波乱の海をぶじ目的地へ

現世は激しく変動しています。何があるか判りませんが、どうあろうと、そんな日々を貧しい言葉でなりと綴っていけたらと思います

探梅 完

2019-02-27 23:16:00 | 超短編


アケミはその夜、隕石のような不思議な物体が自分めがけて落ちてくる夢で目が覚めた。ただの夢ではなく、落ちてきた時の様子が生々しく目と体に焼きついていた。大きさと重さに圧倒されて、受け止めることはできなかったが、受け止められなかった無念の感覚は、目が覚めた後も残っていて、そのまま放置しておくわけにいかなかった。受け止めなかった責任のようなものまで感じていた。
 場所は彼女の家の前山で、岩場の中の窪みになったところである。岩に当たってバウンドしたところも覚えているから、地にめり込んではいなかった、ということは目に見える形で、地上に残されていることになる。何だろう。彼女はそれから眠れなくなり、物体が落ちてきたときの状況を、何度も何度も再現して、考え込んでいた。
 時計を見ると、深夜の三時を指している。アケミはそれから夜が明けるまで考え続け、いつもより二時間は早く起き出して、山に向かう心支度をはじめた。受けそこなったほど、アケミにかかわってきたのだから、放っておくわけにはいかなかった。ぶつかってきた時の感覚に石のように硬い感じはなかったから、岩石とか金属とか、そういうものではないと思った。それでは人かしら。彼女は考えたくない最悪の場面を目に浮かべざるを得なかった。人なら、命はないと判断して、暗澹とした気分に沈んだ。しかしどんな状況であれ、彼女に関わってきたからには、放ってはおけなかった。
 七時になると、彼女は勤め先の幼稚園に電話をした。キリスト教会所属の幼稚園であるから、幼稚園園長の上村牧師が電話に出た。
 あらましを告げると,上村牧師は、ふーっと一つ息をついて、
「珍しい夢だ。というよりめったにない夢だ」
と言い改めた。
「事故とか、人の命に関わるようなことでなければいいけれど」
 と言って休みを認めてくれた。
「気をつけて行きなさい。何かあったら、すぐ携帯で連絡しなさい。こちらで手配するから」
 アケミすぐナップザックに緊急に必要なものを詰めた。消毒液、軟膏、包帯、絆創膏、乾パン、飲料水、等々。それを背負うと、そそり立つ前山に向かって歩きだした。
 夢に起こされた郊外からの一日が開始された。のんびりはしていられなかった。いつも職場に行くときのようにバイクに乗った。これ以上進めないところでバイクを降り、イタヤの古木にバイクをもたせかけて置いた。それから隕石を受け損なった時の単独登山者の状態で山道を辿りはじめた。
 歩きながら、隕石に遭遇したのは、この山で、今自分が辿っているこの道に違いないと、実感が迫ってきた。
「先入観とか予感とか、日常の連続から見るたわいのない夢の場合がほとんどだが、神が何かを知らせる、のっぴきならない徴しの場合もある。聖書にもそういう啓示の夢が書かれている」
 そう教えたのは、上村牧師だった。アケミはそういう避けようのない夢でないように祈った。けれども一方で、神からの啓示であるような重たい隕石であっても、受止めていこうと心に決めていた。何といっても、自分が神から与えられたものなのだから…。
 彼女は山道を辿りながら、あちらこちらに目を配っていた。特に上よりも、自分より下の方へ視線をやっていた。何といっても、彼女は受けそこなって、下への落下を許してしまったのだ。たとえ自分の力で受け止め得なかったにせよ、受け止めるのに失敗したのだ。失敗したのなら、失敗を補うために、どうにかしなければならなかった。
 ふと上の方で、何かが動く気配がした。つづいて小石のようなものが岩に当たって弾けるような音がした。落石かしら。そう思って音の方に目をやると、弾丸のように岩間を通過していくものがある。落石にちがいない。。続いて大きなものが降ってくるかと待ち構えたが、音はそれきりやんで、辺は静まった。大きなものが来るなら、今度こそ受け止めようと、彼女は身のほどもわきまえずにそんな覚悟をしていた。だがその予感のようなものには、裏付けがあったのだ。降ってきたのが人間だとしたら、その人も小さな音を耳にして、落石を警戒し、慌てて身を避けようとした。そのとき足を踏みは外すなりして、滑落の引き金になったのだろう。夢の中でアケミにぶつかってきたのは、人間の体そのものだったのだ。そう推理を働かせると、読めてくるものがあった。滑落の現場はここから近いということだ。つい先程も小石が落ちていったように、ここは落石の多い場所なのかもしれない。そう思って眼下に視線を配ると、中くらいの石や小石がゴロゴロしている。事故があったのがこの近くだとしたら、滑落したその人を探し出さなければならない。彼女は視線の届く範囲に注意を配って足を運んだ。そう神経を凝らしていくと、五、六メートル進まないうちに、岩間に横たわる人影を発見した。動く気配はない。ただ人の横たわっている様子だけが濃厚にしてくる。犬が匂いをたぐり寄せるような感覚になって、アケミは岩を手掴みしながら下って行った。やはりいた。動物ではない、人がいた。岩から約十メートル離れて、小石の固まり合った中心に、人間が横たわっている。顔を下に向けて、完全に地の上に伸びている。恐怖が襲って来るが、黙っているわけにはいかない。アケミは俯いて横たわる人体に近づいた。男だ。嗅覚と相手の骨格で、そう悟った。
 彼女は上村牧師に連絡しようとして、携帯を取り出した。しかしその前にしなければならないことがあるのに気づいた。いのちのあるなしを、みなければいけない。脈を探ったが、自分の搏動が激しくなっていて、判らない。そんな絶望を押しのけるように伝えてくる別の動きがあった。この人の命だと、アケミは感動に揺さぶられ、携帯に向かった。
「よかった。君のいる場所を教えなさい。ヘリの降りられるようなスペースはあるかな」
「小石ばかりが溜まったような、荒っぽいスペースならありますけど」
「ヘリが着陸する目印として、わかる岩とか、その場所を確認できるような、木の茂みの様子を言いなさい」
 アケミは携帯を耳におしあてたまま、周囲を見回した。
「私から見て、一番目に付くのは四角い形の、すらりと立っている大きな岩です。四角い額みたいな岩石です。それだけです。他には目立つものはありません」
「よろしい。すぐ救急隊に連絡する。それから救急隊から君に、連絡が行くと思う。君はやるだけのことをしたんだ。慌てることはない。あ〜、それから遭難者は、若者か、老人か」
「若い男性です。多分二十代か、三十そこそこ.よく分かりませんが」

 エピローグ2

 病室に山男のような髭面の男が入ってきた。
「あなたは誰?」
 アケミは乱暴に男に訊いた。
 緒方の妻は入院に必要なものを買いに出ていた。その間をアケミに頼んでいた。
 緒方の意識は戻ったが、ぼおーっとしていて、話のできる状態ではなかった。現在は注射がきいて熟睡していた。
「ぼくですか?」
 山男は先ほどアケミに「あなたは誰?」と訊かれて、何も話していなかったことに気づいた。
「ぼくは緒方の親友です。さっきまでこの裏側の山を探っていました。熊にやられたと思い込んでいました。夢を見て、緒方を見つけてくださったんだそうですね」
 意外に優しい声の男に接して、アケミほっと安堵していた。緒方の妻が現れ、つづいて山男が現れ、自分が与えられたものを根こそぎにされる思いに苛立っていたのである。
 緒方が確実に寝息を立てているのを見て、山男はアケミに言った。「君は夢に起こされて動き出したとなると、少しも休んでいませんね。お住まいはこの近くですか」
「この街ではありますけど、ヘリで一緒に運ばれて来ましたから」
「では歩くのは大変だ。タクシーを呼びますよ」
 山男は言って車の手配をした。タクシーが来るまで、二人は病院のロビーで待つことにした。
「夢を見て、それが正夢だったなんて、すごいですね。君の疲れが取れた後、じっくりうかがいたいところです。緒方の奥さんから受けた電話の話ですと、教会付属の幼稚園にお勤めだとか」
 髭面の男はヒゲをピリピリ強ばらせながら話した。
「ええ」
 とアケミは諾いながら、夢とこの男はどう繋がっているのかと考えていた。
「幼稚園といえば、ぼくも幼い頃、世話になっていながら、そこを抜け出してしまって、苦い体験があるのですよ」
「幼稚園ですって!」
 アケミは落石が一つ、自分にはまりこんで来たような避けられないものを感じて言った。
「幼稚園が、そんなに驚くことですか」
 彼はアケミの声が余りにも高いところから発せられたので、自分の言葉が自然に言えなくなっていた。
「だって私が幼稚園の教師をしていて、その私に天から隕石が降ってきたんですもの。あなたはお子さんを、幼稚園に通わせていなさるの?」
 アケミは一気に難関を通り超えなければいけないと、賭けに出てそう言った。
「子供を幼稚園に通わせるって、ぼくの子供をですか」
 山男は自分自身を指さして、そう訊いた。
「ええ」
 とアケミの瞳は、謎めいた美しい輝きを放っていた。神秘の趣きといってもよい。
「さっき病室に入ったときから、君はぼくを特異な瞳で観察していたようですけど、ぼくは君の判断からは、一歩も二歩も遅れていますよ」
「どういう意味、一歩も二歩もって」
「一歩というのは、結婚もしていないということです。妻も持てない男に、どうして、幼稚園に送り出す子供がいるんですか」
「ごめんなさい」
 アケミはそう謝りつつ、よろこびが体内に湧き上がってくるのを感じていた。 その血潮に熱くなりながら、今回のことが神の約束がなければ、そして神から発したものでなければならなかったと納得した。

「今日のことが、あまりにも生々しいものでしたから、確かな手応えがなければいけなかったのです。間違いなく上から臨んだ啓示のようなものでなければ……」
 このとき、車のクラクションが鳴った。
 二人は立ち上がって、正面玄関に足を運んだ。
「私、自宅で少し休んで、洗顔してさっぱりしてここに戻って来ますからね」
「洗顔なんて、ぼくだってしていませんよ」
「でもあなたは、私に降ってきた山の男ですから、そのままでいいんです。間違いなく、戻ってきますからね。山男さん、どこにも行かないで、いてくださいね」
 アケミはそう言い残して、車に乗り込んで行った。

end

狐火2

2019-02-26 00:10:23 | 短歌


狐火の
地を這い走る
速さかな
実体はなく
色ある煙