようなことをぱしぱしっとやって、それから駆け出したのだ。
 ―今に見てな、あんた私に首っ丈になるわよ―
 てなぐあいに、色目をつかい、枯れた葉っぱをくっつけたみたいな、ほぼ丸出しのヒップを振って、助走はゆるやかに、背で待つふうに。
 おれはこんな女を、日本でうんざりするほど見せられてきたから、乗り気じゃなかった。いや、本当。
走ればおれが後を追ってくると、高を括って、コンゴの草原の砂埃を蹴立て、まっしぐらに走る。走る。
ところが彼女は、弾丸列車のように真っすぐ突っ走るだけで、おれに追われていると確信してか、振り返らないのだ。振り返るのは彼女のプライドが承知しないというだけじゃない。
走っているうちに、おれのことを忘れてしまったんだな。おれという男が彼女の中から脱落してしまったんだ。それはぎらつく南国の太陽のせいだ、なんていうつもりはまったくない。当のおれは彼女を追いかけなかったのだし、忘れられても無理はないけどね。
大きな図体の割りに、あの小さな頭では、記憶を長く保たせるなんてできないのだ。しかもあれほど猛スピードで驀進すれば、走るためにエネルギーを費消してしまって、記憶にとどめて置ける時間は、分単位になってしまう。
目前に別な旅人が現れれば、そちらに気をとられてしまい、おれなんか彼女の中から消されてしまって、甦ることはない。
これは相手が、アングロサクソンであるとか、同国人であるとか、ターザンのように筋骨隆々としているとか、そんな前時代的な価値基準ではない。彼女に過去はなく、いつだって、その時その時、目の前に現れたところからはじまるのだ。
そこでまた彼女は色目と媚態をふんだんにつかって、草原をさらに内陸へと駆け出すのだ。そこで旅人が彼女を追いかけるかどうかなんて、おれの知ったことではない。
 翌朝には、彼女は海に接する砂浜に戻っていて、棕櫚の木の下をのんびり歩いていたりする。前日より、口は赤く、目の縁は黒々として。

おれは自分が彼女の中から完全に消えているのか、それとも微かにでも残っているのか知りたかった。
そこで彼女の好みに合うと思えるサイケ調のアロファを着て、パイプ片手に、ゆっくり近づいて行った。二メートルまで接近すると、彼女のお株を奪って、気のあることを目顔で知らせた。
 ところが、有ろうことか、彼女はつんと顔を逸らしてしまったのだ。そして海に顔を向けたまま歩み去って行った。
ここでおれは判断に窮することになる。もしいささかでも、おれを覚えていたら、何らかの反応が表われたのではないか。一方知らない男が現れたのであったら、そこで彼女の十八番を、この時とばかりやってのければよかったのだ。
 まず色目で相手を悩殺し、内陸に向かって腰をふりふり、駆け出せばよかったのだ。
 それをしなかったとすれば、あとは何だ。おれを彼女の内に残していながら、最初に追いかけなかった者は失格ということなのか。機会は一度しか与えられていないということか。
おれは女の心が分からなくなった。日本にいて分からなかったものが、アフリカもコンゴくんだりまで来て、さらに分からなくなった。




鍵よ、出て来い!

2012-06-19 19:31:59 | 掌編小説


僕の中には、あたたかく、幸せにみちた、黄金色の枯野が広がっていて、いつも日が当たり、おいでおいでをしている。

そこにはすでに死んでしまった母や姉がいて、昔飼っていた猫やアヒルもいる。
みんな愉しそうに輪を作って踊ったり、気ままに寝転んだりして、暢気そうに生活している。
寝転ぶのなら僕にもできそうだし、何しろそこには、ミルク色の陽が優しく射していて、暑くも寒くもなく、ほんわかとしたあたたかさに包まれていて、見るからに気持ちよさそうなのだ。
僕も行きたくなって、つい腰を上げると、鍵がなければ入れないのだと言う。

屈託なく開けっぴろげで、鳴いているのは小鳥だけ。それも悲しくて鳴くのではなく、たのしくて歌っている楽園なのだ。歌わずにはいられない、平和な楽園なのだ。
そんな幸せいっぱいの、桃源郷なら、入っていくのに、難しい手続きなんか必要なく、それこそ鍵なんかいらない世界のはずなのに、鍵がなければいけないとは、どういうことだ?

とにかく鍵はこの家の中に、あるには違いないのだけれど、どこに隠れてしまったものか、それを見付け出さなければならないのだ。
家の中は乱雑をきわめているし、ものぐさで片付けのできない僕のこととて、鍵を探し出すのは至難の技だ。
なにしろ根気のつづかない僕であるから、見つけ出すのに何年かかるものやら、考えただけで気がめいる。
おい、鍵よ。いつまでも隠れていないで、さっさと僕の目の前に現れよ!
鍵よ、出て来い!

                            了

変な詩

2012-06-18 10:06:18 | 掌編小説


  1

 彼女がぼくの部屋に来たから、
「これうまいよ」
 って、ネコの絵のついた缶詰を開けたんだ。
「それ私に食べさせるの。どうして?」
 って訊くから、ぼくも言ったよ。
「どうして?」
「だってこれ、ネコの缶詰でしょ。私、ネコじゃないわよ」
「君がネコじゃないって? まさかあ!」

 2

「……で、私は救急車を呼んで、 彼を病院にいれたの。でもさ、お母さん。私って、ネコじゃないよねえ」
「いいえ、あなたは家のネコちゃんですよ。 公園に捨てられていたのを拾ってきたんですからね」

 3

母の言葉が響いて、彼女は考え込むようになった。そしてついに、ネコの缶詰を欲しがるようになった。
母が心配して彼女を病院に連れて行った。

  4

彼女は現在、彼の隣の病室に入っていて、時どき顔を合わせる。
彼は自分を病院に入れたことを恨んでいるらしく、ネコではなく、犬の声で吠えるのだ。
本当に彼が犬になってしまったのか、当て付けにそうしているのかは分からない。たまに手で顔を拭くしぐさは、ネコそっくりなのだ。
 それでも機嫌の良いときは、鉛筆をなめなめ詩を書いたりしている。たとえば、こんな詩を彼女に見せたことがある。

  ネコ缶

人間はネコじゃないよ
ネコが人間なんだ
ネコの缶詰なんか ないんだよ
それをつくったのは
人間じゃないんだ
ネコが造ったのさ
だから ネコは人間なのさ
ネコって言われたからって
ぼくを病院に入れたのは
ネコへの愛情が足りないからさ
ネコ缶はネコが食べても
人間が食べてもいいんだよ
人間が食べたら駄目って言うのは
ネコを愛してないからさ



 変な詩だ。それでも彼女はこの詩がよく分かって、彼を病院に入れたことを毎日謝っている。
病院の院長にも、彼を病院に入れたのは自分で、自分が間違っていたのだから、彼をここから出して欲しい。そう頼んでいるが、聞き入れてもらえない。
「君は何かね。私の見立てが間違っていたとでも言うのかね」
 院長はあごひげを撫でながら、そう言うのだ。そんな院長を見ていると、彼女はこの院長こそ猫じゃないかと思うのだ。
 こうなると、脱走するしかないので、目下逃走経路を検討している。もし二人揃っての脱出が失敗したら、彼だけ逃がして、彼女は次の機会を待つ。
 長い間待つのは大変なので、彼に変装してネコ缶を病院に届けてもらい、それで英気を養うつもりでいる。
                               了
 

ニーナ

2012-06-15 19:38:58 | 掌編小説


 圭子が家を出て行って、二箇月もした頃、夫の良輔は彼女の愛猫、ニーナを捨てた。家から五キロ枯野に入った寂しいところに。

―おまえが悪いんじゃない。おまえは、圭子と俺が結婚する前から、彼女と一緒に住んでいた。おまえには、圭子がしみついているんだ。だから傍にいてもらっては困るんだ―

 良輔の心が分かったのか、ニーナは薄紅の口を開いて、ニヤーと甘ったるい声で鳴いた。
 ニーナを置くと、車を飛ばして帰ってきた。

 野山が夏の緑に燃え上がった。
 出て行って半年経っても、圭子は何も言ってこなかった。冷戦状態が続いた後の家出だったから、良輔は捜索願も出さなかった。
 そのうち何か言ってくるさ、と楽観していたわけでもない。しかし六箇月の空白は長い。
 もしかしてニーナを捨てたことがよくなかったのだろうか。妻の愛猫なら、なおのこと置いておくべきだったのか。
 そんな自分のつれないところが、彼女の家出に繋がったのかもしれない。

 良輔は車に七輪と炭とサンマ五本を積み込み、ニーナを捨てた場所へと向かった。
 クラクションを鳴らし、七輪に炭を熾して、その上にまずサンマ三本を載せる。厚紙で扇いでいると、魚の脂が弾けて、煙と共に匂いが立ち昇る。
 十分も経った頃、夏草の茂みが動いて、生きものの気配がした。それも数箇所で。不自然な揺れ方は、風によるものではない。狐か、狸か、山犬か。
 これほど獣に囲まれているとすれば、とてもニーナなど生存できないのではないか。しかし猫族は、他の動物の餌食になる生きものではない。本来は肉食獣だ。そこに心を強くして、動静を窺う。
 草の動きは少しずつ、こちらへ距離を詰めてきている。草の細い茎の間から、サンマをすでに目に留めているのだろう。
 良輔はふと、ニーナを呼んでみる。

 ―ニーナ、ニーナ、ニーナ―

 しかしあろうことか、「圭子、圭子」と妻の名をまじえて呼んでしまった。錯乱もいいところだ。
 すると、どうだ。後方の草原がざわめいた。振り返ると猫だ! 毛並みはささくれて、荒々しくなっているが、顔はまさしくニーナだ。こいつ、自分の名を圭子と思っているな。いや、そうではなく、圭子がいると錯覚したのだ。
 ニーナはやや臆するところを見せつつも、圭子の名とサンマの匂いにおびき寄せられて、他の動物を尻目に進み出てくる。
 毛は逆立って、おどろおどろしいが、目方は明らかに減っている。いかに粗食に甘んじてきたかが見て取れる。
 サンマを草原においてやる。ニーナは熱さに口をかばいながらサンマにかぶりつく。良輔はそうはさせじと、サンマの尻尾を持って車内に誘い込み、ドアを閉める。 次に七輪の炭火を地面に落とし、水筒の水をかける。

 ニーナを連れ帰って五日ほどして、圭子が電話をしてきた。用件は、ニーナを連れて行きたいとのこと。
「ニーナを連れて行かなくたって、君が戻って来ればいいじゃないか」
 良輔は何故か心が据わって、そう言った。不自然なほど沈黙がつづく。ニーナが彼の足に身体を摺り寄せてくる。
 長い沈黙の後、圭子はひとつ息をのんで、それから静かにか細い声で、
「悪かったわ」
 と言った。
「迎えに行くけど、今どこにいる?」
「飛鳥駅よ」
「何だ近いじゃないか。すぐ行くからね」
 飛鳥駅は最寄りの駅である。
 良輔はニーナを抱えて車に向かおうとしたが、ニーナを連れて行きたいという圭子の意向にそってはならないと、猫には家に残って貰うことにした。
「お前の女王様を連れてくるからな。おとなしく待ってろよ」
 ニーナを床に戻すと、頭を一つ撫でてやり、駅に向かって彼は車を飛ばして行った。
                                  了


















燕三題

2012-06-09 17:40:19 | ポエム



燕一


早くも燕が
海を越えて来て
岬の展望台から
こちらの街々を
偵察している
海に臨む展望台から
海に背を向け
内陸の街に
視線を走らすものなど
燕をおいて
ほかには存在しない         



燕二



燕が飛来するのは

日の跳梁する真昼

彼らは故郷が

あまりに耀いていたものだから

夜になってもまだ

明るさのなかを飛んでいる 


            
燕三



かしこまったモーニング姿の
つばくらめが
街に飛来したよ
挨拶がてら
人の頭頂すれすれに滑空したりして
髪に南風を
吹きかけていったよ

この第一団が来たからには
次々到着して
この寂れた街も賑やかになるね
おしつけがましく
玄関に入りこんで来たりして

人の頭に南風を見舞ったのは
ほんの前触れに過ぎないのさ